ハムスターが死んで一日。
まだハムスターの家はそのままにしてあります。
実感が湧かないというのもありますが、特に落ち込んでいるわけではありません。
ハムスターが死んだことはとても悲しいことですが、仕事柄、医学書などを読むことが
多いせいか、私は「死」というものに対して、
単なるタンパク質の反応の一つとしてしか考えていません。
だから、「死」に意味を求めることはしません。
同様に「生」というものもタンパク質の反応の一つに過ぎないと考えています。
よく漫画などで「生きることは死ぬまでの暇つぶし」というような台詞を見ますが、
私の考えもこれとほぼ同じです。
だからといって、楽しければいい、好き勝手に欲を満たせばいいとは思いません。
どうせ暇つぶしなら、有意義な暇つぶしをしたいと考えいています。
それが陰陽にそった生き方です。
子どもが生まれてから人間も動物の一部ということを再確認し、それ故に
自然に生きて自然に死ぬことが重要と考えるようになりました。
「自然に生きる」ということは「なるようになる」というような「諦め」の生き方ではなく
「陰陽」という「宇宙の法則」に則った生き方です。
理論を知ってもそれを実践しなければ意味はなく、ましてや「陰陽」などという
形のないものを取り入れていくのは本当に難しいことです。
そこで手っ取り早いのが「太極拳」だと考えています。
一般的に太極拳は健康を目的にやる人が多いです。
健康が目的ならウォーキングでも水泳でもいいはず。
では、なぜ太極拳じゃないといけないのか?
太極拳はその中に陰陽の理論を含み、自然の法則を形にしたものだからです。
そして、太極拳を練習することが陰陽理論を実践することだと思います。
太極拳の練習を通して陰陽を知ることが中庸を知ることにつながり、それが天人合一に
つながるんじゃないでしょうか。そしてそれこそが無為自然の道だと思います。
決して中庸というのは真ん中の事ではないし、無為自然も何もしないで自然に任せる
というような消極的な考えではありません。
「無為」とは単純に言えば「真実に心を置く」ということ、「自然」は「自ら然り」。
無為自然に沿った生き方ができれば、「生」も「死」も自然の法則の一部として積極的に
受け入れることが出来るんじゃないでしょうか。
まだハムスターの家はそのままにしてあります。
実感が湧かないというのもありますが、特に落ち込んでいるわけではありません。
ハムスターが死んだことはとても悲しいことですが、仕事柄、医学書などを読むことが
多いせいか、私は「死」というものに対して、
単なるタンパク質の反応の一つとしてしか考えていません。
だから、「死」に意味を求めることはしません。
同様に「生」というものもタンパク質の反応の一つに過ぎないと考えています。
よく漫画などで「生きることは死ぬまでの暇つぶし」というような台詞を見ますが、
私の考えもこれとほぼ同じです。
だからといって、楽しければいい、好き勝手に欲を満たせばいいとは思いません。
どうせ暇つぶしなら、有意義な暇つぶしをしたいと考えいています。
それが陰陽にそった生き方です。
子どもが生まれてから人間も動物の一部ということを再確認し、それ故に
自然に生きて自然に死ぬことが重要と考えるようになりました。
「自然に生きる」ということは「なるようになる」というような「諦め」の生き方ではなく
「陰陽」という「宇宙の法則」に則った生き方です。
理論を知ってもそれを実践しなければ意味はなく、ましてや「陰陽」などという
形のないものを取り入れていくのは本当に難しいことです。
そこで手っ取り早いのが「太極拳」だと考えています。
一般的に太極拳は健康を目的にやる人が多いです。
健康が目的ならウォーキングでも水泳でもいいはず。
では、なぜ太極拳じゃないといけないのか?
太極拳はその中に陰陽の理論を含み、自然の法則を形にしたものだからです。
そして、太極拳を練習することが陰陽理論を実践することだと思います。
太極拳の練習を通して陰陽を知ることが中庸を知ることにつながり、それが天人合一に
つながるんじゃないでしょうか。そしてそれこそが無為自然の道だと思います。
決して中庸というのは真ん中の事ではないし、無為自然も何もしないで自然に任せる
というような消極的な考えではありません。
「無為」とは単純に言えば「真実に心を置く」ということ、「自然」は「自ら然り」。
無為自然に沿った生き方ができれば、「生」も「死」も自然の法則の一部として積極的に
受け入れることが出来るんじゃないでしょうか。
「ちびまきこ」で定着してしまいましたね。
「◯しまななこ」はやめました?
確かに「死」を身近に感じる事が一番「生」を実感できますね。
阪神大震災の時、心の底から「生きててよかった」って思いました。
でも、いつか死ぬと分かっていても、みんな自分が死ぬなんて本心ではなかなか思えないものですね。
もしかしたら自分は不死なんじゃないかって勘違いすることもあります。
「生」ばかり考えると享楽的になってしまうし、「死」ばかり考えてしまうと、すべてが無駄なことに思えてしまい、ニヒリズムに陥ってしまいます。
結局はバランスなんでしょうね。
「生」には「死」も含まれているし「死」にも「生」が含まれています。
ちびまきこさんが、「今が幸せ」と感じるということは今の「生」の中に「死」が含まれているのを理解しているからだと思いますよ。
そうでないと、「今」という時が当たり前の物になってしまい、幸せな時間として認識出来ないと思います。
私も常に「今」が最高の時と思っています。
そして、「今」より1秒後の方がより最高になると思っているし、そうなるように努力しようと思っています。
待っているだけでは幸せになれないですからねぇ。
幸せは掴むもの、夢は叶える為にありますね、おやすみなさい(∪o∪)。。。