不思議日記

不思議なことを考える。

華厳経

2022-07-21 01:42:15 | 宗教

華厳経

Wikipediaより抜粋

『華厳経』(けごんぎょう、梵: Avataṃsaka Sūtra, アヴァタンサカ・スートラ)、正式名称『大方広仏華厳経』(だいほうこうぶつけごんきょう、梵: Buddhāvataṃsaka-nāma-mahāvaipulya-sūtra, ブッダーヴァタンサカ・ナーマ・マハーヴァイプリヤ・スートラ)は、大乗仏教仏典の1つ。
経名は「大方広仏の、華で飾られた(アヴァタンサカ)教え」の意。「大方広仏」、つまり時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた仏典である。

元来は『雑華経』(ぞうけきょう、梵: Gaṇḍavyūha Sūtra, ガンダヴィユーハ・スートラ)、すなわち「様々な華で飾られた・荘厳された(ガンダヴィユーハ)教え」とも呼ばれていた。

沿革
華厳経は、インドで伝えられてきた様々な仏典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものであると推定されている。 華厳経全体のサンスクリット語原典は未発見であるが、「十地品」「入法界品」などは独立したサンスクリット仏典があり現代語訳されている。
また、チベット語訳完本も存在し、チベット大蔵経の「カンギュル」(律・経蔵)の主要な一角を占めている。
中国では華厳経に依拠して地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教史にも大きな展開を起こした。
上代日本へは、大陸より審祥が華厳宗を伝来し、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年間に及び行なった。東大寺は今日まで華厳宗大本山である。
ネパールでは『十地経』と『入法界品』(Gaṇḍavyūha)がそれぞれ独立の経典として九法宝典(Navagrantha)に数えられている。

内容
智顗の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。
華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」の章とされている。
「十地品」には、菩薩が踏み行なうべき十段階の修行が示されていて、そのうち六番目までは自利の修行が説かれ、七番目から十番目までが利他行が説かれている。
「入法界品」には、善財童子(ぜんざいどうじ)という少年が、人生を知り尽くした53人の人々を訪ねて、悟りへの道を追究する物語が述べられている。
隋の智顗は五時八教の教相判釈で、華厳経を釈迦が成道後まもなく悟りの内容を分かり易くせずにそのまま説いた経典で粗削りの教えであるとした。 唐の法蔵は『華厳五教章』において、五教十宗判の教相判釈を行い、華厳の教えを最高としている。

 

 


カシオペヤ

2022-07-20 01:50:55 | 宇宙

カシオペヤ座
カシオペヤ座 (カシオペヤざ、Cassiopeia) は、北天に見られる星座。トレミーの48星座の1つ。
5個の2, 3等星がローマ字のWの形に並ぶ。周りには、他に明るい星が無いので、比較的探しやすい。ポラリス(現在の北極星)を探すために用いられる。
北極に近い地方では、現在、この星座は一晩中見える周極星となる。

星団・星雲・銀河
カシオペヤ座には、超新星残骸が2つある。
SN 1572:1572年にティコ・ブラーエが観測した超新星の名残りで、「ティコの星」の名前で知られる。
カシオペヤ座A:強力な電波源となっている。元の星は計算上1667年ごろ爆発したと推測されているが、その光が届かなかったためか発見の記録はない。
その他に、以下の星団・星雲・銀河が知られている。
M52:散開星団。
NGC 7635:散光星雲。M52と隣接している。「バブル星雲」とも呼ばれる。
M103:散開星団。

由来と歴史
古代アラビアでは、「ヘナで染めた手」と呼ばれていた。ヘナ(マニキュアの顔料)で爪を染めた女性の五本の指に見えることを由来とする呼称である。

神話
カッシオペイア(カシオペヤ)は、エティオピア王ケーペウス(ケフェウス座の由来である)の妻で王妃であり、アンドロメダー姫(アンドロメダ座の由来である)の母親である。自慢好きの王妃で、カッシオペイアが「自分の美貌はネーレーイス(ネレイス、海のニュムペー)に優る」と自惚れたことに腹を立てたネーレーイスたちがポセイドーンに訴えたところ、ポセイドーンはエティオピアに海の怪物ケートス(くじら座)を遣わし、災害を引き起こした。ケーペウスが神託を立てたところ、災害を止めるにはアンドロメダーをケートスに生贄として捧げなければならないとのことだった。神託に従ってアンドロメダーは生贄に出されたが、勇者ペルセウス(ペルセウス座)によって助けられた。
カシオペヤ座は北半球の大部分の地域では水平線下に没することがない。これは、ポセイドンが彼女が海の下に降りて休息する事を許さず、為に彼女は常に天空を巡り続けているからであるという。

有名なカシオペヤ座の話。


アルテミス

2022-07-19 02:45:48 | 神話

アルテミス

Wikipediaより抜粋

アルテミス(古希: ΑΡΤΕΜΙΣ, Ἄρτεμις, Artemis)は、ギリシア神話に登場する狩猟・貞潔の女神である。双子の弟アポローンがヘーリオスと同一視され太陽神とされたように、後にセレーネーと同一視され月の女神とされた。また、闇の女神ヘカテーと同一視され、三通りに姿を変えるものだとも考えられた。
アルテミスはゼウスとデーメーテールあるいはペルセポネーの娘とも、あるいはディオニューソスとイーシスとの間に生まれた娘とも言われているが、ギリシア人に普及した伝承によればゼウスとレートーの娘で、アポローンとは双生児とされている。アテーナー、ヘスティアーと同様、処女神である。
オリュンポス十二神の一柱とされるが、本来のヘレーネス(古代ギリシア人)固有の神ではない。その名は古典ギリシア語を語源としていないと考えるのが妥当である。アルテミスは、ギリシアの先住民族の信仰を古代ギリシア人が取り入れたものと、現在の研究では考えられている。

概説
女神の原像
古くは山野の女神で、野獣(特に熊)と関わりの深い神であったようである。アテーナイには、アルテミスのために、少女たちが黄色の衣を着て、熊を真似て踊る祭があった。また女神に従っていた少女カリストーは、男性(実はアルテミスの父ゼウス)との交わりによって処女性を失ったことでアルテミスの怒りを買い、そのため牝熊に変えられた。また、多産をもたらす出産の守護神の面も持ち、妊婦達の守護神としてエイレイテュイアと同一視された。地母神であったと考えられ、子供の守護神ともされた。
女神は、弓を携え獣を引き連れた森の神として描かれる。「矢をそそぐ女神」という称号を持ち、「遠矢射る神」の称号をもつ弟アポローンと共に疫病と死をもたらす恐ろしい神の側面も持っていた。また産褥の女に苦痛を免れる死を恵む神でもある。また神話の中ではオレステースがイーピゲネイアと共にもたらしたアルテミスの神像は人身御供を要求する神であった。アルテミスに対する人身御供の痕跡はギリシアの各地に残されていた。

神としての像
古典時代の神話では、狩猟と貞潔を司る神とされる。アルテミスの祭祀は女性を中心とするものであった。神話ではニュムペーを従えてアルカディアの山野を駆け、鹿を射るが、ときには人にもその矢が向けられる。通常、アポローンとともにデーロス島で生まれたとされるが、これは後世的な伝承で、母レートーがヘーラーの嫉妬を避けて放浪した際、オルテュギアー島でまずアルテミスが生まれ、さらにデーロス島でアポローンが生まれた。
この時アルテミスは生まれたばかりであるにもかかわらず、母の産褥に立会い、助産婦の務めを果たした。この神話に彼女が生殖や出産を司る女神の側面が見て取れる。さらに、まだ幼いうちにゼウスを探して出会い、えびらや短いチュニック、狩りの長靴をねだり、そして妊婦の守護神であることなどをゼウスに願い出たとされる。アポローンと共に行動することがあり、母を侮ったニオベーの子供たちと対決した伝説が伝わる。またアルテミスの怒りに触れて不幸をこうむったものには英雄オーリーオーンやアクタイオーンの伝説がある。

物語
アルテミスについては、オウィディウスなどが『変身物語』において、読み物風の恋愛譚を書き残したことでよく知られる。オーリーオーンとの恋愛の話などが存在する。

カリストー
カリストー(Kallistō)はアルカディアのニュムペーであるが、純潔を誓い、アルテミスに従っていた。ゼウスは姿を変えてカリストーに近づき、彼女を愛した。こうして二人のあいだにアルカディアの祖となるアルカスができるが、アルテミスはこれを怒り、彼女を雌熊に変えた(一説では、ヘーラーが、またゼウス自身が、雌熊に変えた)。カリストーはアルテミスによって殺されたとも、息子アルカスがそれと知らず、熊と思い彼女を殺したともされる。
ゼウスはカリストーを憐れんで天に上げ、おおぐま座にしたとされる。息子アルカスはこぐま座となった(なお、うしかい座もアルカスの姿であるとされる)。しかしこのカリストーは、本来は「アルテミス・カリステー」(Artemis Kallistē, もっとも美しいアルテミス)であり、アルテミス自身のことであったと考えられる。

アクタイオーン
アクタイオーン(Aktaiōn)は、アポローンの子アリスタイオスと、カドモスの娘アウトノエーとのあいだに生まれた子で、猟師であった。彼は、キタイローン山中で50頭の犬を連れて猟をしていたが、たまたまアルテミスが泉で水浴している姿を垣間見、女神の裸身を見た。アルテミスは怒り、アクタイオーンを鹿に変え、その連れていた50頭の犬に襲わせた。犬たちによってアクタイオーンは引き裂かれて死んだ。

オーリーオーン
オーリーオーン(Ōrīōn)は、ポセイドーンの息子である。彼は陸でも海でも歩くことができ、そして非常な豪腕の持ち主で、太い棍棒を使って野山の獣を狩る、ギリシア一番の猟師であった。
狩猟の女神であるアルテミスとギリシア随一の狩人であるオーリーオーンは次第に仲良くなっていき、神々の間でも二人は、やがて結婚するだろうと噂されるようになっていった。しかし、アルテミスの双子の弟(兄)であるアポローンは、乱暴なオーリーオーンが嫌いだった事と純潔を司る処女神である彼女に恋愛が許されない事から、二人の関係を快く思わなかった。だが、アルテミスはアポローンの思惑を気にかけなかった。
そこでアポローンは奸計を以てアルテミスを騙す暴挙に出た。アポローンはアルテミスの弓の腕をわざと馬鹿にし、海に入って頭部だけ水面に出していたオーリーオーンを指さしして「あれを射ることができるか」と挑発した。オーリーオーンは、アポローンの罠で遠くにいたため、アルテミスはそれがオーリーオーンとは気づかなかった。
アルテミスは矢を放ち、オーリーオーンは矢に射られて死んだ。女神がオーリーオーンの死を知ったのは、翌日にオーリーオーンの遺骸が浜辺に打ち上げられてからだった。アルテミスは後に神となるほどの腕前の医師アスクレーピオスを訪ね、オーリーオーンの復活を依頼したが、冥府の王ハーデースがそれに異を唱えた。
アルテミスは父であり神々の長であるゼウスに訴えるが、ゼウスも死者の復活を認めることはできず、代わりに、オーリーオーンを天にあげ、星座とすることでアルテミスを慰めた。なお、さそり座は、アポローンが謀ってオーリーオーンを襲わせ、彼が海に入る原因となったサソリであるとされた。そのためオリオン座は今も、さそり座が昇ってくるとそれから逃げて西に沈んでいくという。

アルテミスは、狩猟と貞潔の女神であり、セレーネーとヘカテーと同一視されると。

 


三十三間堂

2022-07-18 00:00:48 | 宗教

三十三間堂

Wikipediaより引用

三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)は、京都市東山区三十三間堂廻町にある天台宗の寺院。本尊は千手観音。建物の正式名称は蓮華王院本堂(れんげおういんほんどう)。同じ京都市東山区にある妙法院の飛地境内であり、同院が所有・管理している。元は後白河上皇が自身の離宮内に創建した仏堂で、蓮華王院の名称は千手観音の別称「蓮華王」に由来する。洛陽三十三所観音霊場第17番札所。

本堂
国宝。三十三間堂と呼ばれる。現在の堂は文永3年(1266年)に再建されたもの。

由来と構造
三十三間堂の名称は、本堂が間面記法で「三十三間四面」となることに由来する。これは桁行三十三間の周囲四面に一間の庇(廂)を巡らせたという意味である。つまり柱間が33あるのは本堂の内陣(母屋・身舎)であり、建物外部から見える柱間は35ある。

堂内の諸仏
堂内中央に鎌倉時代の仏師湛慶作の本尊千手観音坐像を安置。本尊の左右には長大な階段状の仏壇があり、左右の仏壇に各500体(50体X10段)の千手観音立像が立ち並ぶ。千手観音立像は本尊の背後にもう1体あり、計1,001体となる。

約750年の歴史を持つ京都の寺院。国宝。
1001体の千手観音像とは、凄い。

 


神秘主義

2022-07-17 01:52:09 | 神秘

神秘主義

Wikipediaより抜粋

神秘主義(しんぴしゅぎ、英: mysticism)とは、絶対者(神、最高実在、宇宙の究極的根拠などとされる存在)を、その絶対性のままに人間が自己の内面で直接に体験しようとする哲学、ないし宗教上の思想のことである。対立的思潮・理論として理性主義などがあげられる。

英語: mysticism などが「神秘主義」と訳されているが、この mysticism の語源をたどると ギリシア語: myein(眼や口を閉じる)に由来するとされており、こうした表現が選ばれたことにより、すでに通常の表現が許されない経験が示唆されている。

概要
神秘主義の根本的な特質は、unio mystica (ウニオ・ミスティカ、神秘的合一)と呼ばれる、絶対者と自己との合一体験にある。行うことが人間を超えた絶対者との合一であり、通常の自己からすれば絶対的に他なる者との合一であるから、それは必然的に自己からの脱却、あるいは自己という枠を突破することを意味する。つまり絶対者との合一は、脱自を行うということになり、神秘家というのは、いわゆる脱我(=エクスタシー)を体験している者である。その体験において、我々が普段“自己”と信じているものは、絶対者の前に吸収されつくして無になり、同時に絶対者は対象ではなくなり、それが真の自己の根拠になる。このような、“自己”の徹底的な死と復活と言える脱我的合一が神秘体験の宗教的な核心となっているのである。

神秘的合一
神秘主義における神秘的合一は、あくまで自己自身の内面を通して体験される、自己の最内奥におけるできごとである。だからこそ、神秘主義では《魂》や《霊》が強調されるのである。(その点で、神秘主義というのは絶対者が世界にあるとする汎神論からは区別される。)

自己の最内奥において、“自己”が破られる体験であり、そこにおいて無限の深さが開かれることである。魂の内奥が“自己”という枠を超えて神の秘奥であるような内面性を体験するのである。

合一体験はその最初期においては絶対的受動性とともにある。自己が破られるという体験だからである。自己からは突破できない自我性の最後の壁が彼方から破られる。だが次に、それまで“自己”という枠によってふさがれてしまっていた《生の無限の泉》から新しい生命が湧き出てきて、それが自分の生命となる。逆説的なことに、絶対的受動性を経ることによって生の活発な高揚や無限感が与えられるのである。

こうした合一体験は、(日常的な感覚、当人以外の第三者が外面的・表層的に見ると)短い時間起きたように見え、長期間続いているようには見えない。だが、それを体験した主体としては、自己理解や世界理解が根本的に入れ替わるほどに決定的なことが起きている。

歴史
西洋で神秘主義の筆頭に挙げられるのが、古代ギリシャのエレウシスの秘儀である。類似のものとしてはオルペウス教、ピタゴラス教団などがある。やや時代を下り、ネオプラトニズム(新プラトン主義)、キリスト教神秘主義、更にはヘルメス思想なども、代表的な神秘主義である。

ユダヤ教の代表的な神秘主義としてはカバラが、イスラーム圏の代表的な神秘主義としてはスーフィズムがある。

インドにおいては、バラモン教のウパニシャッドにおけるアートマン思想などが、典型的な神秘主義であり、ここから派生したヒンドゥー教や、仏教における密教なども含む、いわゆるタントラ教全般も、その典型である。また、ヒンドゥー教においては、イスラームのスーフィズムに影響を受けたバクティ信仰があげられる。なお、こうしたインドの神秘主義は、20世紀後半のニューエイジムーブメントに多大な影響を与えている。

中国では道教の神仙思想及び老子、荘子、墨子などの道家思想、日本では密教及び修験道などが、代表的な神秘主義である。禅宗は、欧米人の一部から神秘主義だと解釈されているが、日本人の禅宗学者実践者は概して否定する。