泣きながら、撤退同盟

このブログの半分は、薄情でできています。。。

ラジオが一番のともだちだった。

2006-02-09 | 自分のこと載せますた
前から続きます。



ともだちがいない自分にとっては、
ラジオが一番のともだちだった。

パソコンも携帯も存在していない時代、
その頃はまだテレビは「みんなで見るもの」であって、
今のように自分の部屋にテレビがあるだなんてことは
ほとんどありえないことだった。
(ファミコンも流行る前ですから)
ともだちも居らず、
さびしい毎日を送るこの身には、
ラジオぐらいしか身近な存在は無かったのであった。

なんかTBSラジオが好きだったらしい。
昼間は「大沢悠里ののんびりワイド」で少しくえっちな放送を楽しみ、
土曜日はまだ若かった久米宏の「土曜ワイドラジオ東京」を1日中聞き、
夜になると文化放送の新進気鋭(当時)だった吉田照美の「夜はこれから」を聞いていた。
(そういえば、当時文化放送で「漫才クイズ」なるヘンな番組をやってたなぁ~)
そのながれで、
夜中も一人静かに自分の部屋でラジオを聴いていた。



中島みゆきに触れたとき、
衝撃が走った。

「悪女」が爆発的に売れた後なので、
中島みゆき自体は知っていたし、
曲もこんな感じなんだろうなぁ、とは思っていた。
しかし。

軽妙洒脱な、
ウィットに飛んでいるのやら、
とこまで脱線するのやらわからない
とんでもなく楽しいトーク、
なんなんだ、この「中島みゆきのオールナイトニッポン」は!

かなり能天気にお莫迦なトークが
2時間の間軽妙に繰り広げられるのに、
いつもラストは
しんみりしたハガキで
生きていることの苦しさを分かち合う
そんな番組で、
オーラスは中島みゆきの曲がかかって終わる。

でも、
お莫迦なトークから「暗い」曲まで
すべて中島みゆきなんだぁ!という番組だった。


レコードを始めて買ったのも当然中島みゆき。
透き通るようで、
消え入るようで、
聞いているこちらも泣きたくなるような、
そんな悲しくて、切ない、
中島みゆきの曲は

一人のときに聞くと

  絶 対 い い !

とおもう。
というか、あの頃
いつも一人だったから。
いつも心の支えとして
中島みゆきの歌が心の中に流れていた。

それだけども、
救われていたと思う。

うそだと思ったら、
聞いてみてください。
「わたしのこえがきこえますか」~「予感」ぐらいの初期の作品を
アルバムで、
1人で、
聞いてみてください。


悲しくなります。
でも、
悲しいだけじゃない、という
気分になります。



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2 コメント

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はじめまして (たると)
2006-02-09 19:36:09
中島みゆきについては「同感」

大学生のころ浸っていた。

けど、一時「中島みゆきを好き」って言えない時期があったなあ。ネクラという言葉が、はばをきかせていたころ。

でも、いまやっぱり、「中島みゆき好き」な自分を認めています。
返信する
そうなんですよ!!! (umiusi45)
2006-02-10 11:40:18
>一時「中島みゆきを好き」って言えない時期があったなあ

「予感」以前の、

たとえば「世情」とか「うらみます」とか「悪女」とか、

そういうイメージが強かったため、

なかなか言い出せなかった時期がありました



その後のポップな中島みゆきも好きなんですけど

でも、

あの頃の「神罹った」中島みゆきも好きなんです
返信する

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