ネット上で、腕時計のベルト調整をしてくれる店舗を探した。私の調べた範囲内では、多治見市内にはなかった。ベルト取り換えをする店舗はあった。そこで、「ダメ元だ」と自分に言い聞かせながら、有り合わせの器具を用いて、銀色の金属製のベルトの一部を外し、自分の腕回りのサイズに合わせた。何とか出来た。この時計、5千円程で「ラクマ」で買ったもの。どうも「LIGE」の偽物らしい。盤面に「automatic」と刻印されているが、よく止まる。娘に尋ねると、返品はできない、との返事。電車に乗って、大都会の時計専門店に行って、数千円のベルト調整料を支払って、もし使い物にならなかったら、ただでさえ馬鹿者なのだからさらに大馬鹿者になってしまう。そこで、「ダメ元だ」と自分に言い聞かせながら、ベルト調整に挑んだわけだ。話は少々飛ぶが、ある時計専門家が、「秒針が止まらない機械式時計の場合でも秒針を合わせることは、できる。しかし、1日経てば、必ず狂います」と言っている。専門用語で、「日差」と言うらしい。確かに、電波時計でも夜中に自動的に修正している。甚だ香しい哲学的な匂いのする話だ。ブラックホールの内部においては、時間さえ我々の考えるものとは違ったものになるという説がある。往年の米国映画「イージーライダー」の冒頭、主人公の長髪の若者は、腕から時計を外し、路傍に投げ捨てた。時計の針の動きに自分の鼓動の高鳴りを合わせるのは、思えば馬鹿らしい習慣だ。もし恋人が傍にいたら、僕は「さあ、二人だけの時間を生きよう」と言うだろう。大切なのは、ベルトや秒針の調整ではなく、自分の心の調整だ。自分以外に自分のネジを正しく巻いてくれるものなどいない。