橙灯望記

真理への道

あの世にいく

2012-06-27 19:19:40 | 日記

 10年前、田舎で一人で住んでいる母と一緒に住もうと思い、今の家を建てました。

良い設計士さんと、良い建築屋さんに恵まれ、住みよい家が建ち、母と住み始めました。

そしたら、母が言うのです。

「前の家に、おばあさんがいる…」。

前の家は、我が家を建てだしたときは、ボロボロの廃屋で、「そのうち壊してなくなるのだろう。」と思っていたのですが、いつのまにかなおして、若い独身の男の人が住むようになっていました。

「お母ちゃん、前の家におばあさんはいないよ。男のひとの一人ぐらしだよ。」

わたしは言うのですが、やっぱり母はまた時々言うのです。

「おばあさんがいる…。」

その後、健康だった母なのですが、風邪をひいたのがもとで亡くなってしまいました。

母が亡くなって、どのくらいたったころか、ぼんやり前の家の方を見ていて「あれ…?」と思いました。

家から、おばあさんが出てくるのです。

黒い影のような、顔も着ているものもわかりません。

黒い影です。

普通に歩いて、買い物にでも行くような、自然の雰囲気で。

歩き方も、体のかんじも、おばあさんです。

わたし、思いました。「母が言っていた、おばあさん、だ…。」

この世の人ではない。でも、恨めしいとか、なにかに執着してるとか、そんな感じではない。

のどかに、普通に生活していて、時々どこかに出かける…そんなかんじです。

その家に住んでいる男性は、ぜんぜん気ずいているようすはなく、毎日仕事にでかけ、夕方帰ってきて、機嫌よく生活しています。

わたしも、べつに、怖いとか、気味悪いとか感じず、いつのまにか忘れていて、月日が過ぎ、「そういえば、あのおばあさんの影、このごろ見えないな…」と最近気ずきました。

影を見ることが無くなって、4~5年くらい経つでしょうか。

あのおばあさんは、今、どこで、どうしているのでしょうか。

あの世とかに、ちゃんと、いったのでしょうか。

 あの世にいく話で思い出しました。

20年ほど前、内田久子先生が札幌に来られて、講演をされた時のお話です。

幼いころから病気がちで、何度も死にかかったことのある先生は、ある時、本当に死にました。

ベットの自分は、骨と皮で痩せさらばえているのに、あの世に旅立った先生は、ピンク色の美しいところを、花柄のスカートで、サッソウと両手を振って元気に行ったそうです。

先生のことばは続きます。

「もう少し行ったら、三途の川のせせらぎ、とかいうのが聞こえてきて、向こう岸から、おいでおいでいうのがあったと思いますが、その前に地球上に忘れ物を思い出しました。」

「なにか大切なものをわたしはおいてきた。よーし、むこうへいってなるものか。取りに帰らなならん!」と強く思い、「なにくそ!」と、力んだおもいをしたら、トクトクいう心臓の音が聞こえてきて、「内田先生が生き返った!」とう主治医の声が聞こえてきて、私は生き返ったんです。」というお話です。

「その後、10年ほどして生長の家にめぐり会いました。忘れものいうのはこれです。生長の家にめぐり会うことでした。」

よいお話です。でも、自分意志で帰れるのか??使命があったのかな…ですね。

あの時のおはなしの一番は、先生は病院のお医者様ですので、いろいろの方の死をみています。

日頃から、「ありがとう、ありがとう」と、周りに感謝をし、感謝でご飯も食べるような人は、亡くなる時もスッとらくに亡くなりますが、そうでない人はそうではないようです。

「かしこ、かしこ!。皆、かしこかしこで生きるから困るんです。かしこいあほですよ生長の家は。かしこいあほですよ。あほなあほは駄目ですよ。」…くり返し話された、かしこいあほ、の言葉は今も耳に残ります。

わたしは出来てるかな? かしこいあほに。

 

 

 

 

 

 


「牝鹿の脚」の話

2012-04-08 17:13:00 | 日記

谷口雅春先生のご著書に「善と福との実現」というご本があります。

田舎の親元にいたころ、真理への思い胸いっぱいで、いつも手元にご本をもち、沢山のご本を読ませていただいていた中に、このご本がありました。

まだまだ若く、真理への理解も浅いわたしには、「むずかしいご本」、という印象でした。

このなかにある「牝鹿の脚」のお話の意味がわからなかったのです。

読まれたかた多いとおもいますが、主人公のクラーク氏が汽車のなかで、隣の席に座った白い髭の老人に 「牝鹿の脚」 の話を聞きます。

老人は青年のころ、商社に勤務し、また、別会社もつくり、沢山のお金をもうけ、ついに健康を害し、スペリオル湖のロイヤル島で静養をおくる日々をすごします。

健康も恢復してきた頃、日没近く、ボートに乗って漕ぎ出、なんだか眠くなって眠ってしまい、数時間後気がついてみると、はるかに陸地も見えない、水また水の縹渺とした湖面にただよっている自分を発見します。

スぺリオル湖は、時々強風が起こってボートが覆り、溺れた者は決してその死体が発見されることがないことを思い出し、パニックのような恐怖に襲われた彼は、神に祈ります。

「神様、若しあなたが私を救って下さるならば、これ以降の私の生涯の半分を神様の仕事に、人類を救うためにささげます。特に青年を救うために」。

そのとき、空に突然、イエスの降誕の場所を示したベツレヘムの星とはこんなものかと思わせるような、月の大きさの四分の一ほどもある大きな星があらわれ、彼が出発した島の船乗り場へ導きます。

その後、彼は神様との約束どおり、商売の旅ごとに汽車のなかで、神様の導きのまま、その話をするべき誰かひとりに自然に話しだすようになります。

そして、その日はクラーク氏に話してくれます。

「彼はわが脚を牝鹿の脚のごとくならしめ、いと高きところに吾を立たしめ給う」。

そして言います。「高きところに登って行く最もよき道は 主の祈り です」 と。

 

天に在します吾らの父よ  願わくば

み名のあがめられんことを

みくにのきたらんことを

み心の天になるがごとく地にもならしめ給え

吾ら日々の糧を 今日も与えたまえ

吾らにおいめあるものを

吾らの赦したるごとく

吾らのおいめをも赦したまえ

吾らを試みに遭わせず

悪より救い出したまえ

 

「主の祈り」と「牝鹿の脚」のはなし。

クラーク氏は、そのときよく理解ができず、その後9年の歳月を過ごします。

彼は、ワイオーミング州の或る農場で一匹の馬に乗ったとき、「牝鹿の脚」の話を理解します。

彼の乗った馬は俊足であるけれど、数年間市場で馴らされたたため、天与の天分を失い、後脚が前脚の踏んだあとを 二、三インチ狂って踏むため、危険なすべりやすい嵯峨たる岩のこつりつせる山腹をのぼることができない。

そして牝鹿です。

牝鹿は、一度踏み外したら永遠に死の世界へ墜落するような、山腹の峻しい石道を、前足が踏んだあとをしっかり確実に後ろ脚が踏むことによって、安全に山頂に行くことができる。

でも、わたしは、このお話を読んだとき意味がわかりませんでした。

前脚は脚元が見えますので、安全な山の背をしっかりと踏みます。

その同じ場所を後ろ脚が踏めば安全なのです。

牝鹿は、神のつくり給える中でも、最も完全なる物理学的完全さでそれができる。

そこまではわかります。

でもそれと、実際の日常での、真理への生き方の意味をつなげることができなかったのです。

わたしはその後、「善と福との実現」のご本は親元においたまま、「生命の実相」だけを持って、釧路、札幌、と転勤してまいりました。

その間何度か、このお話を思い出したのですが、その度に「やっぱり、わからない…」でした。

最近になって、「牝鹿の前脚は神様、うしろ脚は私達のこと…???」、ふっと考えがよぎりました。

あらためて、教化部でご本を買わせていただき、再度勉強です。

ぜんぜん違いました。

牝鹿の前脚は現在意識で、うしろ脚は潜在意識と書いてあります。

「動物が高所に登るには、前脚とうしろ脚が完全なる相互作用をもっていなければならないと同じように、人間も高き自由なる境涯に上るには、現在意識と潜在意識との間に最も完全な相互作用をもっていなければならない。」

意識の中で、現在意識は全体の5%です。

運命を動かすのは、95%の潜在意識です。

現在意識で願うことに、潜在意識が完全な相互作用をもって動くことができれば、現在意識の望む「思いどおりの人生」ができあがることになります。

でも、どうしたら現在意識の思念と潜在意識とを一致させることができるのでしょうか。

ご本では「主の祈り」と書いてあります。 神様への絶対の信頼と全托。

この真理を理解するのに、クラーク氏は9年でしたが、わたしの場合40年の長い年月がかかりました。

今でも、「ほんとうに解ったか?」 と言われたら、なんと答えるべきでしょうか?

毎日の神想観に、あたらしい祈りのことばが加わりました。

「わたしの生活の今日一日の一瞬一瞬が、神の国の生活でありますように。そして他の人々の生活の一瞬一瞬が、神の国の生活でありえるよう 神よ霊を注ぎたまえ。」(320p)

ところで、神様への全托で、ご本では、アンデルセンの童話「おじいさんの言うことにまちがいはない」によく似た隠元豆の寓話がのっています。

昔々、ジャックという王子があった。

ある日、巨大な鬼が王様を殺して、年老いた妃と小さき王子とを追放した。

年老いた妃と王子は、只一匹の牝牛と少しの地面で、生活のために、激しく働かねばならなかった。

そのうちに金がだんだんなくなり、ついに妃は牝牛を金にかえるために、王子を市場へやった。

市場にいく途中、王子のジャックは羊を連れてくる一人の男にあい、旨くだまされて自分の連れてきた牝牛を羊に換えてしまった。

次には豚を連れてきた男には豚と、その次の男には鵞鳥に、鵞鳥を雌鳥に、次々に換えてしまい、やがてその雌鳥を次には一握りの隠元豆と取換えて帰ってきた。

母の王妃は怒ってその一握りの隠元豆を窓の外に捨ててしまった。

そしてその晩、王妃たちは充分に眠ってしまい、翌朝めを覚まして驚いた。

その隠元豆から芽が出、天にもとどく高さにすくすくと延び、蔓を網の目のように拡げていた。

王子は、その隠元豆の茎を昇っていって空中にある、不思議な大きな大地をみいだした。

そこは、彼の王様を殺した鬼と、その妻が住んでいる世界だった。

鬼が王子を見つけたら、彼を捕らえて殺してしまったかもしれない。

しかし、幸いなことに鬼の妃が、いつかは王様から奪った三つの宝物を、真の持ち主が来て要求したならば返したやろうと考えていた。

王子は鬼の住家へそっと入って行き、父が盗み取られた宝を一つずつ取り返した。

一つは毎日黄金の卵を産む赤い鳥、そして一つは人間が手を触れないでも自然に鳴るインスピレーションの竪琴、三っつめは身に纏うと何処でもゆける魔法の神足通のカーペット。

ここで、彼らは隠元豆を大地にゆだね、そして眠った。

我々は自我の殻を破り、外に飛び出す。

大地は我々を抱擁し育んでくれる。

雨は降るかもしれない。

風は吹くかもしれない。

それは、一見困難なる外界の世界に晒される。

しかし、雨は却って我々を潤してくれるものであり、風は却って我々から害虫を払ってくれるものである。大地とは神様の譬喩だ。風雨はその摂理の象徴である。かくて風雨のはからいによって豆の種子「我々の個生命」は大地のなかに、神の大いなる慈手のなかに抱かれる。(329p)

牝鹿の脚がどう歩むかということは、神様が そのまま に教えてくださっている。

そのままにかえること、そのままに神の生命をわがものとし、神の智慧をわがものとし、神の叡智をそのままに、一挙手一投足をまかせ切ればよい。そのままになるにはそのままの世界と、人間のそのままの生命とが既に完全なることを知らねばならない。

神の完全なるみこころは既に「天」即ち実相の世界に、其処に住める実相の人間に既に成っているのである。それを知ること。それを見る事。観ずること。想念すること。言葉にあらわすこと。(220p)

精神を弛緩し、神に心を集中し、「我をなくならしめ給え」と祈ること。

浮世の煩労を捨て、常に良き言葉を黙然し、それを心の奥底に浸透せしめること。

このご本の最後のページに示された言葉どおりに、毎日を生きてもみよう思う。

このご本に出合えた幸せを、無にしないために。

きっと近いうちに、そのことの意義を、心からの歓びを、このブログに書けるような気がする。

 

 

 

 


北海道練成会のすばらしさ

2012-03-19 13:51:19 | 日記

生き方下手のわたしは、真理のことばは沢山知っているはずなのに、日常生活のなかで、悲しみを抱えてしまうことが時々あります。

そんなわたしにとって、「浄心行をさせていただこう…」と出かけていける、札幌での北海道一般練成会が身近にあるのは、本当に幸せなこと…思っています。

玄関のドアを開けると、いくつもの優しい笑顔が迎えてくれます。

いくつもの「ありがとうございます。」の声…。

「良く来たね…!」握手をしてくださろうとする、手…手…。

心のなかの悲しみが、消えていくような嬉しさです。

大道場は、心からの一礼をさせていただいて入ります。

「わたしはここで救われてきた…。そして、今日も救われて帰ります…。」

札幌で行われている北海道練成会は、みんなで作っている練成会…と感じます。

道場に、あふれるように練成受講者がいても、受身ではなく、みんなで盛り上げている…そんな感じがします。

講話をして下さっている先生も、一生懸命お話しくださいますが、聞いている受講者も、全身でそれぞれが祝福をして、先生の講和を応援しながら聞いている…そんなふうにみえます。

あたたかくて和やかないつもの風景は、多分、生長の家ならでは…のことと思います。

わたしは、体験談を聞かせていただくのが好きです。

自分の信仰の思い出と重なって、それぞれの方の、たどってきた道のりが見えるように感じるからです。

今回は、神宮総連の方の体験談がうれしく、印象にのこりました。

お見合いで結婚したご主人は、話しかけても眉ひとつ動かさず、返事が無い。会話が無い。

生まれた子供さんは自閉症。

教えに導かれながら歩んだ人生。

子供さんは無事育ち、会話の無かった旦那様とは、今は旅行できる日々。

「わたしは、今が一番幸せです。」のことばがありました。

一つひとつのりこえてきて、ほのぼのとした今のようすになれたのが見えるようで、「あ~よかった!」…です。

心がなごみます。

また来月も練成に行けるかな?

行きたいな。行けたらうれしいな。

神様に呼んでいただけたら、きっと行く時間が自然にできるはず…! ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


わたしはkame

2012-03-08 15:06:19 | 日記

 

亀のおはなし聞いてください。

お世話になった会社には、電話交換職で採用になりました。

皆様にお使いいただいている、100番とか104番、の係りです。

仕事は好きでしたが、10年もすると単調さに飽きてきて… 。

あの頃よく言っていた言葉が 「私の人生って、なにもないの…」 でした。

他に求めるものを探すようになり、思い出したのが会社へ採用された頃のことでした。

会社は札幌に学園を持っていて、採用になると訓練に出してくれます。

その頃、別の訓練で学園にきていた方たちと、すすきの、にみんなで飲みにでました。

その時、となりに座った男性が、わたしに言ったのです。

「運用のおばさんたちは…」 運用とは私達のいる交換室のことです。

「しゃべってばかりいて、さっぱり働かない。あんなふうにならない為にも、あなたも専門部を受けなさい」。

あの頃、会社は向学心のある社員を育ててくれる、専門部とその上の大学部という制度をもっていました。

専門部…受験してみよう。なにもない人生に、なにかが見えるかもしれない。そう思いました。

受験勉強が始まりました。

1年過ぎ…2年めが過ぎ…。仕事に行っている時以外はいつも勉強していました。

疲れてきて息がつまるように思って、外の空気を吸おうとベランダの戸を開けたとき、目の前に、幼い頃読んだ、うさぎと亀の童話の絵が見えました。

こんもりとまるい緑いろの山があって、頂上からつづら折の道があって、途中でうさぎが腕枕でいねむりをしていて、そのずっと下の麓のところを亀が歩いている絵です。

一生懸命足を運ぶ、短いしわだらけの亀の足がまじかに見えました。

わたしはその亀を見ながら、「あの亀、わたしに似てるな…」と思いました。

そして、「じゃあ、わたしはあの亀になろう…」と思いました。

歩みはどんなに遅くとも、一生懸命努力する人生を、自分はこれからは歩もう…とあの時心に決めたのです。

無事試験に受かって、あの男性が受けていたのと同じ、9ケ月の訓練を受けに札幌に出てきたのが、私の札幌生活の始まりです。

でも、札幌での恵まれた会社生活、3年ぐらい過ぎた頃、30年人事異動無く、同じところでずっと働いていた…という人が隣に転勤してきました。

なるほどくせがある。移動できないはず…。私にはまったく身におぼえのない話がまわりに伝わりだし、かかわったことのない人からも嫌がらせをされるような生活が始まりました。

そんな生活が5年過ぎ…10年過ぎ…、心が疲れ、暗い寂しい生活が続き、顔をあげるのも辛く思いながら過ごしていた、あの時は朝のラジオ体操をしていたときでした。

いつか見た亀が、いつの間にか山の頂上にいて、2本の後ろ足で立ち、右手に旗を持って嬉しそうにしている絵が見えたのです。

あの絵が見えた時は本当に嬉しく、どんなに勇気ずけられたでしょうか。

でも、絵の意味がわからない。

社会的地位とか、財産とか、そういうことではないのはわかります。

わからない?  わからない?  

5年たってもわからない。10年過ぎてもわからない。

わたしのこの世の寿命がつきて、死ぬまでにはわかるのかな…?そんなことを思って過ごしていました。

昨年の3月、団体参拝練成会に参加させていただいた最初の朝、起床放送で流れてきた 「真理への道はただひとつ。人間は神の子であるということである。 」 が、布団をあげながら耳にはいってきました。

大切な、でも、聞きなれた言葉です。

この言葉が、その後、ずっと自分のなかから浮かんでくるのです。

何回も、なんかいも。

耳についてるからかな?と思ってました。

でも、2日たっても、3日たっても、練成最後の日になっても、ふわりふわりと自分の中に浮かんでくるのです。

それで始めて思いました。

山の頂上の亀の絵の意味は、自分が神の子である、という意味なのかもしれない…と。

現象のわたしは大変いたらない。

まだまだ、麓を遅いあゆみで歩くわたしであるけれども、すでに最初から、尊い神の子であることを、心の底から喜こべる日がくる。

それを信じてこれからの人生を歩もう、と、今思っています。

見えない世界からの、あたたかい励ましの「亀の絵」は、わたしの、大切なたいせつな、宝物の思い出です。