メメント・モリ
出典:ウィキペディア(Wikipedia)
「メメント・モリ(羅: memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」という意味の警句。芸術作品のモチーフとして広く使われる。
歴史
古代ローマでは「将軍が凱旋式のパレードを行なった際に使われた」と伝えられる。将軍の後ろに立つ使用人は「将軍は今日絶頂にあるが、明日はそうであるかわからない」ということを思い起こさせる役目を担当していた。そこで、使用人は「メメント・モリ」と言うことによって、それを思い起こさせていた。
ただし、古代ではあまり広くは使われなかった。当時、「メメント・モリ」の趣旨は carpe diem(今を楽しめ)ということで、「食べ、飲め、そして陽気になろう。我々は明日死ぬから」というアドバイスであった。ホラティウスの詩には「Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.」(今は飲むべきだ、今は気ままに大地を踏み鳴らすべきだ)とある。
この言葉は、その後のキリスト教世界で違った意味を持つようになった。天国、地獄、魂の救済が重要視されることにより、死が意識の前面に出てきたためである。キリスト教的な芸術作品において「メメント・モリ」はほとんどこの文脈で使用されることになる。キリスト教の文脈では「メメント・モリ」は nunc est bibendum とは反対の、かなり徳化された意味合いで使われるようになった。キリスト教徒にとっては、死への思いは現世での楽しみ、贅沢、手柄が空虚でむなしいものであることを強調するものであり、来世に思いをはせる誘因となった。
京都学派の哲学者として知られる田辺元は、最晩年に「死の哲学(死の弁証法)」と呼ばれる哲学を構想した。その哲学の概略を示すために発表された論文が「メメント モリ」と題されている。田辺はこの論文の中で現代を「死の時代」と規定した。近代人が生きることの快楽と喜びを無反省に追求し続けた結果、生を豊かにするはずの科学技術が却って人間の生を脅かすという自己矛盾的事態を招来し、現代人をニヒリズムに追い込んだというのである。田辺はこの窮状を打破するために、メメント・モリの戒告(「死を忘れるな」)に立ち返るべきだと主張する。
時計
時計は、「現世での時間がどんどん少なくなっていくことを示すもの」と考えられていた。公共の時計には、 ultima forsan(ことによると、最後〈の時間〉)や vulnerant omnes,ultima necat(みな傷つけられ、最後は殺される)という銘が打たれていた。現代では tempus fugit(光陰矢のごとし)の銘が打たれることが多い。ドイツのアウクスブルクにある有名なからくり時計は、「死神が時を打つ」というものである。スコットランド女王メアリーは、銀の頭蓋骨が彫られ、ホラティウスの詩の一文で飾られた、大きな腕時計を持っていた。」
昔、知った言葉。
いつか必ず死ぬことを忘れないことで、今の生に対して、意味や価値を見出す、尊ぶ言葉。
※早期ラテン語は前7世紀頃~前240年、古ラテン語は前240年~前75年頃、そこから、後期ラテン語、民衆ラテン語(俗ラテン語)、教会ラテン語、中世ラテン語、ルネサンス・ラテン語、新ラテン語、現代ラテン語と移っていくらしい。
紀元前からある言葉なのかな。
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