この本に出会ったのは、
多分19歳の浪人中のこと。
当時、
堀田あけみや新井素子など、
十代でデビューした作家を
偏向的に読む傾向があったため、
そのつもりで神保町の古本屋で手に取り、
見開きのかわいらしい女性の写真を見て
ワクワクしながら買ったと思う。
ということで、
お久しブリーフな
週末ごとにわたくしめのお気に入りを紹介させていただく
Paradaise Weekend!!でございますが、
この本を紹介させていただきます。
「二十歳の原点」/高野悦子
いまではブックオフで100円で売られる文庫本だけど、
数年前まで新潮社の、
例の「新潮文庫の100冊」の中にも入っていた本であります。
本の内容に関しては、
↑の題名と作者名のところにググッたリンクをつけましたので、
みなさん詳しいので、
そちらを参照してください。
(※「高野悦子」というと、岩波映画の総支配人と同姓同名ですが(字も一緒)
関係は有りません)
【特に詳しいと思ったリンク】
・1969-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」高野悦子1(リンク切れ)
・sihenotabi-takanoetuko/たそがれ(リンク切れ)
・ 二十歳の原点/秋田がらくた箱
高野さんとバイトの同僚だったヒトのblog
・嵐山で触れた彼女の素顔…京都市 : コラム : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)(元記事リンク切れなので、こちら参照)
・大学のある街(8)母よ これが私の生です - asahi.com(元記事はリンク切れ)
・わが娘の「二十歳の原点」 - ニッポン人脈記 :asahi.com(朝日新聞社)
下3つは、実の母親の言葉が載っている。
先ほども申しましたとおり、
この本に出会ったのは、
まさに20歳を迎えようかという頃。
親の庇護の元
ヌクヌクと無垢に育っていった
ええとこの子でもない普通の子(おれの事)は、
都心の私立高校を出、
浪人までして愛知県の大学に入ったものの、
はっきり言って
自分が何をしたいのか、
どういう存在であるのか、
誰に必要にされているのか、
どうしてこの世に生を受けているのか、
など、
今となっては「青臭いこと」を真剣に考えていた頃だったと思う。
いまから15年前のことなので、(ひぇ~)
学生運動に関しては、
名古屋大学にはいまだ「名残り」でひっそり活動されている方の立て看板があったり、
あちこちの大学に「生協」がなかったり、
「その当時」の名残りがまだ随所にあったころだった。
(まぁ、知識としては、マカロニほうれん草で子供の頃に鍛えられたけど)
何かに体当たりしたいと思ったり、
何所にも行きたくないと思ったり、
自分が変わらなきゃだめなんだと思ったり、
一方的に変えられるのはごめんだと思ったり、
自分の弱さを痛感していたけれども、その弱さをどうすることも出来ないと実感した
そのときに出会ったこの本は、
そのまま「高野悦子」というひとの日記であり、
生き方が綴ってあった。
冒頭の「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」の言葉、
そして本文中での葛藤は、
器用に生きられない、他人と上手く合わせていくことが出来ない弱い人間である
高野さんの素の生き方が綴られており、
表面上は「良い子」として親からも友人からも言われていた高野さんは
自分自身の殻を脱ぎ、自分自身を見つけたくて、
と、色々と試みる。
学生運動にも加わることもあったが、
本文を読めばわかるが
思想的に共感したからというよりは、
「何かをしなければ!」という焦燥感からきたものだと思う。
その、
などという点が
ものすごっく共感でき、
わたくしめの人生を狂わせた5冊の中の1冊に数え上げることができるくらい
毎日読んでいたし、
日記にも触れていたと思う。
ただ、残念なことに
高野さんには色々思うところはあっても、
その彼女の弱さをを分かってくれる人は
現実いなかった(若しくは彼女の周りにいても、彼女が分かろうとしなかった)。
その結果、
高野さんは踏切に自らの命を投げ出してしまったのでした。
幸いというか
わたくしめは命を投げ出すことはなかったのですが、
それは自分の弱さを認ることができたからだと思います。
あとがきに高野さんの父親のコメントが少々載っているし、
その後、
その「二十歳の原点」の前の日記を公開した
「二十歳の原点ノート」
「二十歳の原点序章」も出版されたけど、
下2冊はまさに日記だと思う。
高野さんに興味をもたれた方は読むといいと思います。
(ただし、絶版だけど、ブックオフでは百円棚にあります)
-----------------------------------------------------------------------
わたくしめの師匠(と、一方的に思っているだけで、相手は気づいていない)
である内田百間(ほんとうは「門構えに月」)の著作に
「日記というものは他人に公開することを前提として書くべきだ」
との一説があったのを
思い出す。
それにしては、
おれの書いたものなんて
幼稚でわがままで、文章も下手だし。。。。。。。。。。
多分19歳の浪人中のこと。
当時、
堀田あけみや新井素子など、
十代でデビューした作家を
偏向的に読む傾向があったため、
そのつもりで神保町の古本屋で手に取り、
見開きのかわいらしい女性の写真を見て
ワクワクしながら買ったと思う。
ということで、
お久しブリーフな
週末ごとにわたくしめのお気に入りを紹介させていただく
Paradaise Weekend!!でございますが、
この本を紹介させていただきます。
「二十歳の原点」/高野悦子
いまではブックオフで100円で売られる文庫本だけど、
数年前まで新潮社の、
例の「新潮文庫の100冊」の中にも入っていた本であります。
本の内容に関しては、
↑の題名と作者名のところにググッたリンクをつけましたので、
みなさん詳しいので、
そちらを参照してください。
(※「高野悦子」というと、岩波映画の総支配人と同姓同名ですが(字も一緒)
関係は有りません)
【特に詳しいと思ったリンク】
・1969-1972 連合赤軍と「二十歳の原点」高野悦子1(リンク切れ)
・sihenotabi-takanoetuko/たそがれ(リンク切れ)
・ 二十歳の原点/秋田がらくた箱
高野さんとバイトの同僚だったヒトのblog
・嵐山で触れた彼女の素顔…京都市 : コラム : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)(元記事リンク切れなので、こちら参照)
・大学のある街(8)母よ これが私の生です - asahi.com(元記事はリンク切れ)
・わが娘の「二十歳の原点」 - ニッポン人脈記 :asahi.com(朝日新聞社)
下3つは、実の母親の言葉が載っている。
先ほども申しましたとおり、
この本に出会ったのは、
まさに20歳を迎えようかという頃。
親の庇護の元
ヌクヌクと無垢に育っていった
ええとこの子でもない普通の子(おれの事)は、
都心の私立高校を出、
浪人までして愛知県の大学に入ったものの、
はっきり言って
自分が何をしたいのか、
どういう存在であるのか、
誰に必要にされているのか、
どうしてこの世に生を受けているのか、
など、
今となっては「青臭いこと」を真剣に考えていた頃だったと思う。
いまから15年前のことなので、(ひぇ~)
学生運動に関しては、
名古屋大学にはいまだ「名残り」でひっそり活動されている方の立て看板があったり、
あちこちの大学に「生協」がなかったり、
「その当時」の名残りがまだ随所にあったころだった。
(まぁ、知識としては、マカロニほうれん草で子供の頃に鍛えられたけど)
何かに体当たりしたいと思ったり、
何所にも行きたくないと思ったり、
自分が変わらなきゃだめなんだと思ったり、
一方的に変えられるのはごめんだと思ったり、
自分の弱さを痛感していたけれども、その弱さをどうすることも出来ないと実感した
そのときに出会ったこの本は、
そのまま「高野悦子」というひとの日記であり、
生き方が綴ってあった。
冒頭の「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」の言葉、
そして本文中での葛藤は、
器用に生きられない、他人と上手く合わせていくことが出来ない弱い人間である
高野さんの素の生き方が綴られており、
この頃、私は演技者であったという意識が起った。集団からの要請は以前のように絶対のものではないと思い始めた。その役割が絶対なものでなくなり、演技者はとまどい始めた。演技者は恐ろしくなった。集団からの要請が絶対のものでないからには、演技者は自らの役割をしかも独りで決定しなくてはならないのだから。
表面上は「良い子」として親からも友人からも言われていた高野さんは
自分自身の殻を脱ぎ、自分自身を見つけたくて、
タバコを飲みたい
「白い恋人たち」がみたい
GoGo喫茶に行きたい
パチンコをしたい
眼鏡をかけてみたい
そう、私には神様が欲しいのだ
と、色々と試みる。
学生運動にも加わることもあったが、
本文を読めばわかるが
思想的に共感したからというよりは、
「何かをしなければ!」という焦燥感からきたものだと思う。
その、
- 表面上いい子である
- その「いい子」を演じることに嫌気が差すのだけれど、
かといってどうにもならない
- 何も知らない焦燥感
- みんなみたいに、要領よくうまく立ち回って無難に生活してゆくことへの反発
- 何も活動せず、ただぼんやりとすごすことへの焦燥感
- でも、活動しても、タバコや酒に手を出してみても
所詮一時のモノに過ぎないというむなしさ
- 結局、行き着くところのないむなしさ
- その自分の弱さ
- 他人(特に親)に頼ることなく、己で律することを望む倫理観を持ちながら、
でも結局、親に頼ってしまう自分の弱さ、情けなさ。
- 大人のやるような「偽善」に満ちた社会生活など送りたくない
というあがき
- でも、流されてその「偽善」に満ちた社会生活を送らざるを得なくなっていく
というか、流されていくことに慣れていく自分自身
などという点が
ものすごっく共感でき、
わたくしめの人生を狂わせた5冊の中の1冊に数え上げることができるくらい
毎日読んでいたし、
日記にも触れていたと思う。
ただ、残念なことに
高野さんには色々思うところはあっても、
その彼女の弱さをを分かってくれる人は
現実いなかった(若しくは彼女の周りにいても、彼女が分かろうとしなかった)。
その結果、
高野さんは踏切に自らの命を投げ出してしまったのでした。
幸いというか
わたくしめは命を投げ出すことはなかったのですが、
それは自分の弱さを認ることができたからだと思います。
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
あとがきに高野さんの父親のコメントが少々載っているし、
その後、
その「二十歳の原点」の前の日記を公開した
「二十歳の原点ノート」
「二十歳の原点序章」も出版されたけど、
下2冊はまさに日記だと思う。
高野さんに興味をもたれた方は読むといいと思います。
(ただし、絶版だけど、ブックオフでは百円棚にあります)
-----------------------------------------------------------------------
わたくしめの師匠(と、一方的に思っているだけで、相手は気づいていない)
である内田百間(ほんとうは「門構えに月」)の著作に
「日記というものは他人に公開することを前提として書くべきだ」
との一説があったのを
思い出す。
それにしては、
おれの書いたものなんて
幼稚でわがままで、文章も下手だし。。。。。。。。。。
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