泣きながら、撤退同盟

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祈ってもらっていた話

2006-02-12 | クリスチャンらしい話です
前から続きます。


小さい頃から両親に連れらてキリスト教会へ行っていた
ことは、
前に書いたのだけれど、
そのことに関連して、
幼い、物心が付かない頃から
「いい子である」ことを
義務付けられていたきらいがある。
3つ上に兄がいて
どちらかというとその親の言うことを聞かない、
その自由で奔放的な性格に対抗した面もあったのかもしれない。


末っ子で
自我が強く、
それ故いじめられることも多かったわけだけど、
両親はその末っ子を溺愛していた


と、おもう。


「と、おもう。」と書いたのは、
記憶にある限り、両親に抱きしめられた記憶が無いから。
抱きしめるは言いすぎだとしても
小学校の頃に一緒に遊んだ記憶も無く、
野球をやるにもいつも「壁」相手にボール投げをしていた。
俗に言う「手が掛からないいい子」だったわけであるが、
その分自分の世界に入り込むわけである。


死にたいと思った中学2年の頃、


毎日がつらく、俺の人生なんて要らないものだと思っていた頃、
母親には色々話していた。


がっこうのはなし。


でも、
学校にともだちがいるわけでないのに、
まるでクラスのみんなが自分のともだちかのように話す俺。

毎日毎日いじめられ、殴られているなんて、
とてもじゃないが恥ずかしくて言えない。

 虚 構  の  と も だ ち。

学園ドラマに有るように
毎日が楽しく、みんなで仲良く楽しくしているような





それまで両親が行くから、と言う理由でいやいや行っていた教会に
自分から行き出したのは
この頃からだと思う。


その頃好きだった聖書の箇所に
私は山に向かって目を上げる。
私の助けは、どこから来るのだろうか。
私の助けは、天地を造られた主から来る。(詩121:1-2)

という箇所があります。



 タ ス ケ テ ク ダ サ イ

というサインを内に秘めていた、
誰にも言えず、ただストレスを溜めていた日々、
その誰にも言えない苦しみを
両親や
教会の色々な方は祈ってくれていた
のだと思う。
教会の色々な方が
自分が通っていない苦しみを共に感じて、共に祈っていてくれたと思う。

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け(詩46:1)



逃げることができた。
うまく逃げて、
そして
避難する場所があった。
その避難場所がいいところだった。
ということだったと思う。
自分にとって教会は最高の「隠れ場所」だったのだと思う。

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