広告の入らないブログにしたく、プロバイダーを変えたり、努力しておりました。
いたらない私のパソコンスキルです。ボロボロです。
ご迷惑をおかけしました。
「橙灯望記」のブログ名はいろいろになって検索できません。
変えました。
ブログ名「歓舟記」
ブログアドレス http://pub.ne.jp/kannsiyuki/
どうぞよろしくお願いいたします。
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「いづれの御時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」の美しい文章ではじまる、「源氏物語」を読んだのは、もう随分前になります。
上の段に原文、下の段に口語訳がのっている本を、図書館でなんとなく借りてきて、最初ぼんやり読んでいた私は、あまりの面白さにいつの間にか真剣になってしまいました。
いろいろな訳で読みたいと、与謝野晶子、瀬戸内寂静など訳者をかえてまた読みました。
それほど面白かったのです。
つよく思ったのは、「この物語が、千年の昔書かれたもの…??」でした。
やっと、かな文字ができたころにつくられた物語なのに、なんとも美しくのどかで、あの時、私の頭の中に、学校で学んだ「縄文、弥生」のざんばら髪の人間の、原始文明が浮かびました。
その時代から5百年後の平安時代にこの文化があった。
でもそれは日本のことで、甲骨文字の中国殷王朝が紀元前千6百年前、その前には夏王朝がある、王朝の存在以前の時代などを考えると「人間の文明はもっとずっと古いのかも…?」などと考えました。
7月号の白鳩誌の谷口純子先生のご文章に、「この宇宙は百三十七億年前にでき、地球は四十六億年前、そして人類は三百万年前に登場した。」と書かれています。
「三百万年の命のつながりの中に今の自分がある。」~中略~「親から子へと何十世代も何百世代も命のリレーが行われてきた。」とも書かれています。
わたしも、この命のリレーの中で、幾回も生まれ変わり、沢山の人生を経験してきているはずです。
今の世でも、両親のふかい愛に守られて成長し、社会の中で人生を経験させていただけました。
自分一人が生きてくるのに、どれほど多くの恩恵と守りの努力があって存在できているか、つくづくと有難さが身にしみます。
この頃は、「私って年なのかな…?」などと思うほど、のどかで幸せな毎日です。
「先祖の愛」についての体験です。
もうずいぶん前のことですが、心に煩うことがあって、うつうつとした思いで仏前でいつものように、「甘露の法」を読ませていただいていた時、まっぐにあがっていた線香の煙が、急にスッと直角に曲がってこちらに向かってきました。
「あれっ?」と思っている私の胸にあたってふわふわと散ります。
つぎつぎと煙はこちらにきますから、私は煙にすっぽりと包まれてしまいました。
ゴホッ、とむせながら甘露の法雨を読ませていただきますが、煙から感じるなんとも優しく、あたたかい雰囲気は、まるでその時の私の心の煩いを慰めてくれているようでした。
今も時々、仏前で甘露の法雨を読ませていただきながら、あの時の光景を懐かしく嬉しく思い出します。
私は結婚をしていませんので、いつも一人です。
でも一人であったことは一度も無い。
神様に、先祖に、両親に、こんなにも沢山愛され守られて過ごしています。
神奈川教区の堀浩二さんという方が「悦びの広場」というブログを書かれています。
私が「ブログを立ち上げよう」と思ったのは、この「悦びの広場」を偶然検索したときです。
今も、変わらず楽しみにしていて、パソコンに向かった時は、必ず読ませていただきます。
その「悦びの広場」に、7月7日付けで、お母様が亡くなられた文章がのりました。
お母様が亡くなられたのが5日。
2日後に、ブログで文書を書かれてます。
冷静な精神力に驚嘆します。
私の母も、堀浩二さんのお母様とおなじ、風邪が原因でした。
私は、泣いたり騒いだりするのは嫌いですから泣きません。
でも表に出さない分、悲しみが内にこもるようです。
四拾九日の法要が終えるまで、祭壇が家にありますから、朝起きたら祭壇がある。
何故、祭壇が家にあるのか思い出せないのです。
母の写真が飾ってある。だから母の祭壇らしいのは解ります。
でも、何故祭壇があるのか解らないのです。
姉に電話をして、「お母ちゃんの祭壇があるけど、どうして?」と聞いたのを覚えています。
認めたくないものを、記憶しない、という自分のようすを始めて経験しました。
「人間は死んでも死なない永遠の命。あの世でまた会える」と思えたとき、私はやっと落ち着きを取り戻しました。
あの状態で、会社がくれる「忌引き休暇」があけて会社に行きましたが、よく迷わずに会社に行き、ミスも出さないで仕事をしたと、今も不思議なほど私は「変」でした。
私のあの時の状態を思うと、堀浩二さんの冷静さにびっくりします。
「悦びの広場」の文書のなかに、「一度家族になった者は、永遠に別れることがない。来世でまた別の関係か、もしくはまた親子という関係で再会することができる。」とあります。
うれしい言葉です。
足りてない親孝行を、沢山できる機会がまたきっとある。そう思っています。
内田久子先生は、三途の川まで行かないうちに、この世に戻ってきましたが、三途の川岸まで行った、ある中堅企業の社長さんの話を、昨年の8月号の「世界の燈台」に、澤田教化部長が書かれています。
三途の川を渡る…。
私は、またいで渡ることのできる小さな川、または、素足で裾をまくってジャブジャブ渡る清らかなせせらぎを、なんとなく想像していましたが、そうではないようで、川幅は人によってまちまちで、10メートルの人もいれば、100メートルの人もいる。
また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人もいれば、船に乗っていく人、泳いで渡る人などいろいろらしい。
同じなのは、一旦両足が岸から離れてしまうと、二度と戻ってこれないそうです。
この社長さんは、お花畑を歩いている時、不思議な声が聞こえてきたそうです。
「あなたが今まで送ってきた人生について、川べりに着くまでまとめておくように…」。
社長さんは、自分の人生を振り返り、やってきた業績をまとめていきました。
川べりに着くと、また声が聞こえてきました。
「あなたは、自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?」。
いくら考えても「楽しくやってきた」という記憶がなく、じっと黙っていたら、「あなたは人生を楽しんでこなかったのですね」と言われ、「はい」と言うと、「あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し!」と言われ、その瞬間、息を吹き返し、この世にもどってきたそうです。
私は、早くに「生長の家」にめぐりあった幸せものです。
人一倍の世渡り下手、人一倍の軟弱者です。
だから、いつも神様の導きをさがし、大きな守りの中でこの人生を過ごしてきました。
見えない世界からの、両手をひろげるような守りは、思い出しても心にせまるありがたさです。
でも、「恩返しができない」。
それがいつも心の中にありました。
「恩返しをする力がない。情けない私。」
神様に、そのことへのお詫びの思いを考える神想観が、何日が続いていたある日、「明るく、幸せに過ごせ…。」という言葉が聞こえたというか、感じました。
あっ…と想いました。
神様は、恩返しのできない私を責めてはいないんだ…。私が幸せに暮すことを望んでいるんだ…。
そう思った時、心が楽になりました。
楽しんで生きる。
三途の川から戻ってきた社長さんは、「楽しく生きるということは、自分がどれほど周りから喜ばれているかである」と気が付いたそうです。
私も、喜ばれる私であるよう、なおいっそうの真心でこれからの毎日を過ごします。