庭と言っても、広大なので、
まずJR中央線で南木曽駅まで行き、
そこから見回りを始めた。
世の人は、そこを「旧中山道」と呼ぶ。
おら、自分の庭が人から何と呼ばれても、
気にも留めない。
おらの庭はおらの庭だ。
きょう久し振りに庭の見回りに出かけて、
とうとうこんな日が来たか、と思った。
妻籠、馬籠もニセコのようになってしまった。
日本人より外国人のほうが多い。
擦れ違うのは外国人ばかりだ。
10人いたら9人が外国人、ではない。
10人いたら11人が外国人なのだ。
そこまで、おら、言うよ。
それでも、
おら、擦れ違う外国人には日本語で挨拶をする。
なぜなら、そこはおらの庭だからだ。
きょう、馬籠峠まで15分の所にある茶屋(無料の接待がある)で世間話をした。
75歳の爺やはよく喋った。
木曽節も聞かせてくれた。
その話によると、
去年3月、英国の放送局が取材に来た。
それも昔のボンドガール(今は婆ちゃん)を連れてきた。
爺やの木曽節は、英国全土に放映されたということだ。
馬籠、妻籠、その周辺の何が外国人を引き付けるのか。
緑の山々、川の流れ、古い町並み。
おらたちには特に珍しくも何ともないが、
そういうものが素晴らしいのだろう。
おらの庭、実は、おら、冬が一番いい、と思う。
きょうも、粉雪がひらひらと舞い、
男滝女滝周辺の岩肌は凍り付いていた。
おら、誰もいない山の中の細い山道で蹲り、
足の痛みに耐えつつ、
木曽桧の300年を思った。
年輪は、数えるべき時が来れば、数えるのがよい。
人が過ごす一刻一刻は、しかし、数えるべきではない。
捨てながら、
何もかも捨てながら、
捨てて捨てて進んでいく、
これが木曽桧の300年に立ち向かえる生き方だろうな。
爺やはおらに茶をすすめてくてた。
「何杯でも好きなだけのんでくれ。
水は山の水だから、いくらでもあるからよ」
水だけで、しかし、腹は膨れない。
植林から伐採までの300年、
爺やの祖先たちの苦難は、
どんなものだったのか。
待つものは待つ。
待たないものは待たない。
流れるものは流す。
汲み取るものは汲み取る。
川は流れる。
風は吹く。
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