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英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その8)

2023-06-13 | 英語
英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その8)

8. ロンドン人口大激増

シェイクスピアが28歳になり、すでにロンドンきっての舞台芸術家として頭角を現していた1592年、ロンドンの町自体、人類の歴史上始まって以来の急速な発展を遂げる最中にあった。ヘンリー8世(1509-1547)の時代には人口約5万の町でしかなかったロンドンは、エリザベス1世(1558-1603)の安定した統治と地方からの人口の大流入により、20万人を超える大都市に様変わりした。これはわずか10年強で人口が4倍になったことになり、世界中のどんな都市もこれだけ急速に人口が増えた例がない。ロンドンの町は三方をローマ時代から続く城壁で囲まれており、残りの一方は南のテムズ川が担っていた。

ロンドン市は公共のモラルを大切にしているという理由で、当初シアターを始めとする娯楽産業を市の管轄区域外である、テムズ河南岸のリバティー地区と呼ばれる場所に追いやっていた。アンドリュー・ガー著の「シェイクスピアのステージ」によれば、リバティー地区にはローズ座(1587)やスワン座(1595)、グローブ座(1599)ならびにホープ座(1614)の4シアターがあったとされている。シアターに対する酷評は当時の有識者であるジョン・ノースブルックと、もともとは戯曲作家であったステファン・ガッソンの1579年の著書に残されている。それによれば、シアターでは悪魔によって悪事を行うことをそそのかされ、その結果として、善良な人々が誠実な仕事を続けていくことを困難にさせてしまう忌まわしい場所であるとしている。これに対して、トーマス・ロッジは彼の著書「詩、音楽、舞台芸術への支持」の中で、芝居は人々にモラルを教えることのできる格好の媒体であり、観衆を正義感のある有徳な行動に導くものだと弁護している。いずれにせよ、批判の的であった芝居はロンドン市内のブルやベル、あるいはクロス・キーズといった有名な宿屋や酒場で演じられていたので、モラルに目を光らせていたロンドン市も政府もマスター・オブ・レベル(シアター取締りのために作られた行政機関)も完全に統制がとれていなかったということである。

田畑や庭が次々と開発目的で造成され、住居へ様変わりしていく中、ロンドンには深刻な問題が浮上してきた。衛生上の問題から発生した大規模な伝染病がそれである。人口が大激増したロンドンは清掃事業などの社会的基盤が追いついていないので、緑豊かな美しい町というよりも、汚臭の漂う汚い町であった。伝染病の流行により、人が集まるシアターはすぐに閉鎖されたので、役所による公共のモラル重視の行政より、伝染病のほうがはるかにシアターを封じ込める効果があったと言える。伝染病が猛威を振るった結果、シアターが建っていたテムズ川南岸のリバティー地区は治安が悪化して、こじきやすりなどが集まって凶悪犯罪が横行した。1564年の最初の伝染病流行以来、10万人以上が伝染病の犠牲者となり、死者はロンドン中心部から周辺の町まで広がった。

英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その7)

2023-06-12 | 英語
英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その7)

7. できちゃった結婚のシェイクスピア

グラマースクールでの初等教育を修了したシェイクスピアは、父親ジョンの経営する皮手袋製造販売業の見習いとしてしばらく働いていた。1582年に当時18歳のシェイクスピアは、彼の住むストラトフォード近隣の町、シャータリーで農家を営むヘザウェイ家の娘、アン(当時26歳)を嫁にもらう。この時、アンはすでに妊娠3ヶ月であったので、カトリックの教えが広く一般的に浸透していた当時のことを考えると、家族や親戚一同を巻き込んでの大騒ぎになってしまったことは想像に難くない。幸運にも、カトリックには教えに背いたことに対して、おとがめなしという特別免除(ディスペンセイション)があり、いわゆるできちゃった結婚のシェイクスピアとアンの場合もそれを利用して再出発することになる。彼らの住んでいた町を管轄するカトリック教会のウォーセスター司教からディスペンセイションを施され、無事に所帯を持ったシェイクスピアとアンにはその翌年、長女のスサーナが誕生する。さらに、その翌々年には女児の双子が生まれて、ジュディスとハムネットと命名され、カトリック教徒としての洗礼も受けさせている。余談ではあるが、アンがシェイクスピアより8歳上であったことから、おそらく先にモーションをかけたのは経験豊かなアンのほうであり、その年齢差による経験の差ができちゃった結婚につながった大きな要因ではないかと容易に推測される。

その直後の1585年からの8年間、シェイクスピアの足取りを確実につかんでいる西洋演劇研究者はいないのだが、歴史家のジョン・アウブリーはシェイクスピアは公立高校の先生になったと書いている。しかしながら、シェイクスピアは初等教育しか受けていないので、先生になれる資格がなかったことは明白だから、これはおそらく間違いで、ある貴族の家族付きの家庭教師になったというシェイクスピア研究者のハリー・アブラマスの説が一般的である。他にも、当時一流の詩人であり、演出家でもあったウイリアム・デイブナンの一座で貴族がシアターへ乗りつけてくる馬を預かる、今で言えばドア・ボーイのような仕事をしたのち、プロンプター(台本の読み手)として興行を手助けしていたとも言われている。数ある仮説のうち、最も信憑性が高いのは、シェイクスピアは双子の出産後まもなく、父親の皮手袋製造販売業の手伝いを辞めて、ストラトフォードに家族を残して単身ロンドンに行ったこと。そして、クイーンズ・メン一座に欠員が出たことにより、幸運にも演劇無経験のシェイクスピアは駆け出しの役者になることができて、そこで芝居をしながら、シアターの仕事を身につけていったという説が最も有力である。

英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その6)

2023-06-10 | 英語
英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その6)

6. キリスト教より民間伝承

シェイクスピア作の戯曲の中で、観る人に最も恐怖を与えるオープニングのひとつは「ハムレット」だろう。ハムレットの父は実弟に毒殺されるというくやしさからだけでなく、その裏切り者にのうのうと最愛の妻の心まで奪われてしまうという辱めを受けて、うらめしさのあまり、亡霊としてこの世に現れる。その亡霊は夜な夜な、裏切り者に乗っ取られた城の門前に来ては、当直の衛兵を恐怖で凍りつかせる。シェイクスピアは当時広く一般に受け入れられていた、キリスト教とは一風違った、ケルト人が多く住む地方に伝わる幽霊や魔法使いなどの民間伝承に強い関心があった。教義の複雑なカトリック信仰と離れたところで、民衆の視線に立って、超自然を具体化することが、結果として観衆を魅了する舞台演出を生み出すことになった。

シェイクスピアが民間伝承に命を与えている一例として、「真夏の夜の夢」に登場するパックが挙げられる。このパックのモデルとなった人々に悪さをする子鬼を当時の人々はロビン・グッドフェローと呼んでいた。ロビン・グッドフェローは人の邪魔をするのが大好きで、夜になると地上に現れて、人々に魔法をかけたり、つねったり、いらいらさせたり、悪夢を見させたり、果てはロビンの仲間が住む地下世界に引きずりこんでしまうと信じられていた。その一方で、「真夏の夜の夢」のパックも登場人物に魔法をかけて、男女を恋に落ちさせて、あたかも人間の信じやすさを見て楽しんでいるようだが、実のところパックはロビン・グッドフェローよりもはるかに実害がなく、性格もおだやかである。

妖精伝説や多くの民話・神話で知られているケルト民族の民間伝承も、同じく「真夏の夜の夢」の女王の来訪のシーンで演出されている。妖精の王様であるオベロンと女王タイタニアは昼間は人間の大きさをしているが、夜になると2倍のサイズに大きくなる。彼らはまた、人間に害を与えると言うよりも、むしろ自然界に繁栄と安定をもたらしている。ここでも、シェイクスピアが民間伝承内では人に悪意を持っているとされる妖精を、ある程度許せるいたずらをする、比較的無害な妖精に作り変えたことがうかがえる。女性役として出演していた少年たちに、カブウェブ、マス、マスターシードなどの妖精の役をキャスティングし、少年たちの持つ歌声の愛らしさと、軽やかなダンスの身のこなしを、妖精のそれに重ねあわせた演出効果は絶大であったにちがいない。

愛らしい妖精とは対照的に、「マクベス王」の魔法使いは悪意を持った役柄のまま使われている。魔法使いの三人姉妹は「お前なら天下を取れる」とマクベスをそそのかし、彼の王様を暗殺させてしまう。共犯のマクベスの妻は狂い死に、マクベスも仇討ちにきた手勢に討たれる。ここでの魔法使いは手段を選ばず、血をもってしても野望をかなえたいとする人々の心に住む邪悪の具体化である。もともと、魔法使いは地方に住む人々とキリスト教不信者の言い伝えに根ざしており、悪魔教崇拝で知られるジョージ三世のジェコビアン朝では脚光を浴びた。それは、魔法使いや悪魔を代表例として、広く信じられてはいるが、根拠のない作り話を熱心に保存していこうという王朝の意向があったからである。

シェイクスピアが私たちの知らない世界の生き物に役を与えて、舞台で演じさせたことは演出効果絶大で、およそ現在の観劇態度とはかけ離れた、騒々しくがさつな当時の観衆を恐怖で凍りつかせて、静かにさせたことは容易に想像がつく。

英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その5)

2023-06-07 | 英語
英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その5)

5. エリザベス女王の天覧芝居

祝祭日に催されるお祝いの行事や式典は、田舎で平凡に暮らす人々にとってだけでなく、若くて好奇心旺盛なシェイクスピアにとっても、都会から地方へ興行してくる旅回りの劇団をナマで観る刺激に満ちあふれた機会だった。町の中で東西と南北に走る道が交錯するストラトフォード市にはしばしば、レイセスター劇団、ストレンジ男爵の劇団、エセックス伯爵の劇団といった、ロンドンを中心に活躍する有名な一座が遠征の公演を行うために立ち寄っている。

中世のイギリス演劇発展と密接な関係のある祝日の一つにコープス・クリスティ(キリストの死と復活)が挙げられ、モラリティー・プレイ、ミステリー・プレイあるいはサイクル・プレイといった当時主流のドラマは、このコープス・クリスティをお祝いする期間中に、旅回りの劇団主導で公演されていた。なかでもモラリティー・プレイは宗教色が濃く、その内容はカトリックの秘蹟であるサクラメントに関するものがほとんどで、洗礼、堅信、聖体、告解、終油、叙階、婚姻の7つのエピソードを題材に扱っていた。新旧約の両聖書の話をベースにし、罪、許し、祝福、悲哀、そして美といった寓話的なキャラクターをドラマの中に登場させ、人間の愚かさや弱さを際立たせつつ、サクラメントを説くモラリティー・プレイには人気があった。文字の読めない人がほとんどの当時を考えると、教会の教義をわかりやすくするために考えられたモラリティー・プレイは大成功だったと言えよう。

1575年には女王エリザベス一世の一行がレイセスター伯爵の主催する催し物に招待されて、ストラトフォード市内のケネルワース城に宿泊した。女王とその側近を迎えてのお祭り騒ぎは、彼らの滞在中の三週間あまり続き、さまざまな催し物が絢爛豪華に執り行われた。ストラトフォード市郊外から、女王に敬意を示すために来場した一般客のためには、屋外での催し物も数多く行われた。毎夕方には趣向を凝らした娯楽やモラリティー・プレイ、ギリシャ・ローマ神話に基づく芝居などが行われ、若いシェイクスピアも観劇していたにちがいない。

シェイクスピアにとって、1575年のエリザベス女王の来訪による町を挙げてのお祭りと毎年行われていたコープス・クリスティは、当時のルネッサンス時代の洗練された舞台芸術を目にする絶好の機会を与えた。これがシェイクスピアに舞台芸術にのめりこむきっかけを作り、魔法のような芝居の魅力にとりつかれてしまったという推測は極めて真実に近いものだろう。

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英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その4)

2023-06-04 | 英語
英国エリザベス朝及びジェコビアン朝における政治、社会、経済、宗教、文化の発展がウィリアム・シェイクスピアの戯曲に与えたインパクトの概略(その4)

4. 自然の良さを戯曲にこめたシェイクスピア

祖父が大農家という家に生まれたシェイクスピアは、子供時代に過ごした農村ならではの自然あふれる環境から強い影響を受け、自然の世界、四季の移り変わり、動植物の性質や言い伝えなどの要素をしばしば戯曲に盛り込んだ。たとえば、「ハムレット」の第五幕で父の死を知らされ、その最愛の父がよりによって恋人のハムレットの手にかかって殺されたことを知ったオフィーリアは強い悲しみで気が狂ってしまうシーンがある。狂ったオフィーリアが花言葉をうつろにつぶやきながら、居合わせた人たちに花を配るシーンでは、花は非常に効果的なシンボルとして使われ、作品の登場人物に人格的な深遠さを与えている。なぜならば、オフィーリアが手渡していく花そのものが登場人物の性格を見事にとらえ、あたかもすべての問題をお見通しであるかのように、当事者に花言葉を投げかけているからである。その後、オフィーリアは自殺をするのであるが、彼女の死を報告するガートルード女王の台詞中にも、美しい死に様を描写する上で、花は効果的なシンボルとして使われている。

鳥などを始めとした動物の獣性もシェイクスピアの戯曲中でよく取り上げられている。たとえば、ひばりは昼間訪れる平和なメッセンジャー役である一方で、ナイチンゲールは夜美しい声で歌う女性の役を表現する。不気味な情景や死の世界を連想させるふくろう、残酷と卑しさの象徴であるトビ、人をだまして金品を奪うとされるカラス、高貴、誇りなどの象徴であるはやぶさなどは悲劇「マクベス」にみられる権力争いの中で頻繁に登場する。鳥獣のシンボリズムは悲劇だけでなく、喜劇の「真夏の夜の夢」などにも使われているのであるが、シェイクスピアは田舎の動物だけにとどまらず、外国のサイや想像上の動物ユニコーンなども登場させている。

エリザベス朝の世界では、王家・名門の紋章に使われるライオンやワシはそれぞれのグループにおいて上層に位置する一方で、とんまの象徴のロバ、不浄と大食いを連想させるブタ、好色・淫乱の象徴のヤギ、卑劣・不潔さを連想させるネズミ、意地悪と貪欲の象徴のサルは下層に位置する。シェイクスピアの作品中、女性がしばしばヘビに例えられるのはヘビの獣性である冷血と表面のしっとりさからである。

以上のことをふまえると、シェイクスピアは登場人物たちの毎日の生活に動物のさまざまな獣性をとりいれることで、生き生きとした人物像を作り、登場人物に動植物のシンボルや言い伝えなどを組み合わせることにより登場人物の人格に深みを与えている。これらのことは、自然がいっぱいの田舎で幼少期を過ごしたシェイクスピアだからこそできたのではないかと言えるだろう。