終戦後の食糧難で家計を助けようと、少年時代から働き始め、ある新聞社の、よく「子供さん」と呼ばれる、記者クラブなどに原稿集めで回る、きつい仕事をしていました。今のようにパソコンなど便利なものがない時代です。
自転車や電車を使い、一カ所とか官庁街なら順番に原稿集めをするのです。
何年かして、途中から編集局校正課に配属になって、通学する時間がなくなり、日大三高(当時は東京・赤坂)夜間部を中退しました。
その頃は例え中退でも、日大三高に在籍したことに誇りを持っていましたよ。
でもね、最近問題になっている、まるで破落戸(ごろつき)集団としか思えない、責任者雲隠れ所業が恥ずかしくなり、今後日大三高に在籍したことは、口外しないようにいたしました。
当たり前だと思いませんか?