僕とカイロプラクティックとの出逢い・・・・
それは7年位前だったかな???
僕には二人の姉がいます。その内の次女ですが、彼女は僕より一才上です。
その姉が結婚し長男を出産した後、酷く腰痛が出ていたようでした。出産後かなり活発に動いてまし。
今思えば出産しホルモンの影響で靭帯が緩み出産後、不安定な骨盤で動き回れば腰痛が出るのは至極当然!
そんな姉は近くのカイロプラクティック院に行ったようです。改善したかはさだかじゃないけど・・
骨盤ベルトを勧められたようでそれから数ヶ月前まで昼間ははめつづけていました(笑)
そしてある日、私もカイロプラクターになる!!と姉は言い出しました。
その時、僕は初めて姉の話を聞き「カイロプラクティック??」なにそれ・・?確か昔、漫画の「湘南爆走族」の原沢がやってたなぁ・・
ってなかんじでした。
どーも姉の話によると通っていたカイロプラクティック院の先生に「一週間のセミナーであなたもカイロプラクターになれますよ・・・」って
言われたようで、昔から活発で自立心旺盛な姉でしたから直ぐにはいりこんでしまいました。
数カ月後、我が家に白衣を纏った姉がマットレスと枕を持ってやって来ました。
なんという行動の早さ・・・流石だね!!
早速姉に治療を施してもらいました。カイロプラクター姉に・・あんた体がゆがんでるよ!布団や枕が悪い!!
私の会で(どーやら姉は全国ナンチャラ普及協会とやらでカイロを習ってるよでした)布団と枕で寝ないと治らないよ!!
なにぃーそれがないと治らないのかぁ・・(僕)じゃーちょうだいよと言ったら (姉)アホ幾らすると思ってるのウン十万円するのよ!
そして姉は2年後位に自宅で治療院開業しました。
調度その一年後、世の中はリーマン・ショックが起きトーゼン僕の会社(自動車関連です)も大打撃!!
トーゼン僕の会社でも「派遣切り」が行われました。 今まで仲間としてやってきた人たちが次々と辞めさせられていった。
今まで一緒にバーベキュウしに行ったりアホなこと喋ったりしていた仲間が(ブラジル人もいた)・・彼らは社員よりも数倍仕事をしていた・・
そんな仲間が次の職も決まらないまま、どんどん辞めさせられていった・・・・実際は会社が派遣会社との契約を解除した。
僕の怒りは収まらず上司に怒鳴りにいったこともあった。(無意味なのは分かっていたけど)必死に就職先を探してあげ紹介もした・・・
それから僕は会社に対する信頼はゼロ!!
派遣切りについては賛否両論ある。経営者側の気持ちもわかるが・・・・本当に無責任なのは派遣会社ってことも
だが僕の哲学では都合よく使って都合が悪くなるとポイなんて考えられない(それが会社にとって派遣社員のメリットだろうけど)
まるで虫けらのように・・・・
確かに社員は守られている! だが僕は昔の親方企業のような人情味溢れた感じがすきだ・・
こんな会社はゴメンだと思ったのはその頃だった。
そしてある日姉の家に遊びに行った。姉の治療院は順調だった(主婦の傍らにも限らず日に8人の施術らしい)
結構カイロってもうかるのね!!!!!!
興味が湧いた僕はネットでカイロについて調べまくった。そこに書いてあるカイロプラクティックとは姉がやっているものとはぜんぜん違うモノだった!
アメリカなどではカイロプラクティックの大学があり国や州でドクターとして認めている。
一週間のセミナーでカイロプラクター??・・・・レベルが全然違うじゃないか・・・しかし姉はそれで儲けている・・・・
どうせやるなら本物に・・・勉強してやるぞっと思ったが僕には既に三人の子供が・・・アメリカに渡るわけにもいかない・・・
じゃあ日本でしっかり勉強できるところはって探したら大阪や横浜に4年生の学校があったがやはり仕事を辞めたら家庭を養うことができない・・クソッ
では名古屋に良いところは??あったよ「日本カイロプラクティック専門学校」ここには榊原直樹http://www.sportsdoc.jp/すごい先生が講師にいるじゃない!ここなら間違いない・・そして嫁に僕の熱い気持ちを伝え説得しました。さすがに妻も悩んだ挙句許してくれました。
早速面接へ なんと夜間の授業があるとの事(18時~)
リーマン・ショックもあり仕事が激減してていたが、僕にとっては好都合でした。役職に就いていた僕が何も言われずに定時(17時)で帰れることなんて今まで無かったから。
会社は豊田市、学校は名古屋駅・・・17時に仕事が終わり18時に授業が始まる。車じゃ通勤ラッシュ時に到底間に合わない電車も間に合わない。
そうだバイクならどうだ!!そして僕は学校へ通うため中免を取りビックスクーターを買った。
毎日いつ事故をしてもおかしく走りで(車の間を縫うように)雨の日も嵐の日も寒い冬も通ったのだった。
続きは又・・・・・・
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