10年前、田舎で一人で住んでいる母と一緒に住もうと思い、今の家を建てました。
良い設計士さんと、良い建築屋さんに恵まれ、住みよい家が建ち、母と住み始めました。
そしたら、母が言うのです。
「前の家に、おばあさんがいる…」。
前の家は、我が家を建てだしたときは、ボロボロの廃屋で、「そのうち壊してなくなるのだろう。」と思っていたのですが、いつのまにかなおして、若い独身の男の人が住むようになっていました。
「お母ちゃん、前の家におばあさんはいないよ。男のひとの一人ぐらしだよ。」
わたしは言うのですが、やっぱり母はまた時々言うのです。
「おばあさんがいる…。」
その後、健康だった母なのですが、風邪をひいたのがもとで亡くなってしまいました。
母が亡くなって、どのくらいたったころか、ぼんやり前の家の方を見ていて「あれ…?」と思いました。
家から、おばあさんが出てくるのです。
黒い影のような、顔も着ているものもわかりません。
黒い影です。
普通に歩いて、買い物にでも行くような、自然の雰囲気で。
歩き方も、体のかんじも、おばあさんです。
わたし、思いました。「母が言っていた、おばあさん、だ…。」
この世の人ではない。でも、恨めしいとか、なにかに執着してるとか、そんな感じではない。
のどかに、普通に生活していて、時々どこかに出かける…そんなかんじです。
その家に住んでいる男性は、ぜんぜん気ずいているようすはなく、毎日仕事にでかけ、夕方帰ってきて、機嫌よく生活しています。
わたしも、べつに、怖いとか、気味悪いとか感じず、いつのまにか忘れていて、月日が過ぎ、「そういえば、あのおばあさんの影、このごろ見えないな…」と最近気ずきました。
影を見ることが無くなって、4~5年くらい経つでしょうか。
あのおばあさんは、今、どこで、どうしているのでしょうか。
あの世とかに、ちゃんと、いったのでしょうか。
あの世にいく話で思い出しました。
20年ほど前、内田久子先生が札幌に来られて、講演をされた時のお話です。
幼いころから病気がちで、何度も死にかかったことのある先生は、ある時、本当に死にました。
ベットの自分は、骨と皮で痩せさらばえているのに、あの世に旅立った先生は、ピンク色の美しいところを、花柄のスカートで、サッソウと両手を振って元気に行ったそうです。
先生のことばは続きます。
「もう少し行ったら、三途の川のせせらぎ、とかいうのが聞こえてきて、向こう岸から、おいでおいでいうのがあったと思いますが、その前に地球上に忘れ物を思い出しました。」
「なにか大切なものをわたしはおいてきた。よーし、むこうへいってなるものか。取りに帰らなならん!」と強く思い、「なにくそ!」と、力んだおもいをしたら、トクトクいう心臓の音が聞こえてきて、「内田先生が生き返った!」とう主治医の声が聞こえてきて、私は生き返ったんです。」というお話です。
「その後、10年ほどして生長の家にめぐり会いました。忘れものいうのはこれです。生長の家にめぐり会うことでした。」
よいお話です。でも、自分意志で帰れるのか??使命があったのかな…ですね。
あの時のおはなしの一番は、先生は病院のお医者様ですので、いろいろの方の死をみています。
日頃から、「ありがとう、ありがとう」と、周りに感謝をし、感謝でご飯も食べるような人は、亡くなる時もスッとらくに亡くなりますが、そうでない人はそうではないようです。
「かしこ、かしこ!。皆、かしこかしこで生きるから困るんです。かしこいあほですよ生長の家は。かしこいあほですよ。あほなあほは駄目ですよ。」…くり返し話された、かしこいあほ、の言葉は今も耳に残ります。
わたしは出来てるかな? かしこいあほに。