なぜブログ?
自分がブログを書いている事は、ほんの2,3人にしか話していません。
しかし、長く続けていると、いつの間にか相当な数の人に読んでもらっているようで、激励してもらっているような気がして感謝しています。
先日、飲み会があり、ブログを書いてる事をチラッと話したら、「なぜブログを書くのですか?」という事を聞かれました。
ハテ!どう答えたらいいのか返事に困りました。
その時は、普段の生活の中で自然に湧き上がって来る疑問を、ブログを書くことで整理しその背景を考えられるから、というような返事をしたと思います。
その後、本屋で以前も紹介した事がありますが、「知の巨人、渡部昇一氏」の本を見つけて、その中に、まさに自分の答えるべき一節を見つけました。それを紹介します。
終生 知的生活の方法 渡部昇一 扶桑社新書 283
から引用していきます
76ページ8行目から
今はインターネットでどんな知識も網羅的に集めることが出来ます。でもインターネットでは補えない部分が実は一番核心的ではないかと思うのです。
自分の精神に関係した作業は、他の人のデータを集めるのとはまた違います。とにかくゆっくり活字をにらんで、また元に戻さないと育ちません。
引用終わり
以前自分は研究者として毎日実験していた日々がありました。
その時、パソコンで関連する英語の論文を探すと必ず印刷してからコピーを読んでいました。
コピーの活字を、眼で何度も追いながら、そのたびに頭の中でクルクルと論理が展開していき、最終的に頭の中で再構成されて自分の考えをまとめていくのです。
そのプロセスを経ることにより、仮説が正しい、あるいは間違い、それとも疑わしいけどホントかもしれないので捨てられない等と分別しながら仮説を実証するために実験を計画し実行します。
パソコンの画面で論文を読む、いわゆる電子ブックの形態では、うわべしかとらえられず、仮説の概念を演繹していくプロセスが出来ません。
インターネットで獲得する知識で満足すると、一番低いレベルで終わってしまう可能性が高いです。
大事な事は繰り返し眺めて頭に刻み込み何度も確認しながらだんだんと定着させていくものだと思います。
知の巨人は、この概念を外的、内的の2つに分けて説明しています。
引用続き
比喩的に言えば、外的な学問的業績は高層建築を建てるようなものです。かなり素早く組み立てることは出来ます。
しかし、自分の生活に根差した部分、内的生活が関与した部分は、樹木のようにゆっくりとしか育たないのです。しかも、ゆっくり育つ一番根っこの部分は土に隠れて暗い所にあります。
目立たないところ、ひっそりとしたところ、誰からも見られないところで、本一冊を前に考え込んだりしたことがだんだん自分のものになるのです。
引用終わり
研究者としての活動を外的なものとすると、私的な部分が内的です。内的生活はじっくりと育てないといけないとしています。
自分は前回の離島生活が始まった頃にブログをはじめました。
あれから、もう10年になりますが、内的生活に関した部分は、頭を使って文章にまとめることで格段に深化しています。
この内的生活のように、根本から何年もかけて一つの命題について考えて論理を組み立てて真理の探究をしているのが、数学者の世界です。
再び、本に戻って「知的巨人、渡部昇一」先生は、このパラグラフを次のようにまとめています。
77ページ 最後の2行引用
私は、樹木的な生活こそが本物の知的生活だと思います。
高層建築的業績は知的生産です。「生活」と「生産」は同じではありません。稀に一致することもありますが。
引用終わり
以上をまとめますと、大げさかもしれませんが、自分はブログを書くことで自分なりのちっぽけな知的生活を過ごしていると思っています。
ここまで来るのに10年かかっていますが、もっと深く掘り下げてものを考えられるようになりたい、死ぬまでそれを続けようと考えています。それがブログの形式のままなのか、それとも違う方向にいくのか分かりませんが、20年後には80代後半になりますので、その頃にはあの世から自分にもお迎えが来るのでしょう。
最後に、知の巨人が言う、稀に一致するのが前述の数学者なのではないかと思います。数学者が真理に近づくために、人生のすべてをささげている様子をそのうち紹介したいと思っています。
「知の巨人」の借金
2017年にも渡部昇一氏の本でブログに記事を書きました。
書庫、年寄りでも暗記力があがる、神様は隠れている、節穴から見える大広間の世界
https://blog.goo.ne.jp/toshimasanaka/e/509da6619239100b5cb375d646fbe25f#mce_temp_url#
2年前、86歳で亡くなられましたが、前回の本は80代半ばで出版されたのだと思います。今回の本は75歳くらいの時のエッセイをまとめているようです。
前回の本には、「77歳の時、死ぬときは自分が集めた本の中で死にたいと思ったので家を新築して理想の書庫をつくった」と書いてあります。その時に2億円を借金したそうです。77歳から10年で借金を全部返済できたのでしょうか。他人事ながらちょっと心配してしまいます。
また、今回の本には、巨人が若いころ、通俗小説の中の1シーンがきっかけで、子供が成人して40代、50代の頃に親の遺産を継ぐのは、子供にとって遅すぎると考えて、子供の教育費のために1億くらいの借金をしたそうです。
それが大学を定年で辞めた頃の話だそうです。だから、定年の時の借金を返済して、10年後くらいに老朽化した家を建て替えるため、新たに2億円も借金をしていたのでしょうか。なかなか普通の人には真似出来ることではないですね。
75歳、80代半ばで知の巨人がどう年齢を重ねていかれたのか、とても興味があります。そのうち、これも紹介できたらいいなと考えています。
自分と嫁さんも、子供の教育には随分お金を使いました。子供には十分尽くしたと考えて、嫁さんの残した遺産と自分で稼いだ金を自分のために有意義に使って楽しい余生を過ごしていきたいと考えています。
今週の後半千里に引っ越し
1年たたずに元の場所に引っ越します。
今回は、洗濯機や冷蔵庫、ソファ、テーブル、キャビネットなどを処分して、身の回りの物だけを持っていきます。家電のリサイクル費用1万3千円もいれて引っ越し代は4万7千円と安くすみそうです。
知の巨人は77歳で2億円の借金を背負ったそうですが、自分はそんな勇気はこれっぽちもありません。
貯金はそのままにして自分だけの小さな暮らしを実現したいのですが、いつまで収入があるか分からないので、自分の身の回りの環境をどんどん小さくしていこうと思っています。
週末には再び樹木や草がいっぱいの緑に囲まれた築50年の団地に戻ります。静かな環境で朝早く起きてゆったりと散歩するのが楽しみです。
今後の人生
すぐではないですが、そのうち今の勤務先を辞めようと思っています。
その後、どうするか、今、色々考えているところです。
海外移住なども調べてみましたが、ある程度の貯金があれば一定額をその国に投資することで移住出来るとかポルトガルでは一定の額の不動産を購入すると移住出来るのだそうです。
果たして、そこまでして海外に住んだとしても自分が納得する人生をおくれるかどうかは分かりません。これから先人の知恵を拝借して(本屋で探し回るだけですけど)、どうすれば自分の希望する余生を過ごせるか考えていくことにしています。