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日常の記録を気の向くままに書いています。

朝活

2024-05-27 14:52:00 | 日記

ここ数年、春分の日辺りから俄然早起きになる。それを利用して?今日は朝活。
毎朝6時30分になると、近所のお寺から聞こえてくる鐘の音は、とても心が落ち着く。鐘を撞く時間に間に合いそうだったので、散歩がてらお寺へ向かってみた。
ちょうど三つ目の鐘の鳴ったところで入山し、六つ目の鐘の音を聞いてから本堂へ手を合わせ、境内を少し入ったところの聖観世音菩薩さまにお参りをした。

さて、私は思考が忙しいタイプ。常に考えてもしょーもない思考がぐるぐると回っているので、頭は「世のため人のために使うのだ」と聞いてきたが、どうやったら思考癖を止められるのかどうしても分からなかった。
・頭で考えないで感じる
・思考を手離す
・考えても仕方ないことは考えない
…色々な言葉を聞いてきたけれど、ついつい先日、「そ、そう言うこと⁉️」と腑に落ちる言葉との出会いがあった!!

思考をやめて。
黙って。
頭の中のおしゃべりをやめて。
そして、心の声(自分の奥の声、魂の声)を聞いて。
…頭で考えている自分は常に喋っているのと同じことなんだよ。そのおしゃべりをやめて、自分の本当の声を話させてあげて。

…そんなの当たり前のことじゃん⁉️という人にとっては「全く難しくないのだろう」と思うが、常に感情や思考に支配されているような私にとっては、目から鱗のようなことだった。

『自分の話をやめて、私の心の話を聞く。』

ああ…そういう事だったんだ。
そう心の奥の方で感じたら、雑念を止めることがあまり難しくなくなったように思う。
もちろん、「考えても仕方ないことを思考する」のは私の性質なので、それがなくなる訳ではないけれど、思考から離れることは出来るようになったみたいなのだ。

「毎日真言を10回唱えてみて」とか、
「結跏趺坐を組んで聞こえてくる音を聞いてみよう」とか、
「浮かんでくることをただ見つめて追わずに流そう」とか、
思考から離れるために色んな角度から言葉をもらってきたけれど、
「話すのをやめて。黙って。」
私にとっては、それが一番分かりやすかった。


話は朝活に戻る。
観音様の前に立ち、頭の中のおしゃべりをやめたところ、ただただ観音様を感じることに集中できた!
そのあと言葉を伝えてみようとしたら、急に思考の世界になってしまったので、しばらくはただみ前に立つことをしようと思う。


真言を唱えることの意味、それは、
「意識をそこに集中させて思考から離れること」
だったんだな…。
そのために教えてもらっていた事だったのに、私は真言を唱える度に
「いま何回目?」
「ああ…分からなくなっちゃった…」
「また色々考えちゃった…」
などなど思考ぐるぐる状態で、しかも自己否定状態だった。ほんとしょーもなかった。。

こんな風に心が軽くなる時が来るなんて、感謝しかない。今回、ハッと気づくことのできた救いの言葉に出会わせてもらえたこと、今まであらゆる角度からの言葉をかけてくれた沢山の存在に…心より感謝を捧げたい。いや、捧げます。

次のテーマは…
「自分を大切に扱う」
思考から離れ、頭のおしゃべりをやめて静かに心の声が聞こえてくるのを待ち、どうすると「自分を大切に扱う」ことに繋がるのか。それを感じたいと思う。