泣きながら、撤退同盟

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【ぐち】語ることをやめない【ぼやき】

2010-02-18 | クリスチャンらしい話です
今日は珍しく、キリスト教120%の話。

最近うちの教会に、最近一人の男性が来られた。



その方は、まあ書ききれないほど色々なトラブルを今まで抱えていらして、
その結果、ふっと教会に導かれて来られた、という
今時貴重な方だったりします。


話を聞くと、その方はどうやら、
その困難な事例に対しての安易な解決方法、を求めている様子。


口ではその困難な事例に対し、「もうきっぱり手をきっている」と言っているものの、
その口の端々からは、いつまでもそのことに関しての執着が見られたり。


で、聖書から懇々と、
・聖書には「因果応報」という概念が無い。困難なことがあったとしても、それは神さまが何らかの意味を持って与えられたもの。だいたい「耐えられない試練」というものは神さまは与えることは無い。
・聖書の神さま(という言い方をしないと、神仏を混同するので)は、母親の胎内にいるときから貴方のことを愛していて、今も生きていらっしゃるんだよ。

と説明しても、まったくの「糠に釘」状態。。。。。。


その方は逆に、
自分が今までどれだけのことをしてきたか、どれほどの効果を挙げてきたか
を主張するばかり。
(これで奥さんが逃げたな


どれだけ説明しても、聞いているのかどうか。。。。。
(聞いていないだろうなぁ。。。。)


でも、語らなければ分からないわけであり、
いつでも語っていく、聞いていてもいなくても語っていくべき
なんだろうなあ。

イエス様だって弟子たちと2年以上一緒にいたのに、
十字架の時には弟子たちはみんな散り散りバラバラ、
中の一人は「師匠を金で売った」わけだし。。。。

語っていけば、いつかは
「あ、そーか!」と分かって下さる時もあるのだろうけど、
でも、この「馬耳東風」パターンは、
つらいっすよ。。。。。


先ほど「その困難な事例に対しての安易な解決方法、を求めている」と書きましたが、
その方が、その「安易な解決方法」をもとめて新興宗教に走り、
莫大なお金をぼったくられないようにするためにも、
少しずつお話をして少しずつ心を開いていくことが大切なのだろうなあ、
と痛感した、「灰の水曜日」の夜。
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