ちょっと、食べたかったので一番小さい西瓜の切り身かってきました。
長雨が終わるのを待って買いました。
あたりでした。とても甘かったです。
皮の部分も今どきの西瓜にしては厚く、こちらは皮の部分は切り落としぬか漬けに。
こちらも、おいしくいただきました。皮のところに残っているわずかな紅色もうれしいです。
もう一度か二度、買ってこようと思っています。
ちょっと、食べたかったので一番小さい西瓜の切り身かってきました。
長雨が終わるのを待って買いました。
あたりでした。とても甘かったです。
皮の部分も今どきの西瓜にしては厚く、こちらは皮の部分は切り落としぬか漬けに。
こちらも、おいしくいただきました。皮のところに残っているわずかな紅色もうれしいです。
もう一度か二度、買ってこようと思っています。
夏休みと言えば、やはり子供時代。ふるさとは四方山に囲まれていたので、泳ぐのは川。
河ではなく川です。細~い山の川。
大きく茂った夏草を大人の誰かが刈り取ってくれていて、行く手に川が見えて。
そこが私たちの泳ぎ場。一方にそこそこの岩が立っていて男の子も女の子も一緒に泳ぐのです。
昭和20年代の、まだまだとても貧しい時代でした。
みんな平等に貧しいから、たぶんいじめなんてなかったでしょう。
時には「アカブ」と呼ばれていた20センチくらいの魚が流れてきたり、草の茂ったところにはイモリがいたり。恐竜の子供のようなイモリは苦手でした。
アカブは朱色を帯びていました。たぶん婚姻色だったのしょうね。
泳ぎ疲れたら、みんな帰ります。真っ黒に日焼けして。
家には何にも無いけど、日向からもいできたトマトをガブリ。ごはんは麦飯。
何にも無いけど、空腹は知らなかった。
私の夏休みは毎日そんなふうに過ぎ去ってゆきました。
ワクチン予約、朝から電話をかけつづけましたが、病院の受付とつながった時は、もう手遅れでした。
はっきりとは言ってくれませんでしたが、すぐ満杯になったようです。
保健所からの連絡では、10日に申し込んだら良いとのことでしたが、その病院は合計で600人越えの申し込みがあるとの見通しで、一度にはうけつけられないとのことでした。
一日25名とか、そのような数なので、また来週の月曜日に申し込みです。
当分振り回されることでしょう。
インターネットで申し込めるところを知らないので、(インターネットを使えるようにしている病院が少ない、院内の整理には使っていても)電話に頼らざるを得ないのです。
憂鬱です。
コロナ下、家に籠もっていても淋しいと思わないし、ひととおしゃべりをしたいともおもわない。
ひとりでいるのは、嫌ではないのです。
でも、今日の西村大臣の発言は、マスクをしていてもコロナに感染すると言うのである。どうすればいいのであろうか?
マスクをし、黙って買い物をしても感染するのだろうか?
買い物などもあるから家に籠もってばかりもいられないのである。
若い女性が家に籠もってばかりでは、生きていられないと叫ぶように言っていたが、そこが若さゆえなのだろう!
子供を育てている頃には、子供が風邪を引いたりすると「お外いけません。お風呂いけません。」と言われ、一日中家に籠もっていたが、あれは辛いと思ったものだった。(ああ、きょうもわたし、誰ともしゃべってない)と思ったものだった。
その頃私を救ってくれたのは、歌を歌うこと、読書をすること、あともう一つ何かがあったのだが、思い出せない。
いまは、ひとりでいるのは、嫌ではないのです。人といる方が気を遣って疲れる。
これも年を取ったと言うことかな?
ワクチン接種の知らせは市より届いたが、届いただけで別に予約できるわけではない。でも、申込日が来ることを待っている。
。
日本茶が大好きで、よくいただいています。
とくに朝は、目覚めの日本茶が恋しくて!!
夫が水分を取らなくてはいけないと言われていたのですが、日本茶ばかりだと利尿作用のせいで、かえって水分が出過ぎになると言われ、麦茶を買ってきて煮だしていましたが、あまり美味しくないのです。
昔は、もっとおいしかったとおもうのですが。
私も夜中に目が覚めて困るので、近隣に生えている(犬の散歩があるので、なるべく犬が行きそうにないところ)タンポポとよもぎの柔らかそうなところを摘んで干して乾かしました。
また、オリーブの木の成長がいちじるしいので、オリーブを自分で整枝できる高さのところまで、のこぎりをのばして枝を下ろしました。するとオリーブの葉でお茶ができるよとのこと。オリーブ茶も作りました。
麦茶やほうじ茶、または出がらしの日本茶に上記の手作り茶を入れ、電子レンジでだいたい75度まで湯を温めて入れています。
そうおいしくなかった麦茶も格好いける味になります。
まえにドクダミ茶を作ったのですが、ちょっと臭いがきつくて飲めませんでした。
今年はドクダミ茶も作ろうと思っています。他のお茶とブレンドすれば、まあ飲めるかもしれません。
ドクダミの白い花、好きな花のひとつです。
毎日届く新聞は元気、知識などなどいろいろ与えてくれます。
以前は夫が後から読むことが多かったので、なるべくきれいに残すよう気をつけて読んでいました。
ふっと気がついたら、私しか読まない新聞、別によれよれになってもいいじゃないかと思いつきました。
気に入って、念に入りに読んで頭に入れておきたいなという記事で字数が多いのは、ページごと破りとって後でゆっくり読むために、取り除いたりします。
料理の気に入ったのや、小さいスポットのような記事は、ページの真ん中にはめられているので、そこを切り抜くのが面倒だなと思っていました。そこで、最近想い出したのがボールペンのインクで紙を切る方法です。ボールペンの先を紙に何回かこすりつけるとボールペンのインクで紙が切れます。ボールペンのインクが紙を溶かすのでしょうね。
なるべく、きれいに切り取りたいので、物差しを当ててボールペンを動かします。
幸い、販促品の頂き物のボールペンがたくさんあり、ものを捨てられない私はこうして消費すれば、惜しげなく捨てられると日日使っています。
まだ空になって捨てられるようになったボールペンは1本もありませんが、記事を見つけると、いそいそとボールペンを使っている私です。
夫が以前、インターネットで買ってくれた足踏みようの職業ミシンを使っています。
使えるようになる前には、部品を入手したりして、だいぶん手を入れて使用可能の状態にしてくれたようです。
使い勝手が悪いと、<助けて>コールをしていたので、いままではいい状態になれば縫うという感じでした。
針の交換も、家庭用ミシンのように、針を溝にピタッと押しつければいいというものでもないのです。
ここのところ、糸跳びはするは、いろいろ悪条件が露出して困っていました。どうも、油を差す時期にもきていたようです。説明書を見ながらここかな?ここかな?とミシン油を差し、針も交換してみました。よく分かりませんが、なんとか少し使える状態になってきたようです。
家庭用の現代のミシンも持っているのですが、昔式のミシン台に収まっている足踏みの方がなんか親しみがありやっぱり足踏みミシンを使いたいのです。
説明書が簡便なものしかないので、油差しの箇所すらよく分からないのです。私の腕も、いまいち、いま2なのです。
電球が切れたり、時計の電池が切れて止まっていたりと、日日なにかぽろぽろとやらなければいけないことが起きてきます。
子供達には、危ないから必ず呼んでねと言われているのですが、気をつけてそんな事態を収めつつ、暮らす毎日です。
年のせいか指の指紋が薄くなって、ビニール袋が開きにくいです。
買い物に行き、買い物を詰める場所に置いてもらってるビニール袋にものを詰めようとすると、開けることができません。
そこで、コロナが流行りだした頃からビニール袋の隣にかけられているセロハンテープを1センチほど切り取って、ビニール袋の口に貼付けて開けるようになりました。
たやすく、開けられるようになりました。
セロハンテープ1センチとはいえ、スーパーマーケットの側に立てば、利益を守るためにはもったいないことだと思います。この頃は2枚ビニール袋をいただくときは、さっきちぎったものを再利用するよう心がけています。
消毒液だけでも、物入りなことでしょうから。
買い物したり、食品の注文品が届いたときなど、芽を摘んだり、へたを切り落としたりして、さっさと片付けてその品物の状態をキープしてなるべく長持ちさせてたいですよね。
そのとき、ふと思いついたのです。広告の紙を何重かに折り、それをまな板代わりに野菜の芽やタマネギのヘタなど切れば、いいと。
野菜から土などこぼれても紙を広げて土の面を折りたためば、台所の汚れもカバーできます。
広告の紙だから刻んだりするのはむきませんけど、ちょっとの役には立ちます。
金属の流し台に触れないので包丁が傷みません。
紙の端で包丁などについた泥などもその紙でぬぐっておくとさっと洗うだけで済みます。
そんなこと私前からやっているわと言う方もおられることでしょうが、そんな方にはすみません。
野菜などをくるんであった、ラップなどあれば広告の紙の上に拡げると広告紙に触れなくていいかもしれません。
私には思いつきがちょっと役に立ちました。
NHKの番組で「一本の道」という番組がありました。
ヨーロッパに残されている中世の古道をアナウンサーと現地の日本語を話せる人が5日ぐらいかけて1日8キロから12キロぐらい歩くものでした。見ていると残された古道に沿って現代の道もあるのだなと気づくこともありました。
その道は時に牧場に入っていったり、渓流に沿っていたり、泊まる宿も石造りや木造の宿だったりで、「ああ、こんな古代の道が残されてそれを歩いて行けるなんていいなぁ」と見るたびに思いました。
ところで、私のふるさとにもそんな古道が残っていたのです。私は人があまり歩いていないそんな道が好きで、小学生の頃から独りで歩きました。川に沿ったり、畑の中の道だったり、人家の前を通ったりでした。
熊なんて出てこなし、小さな子が独りで歩いていても安全な時代でした。
いまでも、その道は思い出すことができます。たぶんいまは道が舗装されたり曲げられたりして、跡形もないところもあるかもしれません。距離にしても子供の足で1時間半ぐらいだったでしょうか。あの頃もっと遠くまで行けたらもっと続いていたのかもしれません。明治か大正の頃に新しくできた道は新道、古い道は旧道と呼ばれていました。
道に沿った川、私の子供の頃は清流でしたが、昭和40年代の頃に見る影もなく汚れ、水量も痩せて見るも無惨な有様になっていました。田舎にはプールというようなところはなかったので、かつての川は私たちの水浴び場でした。
あの道は私のこころの中にだけある風景です。公共交通機関がないふるさと、車を止めたいまは遠い遠いふるさとです。