先日、尿検査の定量値がおかしいという問い合わせがあった。今や、どの施設でも検査の大部分は人間の手をわずらわせる事がないまま全自動で器械により分析されている。だから、データが変動するなんて、普通は考えにくい。
言い方は丁寧だが、内容は「責任者出てこい」である。「スミマセン、わたしが責任者です」と手を挙げて、あやまりながら指摘されたケースを調べてみると、確かに向こうの言う通りである。技師さんはしきりと首をひねり、なぜこうなったのか分かりません、と言っている。
さあ、どうする?いったい何が起こったのだろう。原因は何なんだ?
知的正直
渡部昇一 知的生活の方法http://ss-watanabe.seesaa.net/より引用
英語には、「知的正直(インテレクチュアル・オネスティ)」という言葉がある。知的正直というのは簡単に言えば、わからないのにわかったふりをしない、ということにつきるのである。ほんとうにわかったつもりでいたのに、それがまちがいだった、ということはある。
それはあてずっぽうのまちがいとは違うから、そういうまちがいなら、まちがうたびに確実に進歩する。しかし傍から見ていたのでは、あてずっぽうでまちがえたのか、ほんとうにそうだと確信しながらまちがったのか、その辺の区別はつかないのである。
その区別がつくのは、自分だけということになる。そこで「己れに対して忠実なれ」という、シェイクスピアの忠告が生きてくるのである。
引用終わり
データを分析する
普通、こんな時には、どこでも頭を抱えてひたすら怒鳴り声が頭の上を通過し小さくなっていくのを待つものだ。だけど、自分には奥の手がある。それがデータ分析だ。今日、木曜日は朝から1万件くらいのデータを抽出し、個人のデータが経時的にどのくらい変動するかを数百人レベルで分析してみる予定だ。
データ分析ソフトの力を借りれば、私の眼は、ちっぽけな人間の視点から時空を越えた神の視点へと変貌するのである。
ネットの記事に書かれていたコメントより引用
http://blogos.com/article/41653/?axis=g:0
「科学とは物理のことだが言うまいぞ」と言う物理学者の諺があるそうです。物理至上主義だけど、それをあからさまに言うと、数学者は気を悪くするし、化学者の立場がないし、…、という、いかにも日本人が考えそうな話なので長く記憶に残っています。
ところが、(どっこい)!科学の進歩は行き当たりばったり。たまたまできるようになったところが発展するしかないわけで、いくら金を積もうが今できないことはできない。たまたまできたので実用化してみると、今まで想像しなかった不都合がついてきた、なんて事の連続。
だから良識のある科学者は宗教を真っ向から否定する、なんて幼稚なことはしない。パスカルなんかは神がいることに賭けたほうが得だとまで言っている。未熟な科学が及ばないところでは、科学者は沈黙するしかない。
なぜなら、それが正しい科学者の態度だから。科学的にわからない、とか不明だ、とか言うのは、言っている本人が無能だと言うわけではなく、人類のだれもがわからないし不明だと言うことだ。
引用終わり
神様本位の病院で神に成り代わって
不肖ながら私も科学者の端くれである。神の存在を否定するどころか、神のいたずらのような出来事を身近に感じる人種であるので、私が、神に成り代わって神様の視点でデータを分析させていただくことにした。
いったいどんな結果が出るのだろうか。とんでもない事が分かるのか、それとも取るに足らない事象が発生したのか?
そんな訳で、ちょっぴり不安だけどワクワクしている部分がある。
いよいよ都合が悪くなったら、神様に責任をなすりつけよう、・・・・・
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