橙灯望記

真理への道

神奈川教区 堀浩二さんのブログ

2012-07-08 21:12:14 | 日記

神奈川教区の堀浩二さんという方が「悦びの広場」というブログを書かれています。

私が「ブログを立ち上げよう」と思ったのは、この「悦びの広場」を偶然検索したときです。

今も、変わらず楽しみにしていて、パソコンに向かった時は、必ず読ませていただきます。

その「悦びの広場」に、7月7日付けで、お母様が亡くなられた文章がのりました。

お母様が亡くなられたのが5日。

2日後に、ブログで文書を書かれてます。

冷静な精神力に驚嘆します。

 私の母も、堀浩二さんのお母様とおなじ、風邪が原因でした。

私は、泣いたり騒いだりするのは嫌いですから泣きません。

でも表に出さない分、悲しみが内にこもるようです。

四拾九日の法要が終えるまで、祭壇が家にありますから、朝起きたら祭壇がある。

何故、祭壇が家にあるのか思い出せないのです。

母の写真が飾ってある。だから母の祭壇らしいのは解ります。

でも、何故祭壇があるのか解らないのです。

姉に電話をして、「お母ちゃんの祭壇があるけど、どうして?」と聞いたのを覚えています。

認めたくないものを、記憶しない、という自分のようすを始めて経験しました。

「人間は死んでも死なない永遠の命。あの世でまた会える」と思えたとき、私はやっと落ち着きを取り戻しました。

あの状態で、会社がくれる「忌引き休暇」があけて会社に行きましたが、よく迷わずに会社に行き、ミスも出さないで仕事をしたと、今も不思議なほど私は「変」でした。

私のあの時の状態を思うと、堀浩二さんの冷静さにびっくりします。

「悦びの広場」の文書のなかに、「一度家族になった者は、永遠に別れることがない。来世でまた別の関係か、もしくはまた親子という関係で再会することができる。」とあります。

うれしい言葉です。

足りてない親孝行を、沢山できる機会がまたきっとある。そう思っています。

 


人生を楽しむ

2012-07-08 14:42:48 | 日記

内田久子先生は、三途の川まで行かないうちに、この世に戻ってきましたが、三途の川岸まで行った、ある中堅企業の社長さんの話を、昨年の8月号の「世界の燈台」に、澤田教化部長が書かれています。

三途の川を渡る…。

私は、またいで渡ることのできる小さな川、または、素足で裾をまくってジャブジャブ渡る清らかなせせらぎを、なんとなく想像していましたが、そうではないようで、川幅は人によってまちまちで、10メートルの人もいれば、100メートルの人もいる。

また、渡り方もさまざまで、橋で渡る人もいれば、船に乗っていく人、泳いで渡る人などいろいろらしい。

同じなのは、一旦両足が岸から離れてしまうと、二度と戻ってこれないそうです。

この社長さんは、お花畑を歩いている時、不思議な声が聞こえてきたそうです。

「あなたが今まで送ってきた人生について、川べりに着くまでまとめておくように…」。

社長さんは、自分の人生を振り返り、やってきた業績をまとめていきました。

川べりに着くと、また声が聞こえてきました。

「あなたは、自分の人生をどれくらい楽しんできましたか?」。

いくら考えても「楽しくやってきた」という記憶がなく、じっと黙っていたら、「あなたは人生を楽しんでこなかったのですね」と言われ、「はい」と言うと、「あなたの人生は失敗です。もう一度やり直し!」と言われ、その瞬間、息を吹き返し、この世にもどってきたそうです。

 私は、早くに「生長の家」にめぐりあった幸せものです。

人一倍の世渡り下手、人一倍の軟弱者です。

だから、いつも神様の導きをさがし、大きな守りの中でこの人生を過ごしてきました。

見えない世界からの、両手をひろげるような守りは、思い出しても心にせまるありがたさです。

でも、「恩返しができない」。

それがいつも心の中にありました。

「恩返しをする力がない。情けない私。」

神様に、そのことへのお詫びの思いを考える神想観が、何日が続いていたある日、「明るく、幸せに過ごせ…。」という言葉が聞こえたというか、感じました。

あっ…と想いました。

神様は、恩返しのできない私を責めてはいないんだ…。私が幸せに暮すことを望んでいるんだ…。

そう思った時、心が楽になりました。

楽しんで生きる。

三途の川から戻ってきた社長さんは、「楽しく生きるということは、自分がどれほど周りから喜ばれているかである」と気が付いたそうです。

私も、喜ばれる私であるよう、なおいっそうの真心でこれからの毎日を過ごします。