「失われた時を求めて」第3篇に、
「時間の運動を不滅のままに留める術を知っていた」画家のことが書いてある。
一瞬間を画布が固定して最も消え去りやすいものの印象を留めるからこそ、
「人々は身に感じるのだ、
婦人は間もなく帰って行き、
小船は消え、
影は移動し、
夜が来ようとしていることを、
快楽は終わることを、
人生は過ぎ去ることを、
そしてそこに境を接して一緒に連なっているかくも多くの光によってもまた
同時に示されるそれらの瞬間は、
もう二度と見出されはしないということを。」
僕もこういう画家の描いた絵を居間に飾っている。
確かに、画布の上に、一瞬間が固定されている。
しかし、誰かが去って行くのだ。
あるいは、誰かが遅れてやって来るのだ。
人生は過ぎ去るか、まさに訪れて来るのか、
どちらかだ。
いずれにしても、
人は気がかりなのだ。
ゆえに、人は心も体も
門口に立ち尽くす。
もし前者ならば、人は虚無への移ろいを知ることになる。
もし後者ならば、人は命の燃焼を味わうことになる。
その答えを決める者は、
その画布を見ている者しかいないか。
僕は今夜も酔っている。
けれど、
断言したい気分だ。
この画布では、
「誰かが遅れてやって来るのだ、
人生はまさに訪れて来る」、と。
その画家の名を君は知りたいか。
知りたいならば、
教えてもよい。
知りたくない者には教える必要もないだろう。
最新の画像もっと見る
最近の「四方山話」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事