岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

粟散辺土

京都府南丹市美山町から帰ってきた友人が見せてくれた畑の画像を見て、「黍だと思う。雑草じゃない。明らかに栽培している」彼女は異見を唱えなかった。その彼女の土産話に刺激を受け、滅多に読まない「現代日本紀行文学全集」をあちこち捲っていると、芥川龍之介の「松江印象記」の中の一節、「・・・掘割に沿うて造られた街衢の井然たる事は、松江に入ると共に先づ自分を驚かしたものの一つである」が、目の中に飛び込んできた。調べてみると、「井然」は広辞苑にも登載されている。龍之介の2倍以上の人生を生きている自分が知らない言葉。空しく馬齢を重ねるとは、誠に自分のことなんだな、自省した。一晩寝て起きたら、「待てよ、黍ではなく、粟かも」と疑念が生じた。調べてみると、例の画像は、収穫前の夏粟の穂だということが分かった。アワててもいなかったので、粟について少し調べていたら、平家物語に辿り着いた。そこに「わが朝は粟散辺地の境」とある。インドや中国から見た日本は、粟粒を散らしたような小さな国、ということだ。鎌倉時代の物語作者が知っていた言葉を、800年以上経過してから知った私。この時間差は、しかし、私のせいではない。結論、粟だろうと黍だろうと、どんな些細なものでも、突き詰めて行くと、なかなか深いものが潜んでいるということだ。


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