今朝はもっと寒いかと思ったのですが、
なからいさんと、「あきちゃん」使いの平井さんにだまされた気がするのは
わたしだけ?
さて、
この曲が前回リバイバルで流行ったのは、小生が中学生だった20年前。
「笑っていいとも!」でまだタモリが料理を作っていた時代の話。
その金曜レギュラーには、今では政治家面している田中康夫とともに山本コータローが出演していて、
その流れでなぜかこの曲がちょっとヒットしちゃったっけ。
そして最近、某所でまた、なんとなく流行っているのが、
そう、懐かしの山本コウタロー&ウィークエンドの名曲「 岬めぐり」
その流行っている理由はこちら。
・ そらのおとしもの 第2話ED
この動画、youtubeで何週か1位を取った代物。
おかげで、
・【2ch】ニュー速クオリティ:「日本人はヘンタイ」「日本人は狂っている」 パンツが空を飛ぶ動画に海外から非難
と大人気
amazonで「岬めぐり」と検索しても、
「関連サーチ: そらのおとしもの, 見月そはら. 」とちゃんと出る
さてその件の名曲、みなんさんちゃんと空で歌えます?
どうだ
(何がどうだか分からんが)
で、どう見てもこの曲の趣旨は失恋傷心バスツアーです。
「2人で行くと約束したが 今ではそれも かなわないこと」とあるので間違いが無いでしょう。
2番を見ると更に分かります。(ここ山椒)
で、その悲しみは「深く海に沈めた」らしいです。
コンクリートにでも詰めたのでしょうか
で、処理が済んで、「街に帰ろう」です。
町ではありません、街です。
どう見ても都会です。
コンクリートジャングル、荒みきった心。。。。。
元々は高度経済成長期に作られたフォークソング(1975年作らしい*1)だけあって、
曲調は「ふえは歌う」のような明るいリコーダー演奏から始まるのに、
人々の心をぎゅっと握る歌詞が歌われています。
さて、同じ1975年に発表されたフォークソングの一つに
高石ともやとザ・ナターシャー・セブンの「十字架に帰ろう」と言う曲があります。
どう見てもカントリー(というかブルーグラス)の、いわゆる「アメリカ民謡」(*2なのだけれども、
その歌詞はこんな感じ。
高石さんはキリスト教会の回し者でも何でもないのですが、(*4
この曲は教会関係では未だに良く歌われています。
さて、この2つの曲の内容が、
「悲しみが~止まらない」のはどちらも同じなのですが、
前者が「海に沈める」ことで解決してしまおうとするのに対し、
後者は「帰ろう」と勧めています。
前者がはっきり「恋の悩み」であることに対し、
後者がどのような悩みなのかは語っていないのではっきりしませんが
しかしその悩みを抱いて、悲しみを抱いてさまよっていることは、間違いないようです。
そして荒波にもまれ、流されていくうちに、やっぱり帰るべき場所が「港」であると気付くわけです。
海に深く沈めたつもりでも
沈まない、いや、沈んだら沈んだで悲しくて
飲んで気を紛らわせるか、都会の雑踏の中でバカ騒ぎをするか。。。。。
「街に帰ろう」と歌っています。
賑わう街、「群衆の中の孤独」、そして。。。。。。
本当に必要なのは、街のざわめきではありません。
帰るべき場所です。
*1 もっと古いと思っていたら、俺様が5歳の時の歌か!とはいえそれも、30年以上前
*2 「アメリカ民謡」なるものがほんとうに成立するのか?と言う疑問は今でも持っているんだけどね。200年しか歴史の無い国で、民謡と呼ばれても。。。。。
*3 教会関係で歌われている歌詞では、
「帰ろう 十字架に イエスさまのもと」となっていることが多いです。
*4 もちろん、いわゆる信者でもないし、現在も立派に「札所巡り」などされている(公式HPより)
なからいさんと、「あきちゃん」使いの平井さんにだまされた気がするのは
わたしだけ?
さて、
この曲が前回リバイバルで流行ったのは、小生が中学生だった20年前。
「笑っていいとも!」でまだタモリが料理を作っていた時代の話。
その金曜レギュラーには、今では政治家面している田中康夫とともに山本コータローが出演していて、
その流れでなぜかこの曲がちょっとヒットしちゃったっけ。
そして最近、某所でまた、なんとなく流行っているのが、
そう、懐かしの山本コウタロー&ウィークエンドの名曲「 岬めぐり」
その流行っている理由はこちら。
・ そらのおとしもの 第2話ED
この動画、youtubeで何週か1位を取った代物。
おかげで、
・【2ch】ニュー速クオリティ:「日本人はヘンタイ」「日本人は狂っている」 パンツが空を飛ぶ動画に海外から非難
と大人気
amazonで「岬めぐり」と検索しても、
「関連サーチ: そらのおとしもの, 見月そはら. 」とちゃんと出る
さてその件の名曲、みなんさんちゃんと空で歌えます?
あなたがいつか 話してくれた
岬を僕は 訪ねて来た
2人で行くと約束したが
今ではそれも かなわないこと
岬めぐりの バスが走る
窓に広がる 青い海よ
悲しみ深く 海に沈めたら
この旅終えて 街に帰ろう
どうだ
(何がどうだか分からんが)
で、どう見てもこの曲の趣旨は失恋傷心バスツアーです。
「2人で行くと約束したが 今ではそれも かなわないこと」とあるので間違いが無いでしょう。
2番を見ると更に分かります。(ここ山椒)
で、その悲しみは「深く海に沈めた」らしいです。
コンクリートにでも詰めたのでしょうか
で、処理が済んで、「街に帰ろう」です。
町ではありません、街です。
どう見ても都会です。
コンクリートジャングル、荒みきった心。。。。。
元々は高度経済成長期に作られたフォークソング(1975年作らしい*1)だけあって、
曲調は「ふえは歌う」のような明るいリコーダー演奏から始まるのに、
人々の心をぎゅっと握る歌詞が歌われています。
さて、同じ1975年に発表されたフォークソングの一つに
高石ともやとザ・ナターシャー・セブンの「十字架に帰ろう」と言う曲があります。
どう見てもカントリー(というかブルーグラス)の、いわゆる「アメリカ民謡」(*2なのだけれども、
その歌詞はこんな感じ。
悲しみ積んだ船は どこまで行くのか
波にもまれ この世に 浮かぶ おいらは船だよ
帰ろう 十字架に 造り主のもと(*3
船が 港に 休むように 十字架に帰ろう
高石さんはキリスト教会の回し者でも何でもないのですが、(*4
この曲は教会関係では未だに良く歌われています。
さて、この2つの曲の内容が、
「悲しみが~止まらない」のはどちらも同じなのですが、
前者が「海に沈める」ことで解決してしまおうとするのに対し、
後者は「帰ろう」と勧めています。
前者がはっきり「恋の悩み」であることに対し、
後者がどのような悩みなのかは語っていないのではっきりしませんが
しかしその悩みを抱いて、悲しみを抱いてさまよっていることは、間違いないようです。
そして荒波にもまれ、流されていくうちに、やっぱり帰るべき場所が「港」であると気付くわけです。
海に深く沈めたつもりでも
沈まない、いや、沈んだら沈んだで悲しくて
飲んで気を紛らわせるか、都会の雑踏の中でバカ騒ぎをするか。。。。。
「街に帰ろう」と歌っています。
賑わう街、「群衆の中の孤独」、そして。。。。。。
本当に必要なのは、街のざわめきではありません。
帰るべき場所です。
*1 もっと古いと思っていたら、俺様が5歳の時の歌か!とはいえそれも、30年以上前
*2 「アメリカ民謡」なるものがほんとうに成立するのか?と言う疑問は今でも持っているんだけどね。200年しか歴史の無い国で、民謡と呼ばれても。。。。。
*3 教会関係で歌われている歌詞では、
「帰ろう 十字架に イエスさまのもと」となっていることが多いです。
*4 もちろん、いわゆる信者でもないし、現在も立派に「札所巡り」などされている(公式HPより)
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