それにしても、モコモコだな
朝の電車が混んできました
人が入りきらなくて出発が遅れたりしてます。都会の満員電車かのように。
と言う訳ではなく・・・たんに、入り口に人が、かたまってしまって中があいてる状態になってます。
こういう状態は、5月になれば解消されてきます。みんな学んでくるんでしょうね遅れの解消まであと少しです
人が入りきらなくて出発が遅れたりしてます。都会の満員電車かのように。
と言う訳ではなく・・・たんに、入り口に人が、かたまってしまって中があいてる状態になってます。
こういう状態は、5月になれば解消されてきます。みんな学んでくるんでしょうね遅れの解消まであと少しです
仕事柄、法務局や裁判所にいくのだが、そこに設置してある自販機は普通より少し安い。
120円のコーヒーが100円で買えるのだ。
昨日、久々に裁判所でコーヒーを買おうとしたら…
90円になっている…。
用が無いのに寄ってしまいそうだ。
もう終わりじゃな
120円のコーヒーが100円で買えるのだ。
昨日、久々に裁判所でコーヒーを買おうとしたら…
90円になっている…。
用が無いのに寄ってしまいそうだ。
もう終わりじゃな
先日、親が還暦を迎え兄弟とその家族が集まり食事会を開きました。お盆やお正月でさえ一堂に会する事はしばらくなかったので、10人集まっただけでちょっと感動でした。子供には私の母のことを『ばあちゃんだよ』と説明しなければならないのですが同居していないせいか、今ひとつ馴染めません。母は母ではないか!とまだ思っているのですね。そのうち子が大きくなるに従って抵抗もなくなり、一人称もお父さんになり、嫁さんを呼ぶときも『おーい、かあさ~ん』となり、ゆくゆくは自らも還暦を迎え『じいちゃんなんかはポケベルからスタートだったんじゃがのう・・・』なんて言うようになるのでしょうか。行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらずですねぇ。
「そういう(言う)うこと」と書いて「そうゆうこと」と読む。
「言った」「言わない」のようにはっきりと「いった」「いわない」と発音するが
「言えない」「そう言えば」のように「い(ゆ)えない」「そうい(ゆ)えば」と「い」「ゆ」
どちらともはっきりしない発音のときもある。
日本語のおもしろいところかな。
また「花に水をあげる」「猫の餌をあげる」のような使い方をする。しかし「あげる」は「やる」の謙譲語だから「花や猫」には使わない方がいいのか・***しかし
かと言って「先生に花束をあげる」「社長にコーヒーをあげる」と言うとすこし「品」が無いように思う。この場合は「差し上げる」を使うべきだろう。
「あげる」は謙譲語ではあるけれど使っているうちにその「品格」がなくなってきたのであろう。
文雄「腹減ったろ、このシュークリームやるよ」
智美「うれしい!」
文雄「ボンちゃん、おなか減ったろ~、このにぼしあげるよ」
ボン「にゃ」
智美「わたしに”やる”で、ボンに”あげる”って、どういうこと!?」
「言った」「言わない」のようにはっきりと「いった」「いわない」と発音するが
「言えない」「そう言えば」のように「い(ゆ)えない」「そうい(ゆ)えば」と「い」「ゆ」
どちらともはっきりしない発音のときもある。
日本語のおもしろいところかな。
また「花に水をあげる」「猫の餌をあげる」のような使い方をする。しかし「あげる」は「やる」の謙譲語だから「花や猫」には使わない方がいいのか・***しかし
かと言って「先生に花束をあげる」「社長にコーヒーをあげる」と言うとすこし「品」が無いように思う。この場合は「差し上げる」を使うべきだろう。
「あげる」は謙譲語ではあるけれど使っているうちにその「品格」がなくなってきたのであろう。
文雄「腹減ったろ、このシュークリームやるよ」
智美「うれしい!」
文雄「ボンちゃん、おなか減ったろ~、このにぼしあげるよ」
ボン「にゃ」
智美「わたしに”やる”で、ボンに”あげる”って、どういうこと!?」