泣きながら、撤退同盟

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都会の絵の具に、染まらないで帰ってぇ!(東京くんだりその3

2009-10-23 | お出かけ日記☆
またしても、「東京くんだり」の話。その3回目。


前回、というのはこの時の話だけど、
わたくしめが「大宮市に住み、東京港区高輪の高校へ3年通った」話をしました。

ということで、久しぶりに大宮に行ってみました。
長女が1歳のとき以来ですから、9年ぶりです。


実はわたくしめ、実家はすでにない。

この場合の「実家」というのが、親が現在住んでいる場所でいうのか、生まれた場所と言う意味で言うのか、難しいのだけど、
「親が現在住んでいる場所」は埼玉県ではなく、静岡県。
ということで、大宮市には実家が無い。
けど、静岡の両親の元へ行っても、両親に会うのはやぶさかでないが、自分が住んでいた場所ではないので、何の愛着も湧いてこない。

以前両親が(自分もだけど)住んでいた場所には、兄家族が住んでいて、
家はとっくに新築の良いおうちに変わっている。

宅地開発が激しいところなので(東京駅から30k圏内)、周辺もすっかり変わっているらしいし。
(googleストリートビューで確認した)

それに、なにより
もう、大宮市じゃないし!


しかしなんと言っても自分が生まれ育った場所。
気になるのは気になるので、
東京くんだりまで来たのだから、ついでに寄って行きたい。
ついでに寄るような距離じゃあないんだけどな、ふつうに考えれば

そしてわたくしめ、例の如く「日曜日は教会に行くクリスチャン」なので、どこかで礼拝も持ちたい。


なので10月11日の午前中は、
むかし、といっても大学で愛知県に行くまで通っていた片柳福音自由教会へ行ってみました。

教会の建物は去年新しくなった、というのは存じていましたが、
まあ、えらくピカピカになったこと


教会の建物は新しくなっていたのですが、それに対して周囲の景色はそんなに変わっていませんでした。
(近くにあった「山田うどん」が無くなった事位かしら?)
大宮駅から片柳福音自由教会へはバスに乗ったのですが、
しかしまあ、この大宮駅東口は、相変わらずの汚いねえ

なんでも再開発して建物を新しくすれば良い、とは思わないけど、俺が大宮を出て20年以上経っているのに、こんだけ変わらないと言うのは、むかしむかしの再開発計画が未だにそのまま残っている上に、地権者の同意が未だに取れないのだろうけど、これは一体!
再開発の計画自体を今風に見直せばいいのだろうけど、今噂のどこそかの公共工事みたいに、今さら計画変更が出来ないのかしら?大規模に1ブロック丸ごと再開発でなく、もっと小まめに再開発するすべは無いのかしら?

まあ、駅東口の建物自体が昔のOSB(大宮ステーションビル)のころから何も変わっていないし、こんなものか?
とか思いながらも大宮駅を後にしました。



毎日東京の港区高輪まで通って、新宿をメインに遊んでいた高校時代、
学校生活はそんなに楽しいとは思わなかったけど、
逆に遊ぶのには色々な場所があって飽きなかった。
その生活は、高校生にとっては刺激が多く、とても楽しかったし、
朝晩のラッシュアワーも、若いからまだ元気で、ここで生活するのは大変だろうなあ。。。。
と思いだしたのは、
愛知県の大学に通って、「就活」なんて言葉がちらほら聞こえてきだしたころ。


最初は、
大学が終わったら東京へ就職して、東京へ戻るつもりではあったのです。
でも、そのうち、
そのなんというか、良い意味で「コンパクトにまとめられている」名古屋という街を見て
こりゃあ、働くのなら、東京じゃなく名古屋だな
と思いました。

確かに、遊ぶのだったら東京がいいと思います。
老若男女様々な人が様々な思いで住んでいる町なので、人口が密集していて遊び方にはバリエーションがあるし、なによりキャパが大きい!スケールがでっかい!

ということで、遊びがいがある施設が多いわけです。
(一例:TDRとUSJ)

お手軽にTDRとかナンジャタウンとか行くのにはいいだろうけど、
働くとなると、行き帰りだけでも1時間以上掛かるし、家も狭いし、
それに比べたら、
名古屋は規模が小さいので東京ほど派手では無いし、どう見ても「大き目の地方都市」だけど、仕事は多いし、働きも適当にあるし、
遊び場所はそんなに無いけど(わたくしめが名古屋に来たときには、繁華街のほとんどの商店は7時でカンバンだった!今はそうでもなくなったけど)、なにより東京のような通勤地獄を体験することなど、ありえない!!


ということで、大学を卒業しても東京(関東)へ帰らず、そのまま名古屋に居続けました。
そのうち結婚もして、子供も産まれ。。。。。。




今回、2人の子供と一緒にこのように「東京くんだり」の旅をしてみたのですが、
その中で長女(小4)がこんなことを言っていました。

場所はいわゆる「東京ディズニーランド」で、遊びつくした後での話。
秋の日もとっぷりと暮れて帰路についていたときにぽつりと言ったのが、

 なんかこうやって遊んでいると、帰りたくなくなって、もっと遊びたくなる。
聖書に出てくる家出しちゃった人みたいに、一杯お金を使いたくなる。

娘が言わんとした「聖書に出てくる話」というのは、いわゆる「放蕩息子の話」としてよく知られている話なんだけど、


街に出て、賑やかな楽しい雰囲気を味わってしまうと、自分も楽しまなければいけないような気がして、
ついついどんどんお金を使ってしまいそうな気がする、
というのは、あながち間違いで無いので
それを小4で気づく点には、ビックリした。


もっとあそびたい!と言う誘惑は、大人にもあって
(というか、本当は大人の方が強いかもしれない
都会はそんな雰囲気にさせてしまうので
(夜中でも人が一杯なのも驚いていた)
どんどん使ってしまって、「放蕩息子の話」に出てくる次男のように、お金を湯水のように使ってしまってそれで。。。。


都会の絵の具に染まるのは、
案外簡単なものです。


そう、俺もそれに気づいたし、その「楽しい気分」を「維持するために働く」というのも、なんだか違う気がして、
働くには働き口が山ほどある東京ではなく、「住みやすい場所」というか、「生きてゆくのに生活しやすい場所」ということで、未だに愛知県に住んでいるんだけどね。



本当に必要なのは、街のざわめきではありません。
帰るべき場所です。


などと言いつつ、この話は、まだ続く。
(中々ネズミーランドの話にならない
次回「眠れ眠れ、ははのむね~に
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2 コメント

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はじめまして、よろしくお願いします。 (みやのこ)
2012-06-21 20:36:59
私は武州・大宮郊外に住んでる者です。さて、私の場合ですと大宮に生まれて小学校5年の夏休みに今の実家のある神奈川県へ移り、高校卒業後かねてから憧れてた上方・大阪へ引っ越しし、大学、就職、挫折と波乱に満ちた茨の生活を歩んできたものでした。
そのうちに私は、生まれ故郷の武州・大宮へ移って出直したい気持ちがつのるようになって、数年前に懐かしい大宮の地へ再度引っ越しし、まるで放蕩息子のたとえの如く、父なる故郷・大宮に帰って漸く安心できる生活を送ってる次第であります。
いま、私はかつて通ってた幼稚園(かつてのわが家の筋向かいにあった)の関連する教会(受洗もココで)に通い、主と共に歩んでる生活を送ってますけど、こんな私であっても、主は決して見放す事なく、そのお陰で私はいつも感謝の生活を日々送ってます。
私は大宮市に生まれ育ったものの、再度帰って来たときには大宮市は合併でなくなってはいる(最も大宮区はあるけど)ものの、心の中には未だ大宮市は消滅してません。
さいごに、主の豊かな祝福と恵みが、全ての皆さまに常時ありますように、
アーメン!!
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コメント感謝です! (umiusi45)
2012-06-22 14:50:09
すばらしい「大宮愛」を深く感じました

「人生至る所に青山あり」と昔の人は言ったそうですが、
みやのこさんの人生は、どこに行っても主の護りが有る!だったのですね。

これからも、よろしくお願いいたします
コメント感謝です!
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