そろそろ終わりも見えてきた第12弾。
土日明けの月曜が授業数7っていうのは、学校側の不備なのではないでしょうか、と1年も終わりに近づいてきた今日この頃に思い始めました。
週明け開幕から怒涛の「英・英・数・数・英・数・数」は、もはや私個人への悪意さえ感じさせます。
月曜の基本コンセプトは「英・英・選択科目・選択科目・選択科目・選択科目・選択科目」なので、普通の人は文系科目が入ったりして休憩したりキャッキャウフフしたりできるわけですが、それがない。
月曜からこんなハードスケジュールでは学校に行きたくても行けません。いや、行きません。
さて今回のフィールド魔法である「博麗神社 -Utopia Hortus-」。例によって奇怪なアルファベットが並んでいます。「Utopia Hortus」とは「理想の土地」という意味だったような気がします。
Utopiaとは日本語に直すと“ユートピア”。ユートピアは“理想郷”という意味ですが、元来この“ユートピア”とは我々が思い描いているような綺麗な野原に優しい風が吹いていて、、、という場所の事ではなく、経済学思想における理想の経済体制を指すことが多かったようです。
経済学を学ぶ上ではもはや通らずにはいられない「マルクス」とそのマルクス経済学。彼は共産主義者を自称していましたが、実際は社会主義者だったそうです。社会主義と共産主義の違いは、私有財産を認めているかいないか、生産手段がどこに属するか、生産物がどのようにして配分され消費物となるか、です。社会主義では、私有財産を認め、生産手段が資本家の利潤生産機構にならないよう国が管理し、生産物は労働者が労働者のために消費物とすることができるというもの。共産主義は、私有財産は認めず(というよりは必要なく)、生産手段ももはや国の外に属し、生産物は全ての国民に平等の消費物となって分け与えられるというものです。共産主義において何故私有財産が必要ないかと言えば、高度に経済・生産が発展した共産主義においては、私有財産などもっていなくとも全ての国民が十分に満足できるからです。
我々は「社会主義」ときくと、私有財産を没収され、貧しい暮らしを送らされているイメージがありますが、社会主義はむしろ私有財産を肯定している経済制度です。共産主義も別に否定しているわけではなく、もはや必要が無いという意味で私有財産の否定なわけです。
社会主義はソ連をはじめとした様々な国が失敗に終わっていったように、けっして上手くいく経済体制ではありません。理念は素晴らしいですが、人間の競争心を用いない経済体制は発展性に欠けてしまうという欠点があります。
マルクスの経済論で注目すべきは社会主義の素晴らしさではなく、資本主義が抱える致命的な欠落部分でしょう。
資本主義とは基本的に、大国が小国から利潤を搾取する事で成り立っているわけですから、いずれは全ての国が一定水準の経済成長をしてしまう「世界」という枠組みの中では確実に破たんする制度です。
そのときにどうするかはわかりません。戦争をしてリセットし、再び貧しい国を創り上げるのか。はたまた何か別の経済体制を考えるか。
そんな歴史の動く瞬間に、是非とも立ち会いたいものですが。。。私が生きている間には起きそうもありません。
というか、いつから経済思想のブログになったんでしょうねぇ
≪神槍「スピア・ザ・グンニグル」≫
≪神霊「夢想封印」≫
≪不死「火の鳥 -鳳翼天翔-」≫
≪博麗神社 -Utopia Hortus-≫←このカードが話の発端
土日明けの月曜が授業数7っていうのは、学校側の不備なのではないでしょうか、と1年も終わりに近づいてきた今日この頃に思い始めました。
週明け開幕から怒涛の「英・英・数・数・英・数・数」は、もはや私個人への悪意さえ感じさせます。
月曜の基本コンセプトは「英・英・選択科目・選択科目・選択科目・選択科目・選択科目」なので、普通の人は文系科目が入ったりして休憩したりキャッキャウフフしたりできるわけですが、それがない。
月曜からこんなハードスケジュールでは学校に行きたくても行けません。いや、行きません。
さて今回のフィールド魔法である「博麗神社 -Utopia Hortus-」。例によって奇怪なアルファベットが並んでいます。「Utopia Hortus」とは「理想の土地」という意味だったような気がします。
Utopiaとは日本語に直すと“ユートピア”。ユートピアは“理想郷”という意味ですが、元来この“ユートピア”とは我々が思い描いているような綺麗な野原に優しい風が吹いていて、、、という場所の事ではなく、経済学思想における理想の経済体制を指すことが多かったようです。
経済学を学ぶ上ではもはや通らずにはいられない「マルクス」とそのマルクス経済学。彼は共産主義者を自称していましたが、実際は社会主義者だったそうです。社会主義と共産主義の違いは、私有財産を認めているかいないか、生産手段がどこに属するか、生産物がどのようにして配分され消費物となるか、です。社会主義では、私有財産を認め、生産手段が資本家の利潤生産機構にならないよう国が管理し、生産物は労働者が労働者のために消費物とすることができるというもの。共産主義は、私有財産は認めず(というよりは必要なく)、生産手段ももはや国の外に属し、生産物は全ての国民に平等の消費物となって分け与えられるというものです。共産主義において何故私有財産が必要ないかと言えば、高度に経済・生産が発展した共産主義においては、私有財産などもっていなくとも全ての国民が十分に満足できるからです。
我々は「社会主義」ときくと、私有財産を没収され、貧しい暮らしを送らされているイメージがありますが、社会主義はむしろ私有財産を肯定している経済制度です。共産主義も別に否定しているわけではなく、もはや必要が無いという意味で私有財産の否定なわけです。
社会主義はソ連をはじめとした様々な国が失敗に終わっていったように、けっして上手くいく経済体制ではありません。理念は素晴らしいですが、人間の競争心を用いない経済体制は発展性に欠けてしまうという欠点があります。
マルクスの経済論で注目すべきは社会主義の素晴らしさではなく、資本主義が抱える致命的な欠落部分でしょう。
資本主義とは基本的に、大国が小国から利潤を搾取する事で成り立っているわけですから、いずれは全ての国が一定水準の経済成長をしてしまう「世界」という枠組みの中では確実に破たんする制度です。
そのときにどうするかはわかりません。戦争をしてリセットし、再び貧しい国を創り上げるのか。はたまた何か別の経済体制を考えるか。
そんな歴史の動く瞬間に、是非とも立ち会いたいものですが。。。私が生きている間には起きそうもありません。
というか、いつから経済思想のブログになったんでしょうねぇ
≪神槍「スピア・ザ・グンニグル」≫
≪神霊「夢想封印」≫
≪不死「火の鳥 -鳳翼天翔-」≫
≪博麗神社 -Utopia Hortus-≫←このカードが話の発端