岐阜多治見テニス練習会 Ⅱ

きようを絞れば 2

無念無想を意識下に求めるのは愚。心を無にする私の方法、それは、たった一つのことに没入すること。一つのことに沈潜すれぱ、それ以外の事象は全て心から締め出される。すなわち、連想をやめること、これが無の境地。すなわち、絵空事としての無はあるが、無の実現化はありえない。この私の想念と仏教の非想非非想天、或いは、煩悩即菩提とを関連付けることは、筋違いの噴飯物だろうか。

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