喪中とはいつまでが喪中で、誰が決めたことなのか調べてみた。
大宝元年(701年 )に僧尼法で、僧尼が墨染めの衣を着るようになってから、
黒衣を着るようになった。
養老2年(西暦718年)制定の養老令の喪葬令服紀条では、
父母の喪は1年、祖父母は5ヶ月、兄弟は3ヶ月、兄弟の子は7日。
江戸時代貞享元年(1684年)の服忌令(ぶっきりょう)で、
喪は13ヶ月になっている。
うるう月も考慮したから?
(旧暦では平均2年7ヶ月に1回、1年が13ヶ月になる)
服喪中は喪服を着て、魚類を食べない、神社に参拝しない、
髪を剃らない、家から出ないという状態で過ごしていたらしい。
年賀状はもともと新年になってから書いて出すものだった。
郵便局の新年業務の繁忙を分散させるために、
明治33年に始まったのが、年賀郵便特別取扱。
家族の死後1年を喪中として年賀欠礼のハガキを出すのは、
服忌令の影響で家族が死んだらすべて1年は喪という解釈から。
仏教では四十九日の法要で一区切り喪中が終わる。
神道では五十日。
喪中だからと誕生日のお祝いをしないとか、
クリスマスパーティの参加を取りやめるという事はあまり無い。
新年に挨拶する時は「明けましておめでとうございます」と言うだろうし。
初詣にも行っちゃうんじゃないかな。
年賀状でのみ連絡をしている知人が多くなってきている。
喪中ハガキをそろそろ無くしても良いのでは?
我が家も喪中という事になるので、複雑な感じ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
喪中に年賀状をいただいた場合、
松の内(元旦~1月7日)がすぎてから、
寒中見舞いを出す。
例文:
寒中お見舞い申し上げます。
この度はごていねいに新年のごあいさつをいただき、
誠にありがとうございました。
実は昨年7月父を亡くし服喪中のため、
年賀状をさし控えさせていただきました。
ご通知が遅れましたこと、どうぞお許しください。
本年も、ご交誼のほどよろしくお願いします。
大宝元年(701年 )に僧尼法で、僧尼が墨染めの衣を着るようになってから、
黒衣を着るようになった。
養老2年(西暦718年)制定の養老令の喪葬令服紀条では、
父母の喪は1年、祖父母は5ヶ月、兄弟は3ヶ月、兄弟の子は7日。
江戸時代貞享元年(1684年)の服忌令(ぶっきりょう)で、
喪は13ヶ月になっている。
うるう月も考慮したから?
(旧暦では平均2年7ヶ月に1回、1年が13ヶ月になる)
服喪中は喪服を着て、魚類を食べない、神社に参拝しない、
髪を剃らない、家から出ないという状態で過ごしていたらしい。
年賀状はもともと新年になってから書いて出すものだった。
郵便局の新年業務の繁忙を分散させるために、
明治33年に始まったのが、年賀郵便特別取扱。
家族の死後1年を喪中として年賀欠礼のハガキを出すのは、
服忌令の影響で家族が死んだらすべて1年は喪という解釈から。
仏教では四十九日の法要で一区切り喪中が終わる。
神道では五十日。
喪中だからと誕生日のお祝いをしないとか、
クリスマスパーティの参加を取りやめるという事はあまり無い。
新年に挨拶する時は「明けましておめでとうございます」と言うだろうし。
初詣にも行っちゃうんじゃないかな。
年賀状でのみ連絡をしている知人が多くなってきている。
喪中ハガキをそろそろ無くしても良いのでは?
我が家も喪中という事になるので、複雑な感じ。
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喪中に年賀状をいただいた場合、
松の内(元旦~1月7日)がすぎてから、
寒中見舞いを出す。
例文:
寒中お見舞い申し上げます。
この度はごていねいに新年のごあいさつをいただき、
誠にありがとうございました。
実は昨年7月父を亡くし服喪中のため、
年賀状をさし控えさせていただきました。
ご通知が遅れましたこと、どうぞお許しください。
本年も、ご交誼のほどよろしくお願いします。
考察が興味ぶかく、どんどん読んでいて
さらっと流してしまうところでした。
最近はこうした礼儀作法の感覚が
どんどん希薄になってきてるかも?
けっこうきちんとした取り決めがあるものなのですね。
うちもダンナのお父様が亡くなった時、
喪に服したはずですが、きちんとできてたのか
自信なくなちゃいました。ドキドキ。
そういえば、お友達で、
年賀状はほしいので、喪中ハガキをださすに
寒中見舞いで、知らせて来た人がいたっけなぁ。
今年7月に父が亡くなって、やっと気持ちの整理がついてきた今日この頃です。
http://blog.livedoor.jp/uoco326/
父は認知症(痴呆症)という症状だったので、
葬儀の連絡をしようにも、重要な住所録などがどこにあるか発見できず。
大切な物を普段置いてある場所から移動させていたようで。
お金が入った封筒がパンツの引き出しから出てきたり。
まぁ、いろいろありました。
しばらく経って、四十九日も過ぎた頃に住所録を発見したのですが、
父が亡くなったという事を連絡出来なかった方も多数いて、
喪中ハガキを出すよりは、申し訳ないけど年賀状を頂いた方に寒中見舞いとして連絡しようかなと。
父が経営していた書道教室も最盛期には5~6ヶ所あったのに、今は閉鎖状態。
子供の数が減っている現在で、昔のような教室は無理な状況なんですねぇ。
再就職するか、教室再開するか、あわてずに考えようかなと。
こういうことは軽々しく口にはできない、と思いつつ。
介護というだけでも精神的・肉体的に重労働ですのに、
本当にいろいろな面でたいへんな毎日だったことと思います。
数ページ拝見しただけですが、
添えられている写真の美しさと、
うお子♪様らしい文章の、淡々としたかつ芯のある語り口を
追いながら、涙が止まらなくなりました。
今は、お母様とちょび君と一緒に、うおこ♪様のことを
見守られておられることでしょうね。
心からのご冥福をお祈り申し上げます。
ですが、お父様の教室関係など、大勢の知り合いが予想されますので、「年賀状を頂いた方に、寒中見舞いで連絡する」で良いと思います。
後片付けが、大変ですね。お体に気をつけてください。
昨日「育老日記」を読み返したのだけど。
いろんな事が思い出されて、涙が出ました。
夜TVで「いぬのえいが」を観て、
ちょび犬を思い出して、また涙が。
映画「私の頭の中の消しゴム」のアルツハイマー病など、
認知症をテーマにした作品やTV番組が増えて、
対処のしかたも工夫されるようになりました。
介護をされている方々の気持ちが穏やかでいられるように願っています。
優しさ溢れるコメント有難う御座います。>なるもにあさん、みけちゃん
私も実母と同居しています。
2年前にくも膜下出血で倒れて、手術と2ヶ月の入院。
ほとんど後遺症もなくよくなったのに、なんだか気力をなくしちゃったようで、一日中テレビを見たり(サンキュ!韓流ドラマ)本を読んだり。掃除も炊事もまったくしないので、ほっておけばゴミがたまるばかり。日にちの感覚も希薄です。
運動しなさいとか、何か始めたらとか、口をすっぱくして言っているのですがあまりの張り合いのなさに、声が大きくなることもしばしば。あとで自己嫌悪~。
近くに妹がいるので助かっています。
こんな時、女きょうだいはたよりになりますね。
でも考えてみると「家事は一切せず」「一日中テレビを見たり、本を読んだり」って、私の理想の生活かも…オイオイ!
お母様も入院で大変でしたね。
いままで出来ていた事が出来なくなると、不安になったりするようです。
体を動かしたり、何かを考えたりするだけでもしんどくなるし。
環境が変化すると、今まで習慣にしていたことが出来なくなったり。
ボケ対策に、歌を歌う・頭を使う・体を動かす・文字や絵を描くなどがありますが、
うちの父はすべてやっていたけど症状は進行しました。
なるときはなるんだなぁと気付いてからは、諦めの境地でしたが。
TVをみたり本が読めるなら、まだまだ大丈夫。
新しいことに挑戦させるのも良いかもしれません。
妹さんと一緒に温泉に行くのもオススメします。
こういうときって姉妹だと一緒のお風呂に入れるし、
自分が辛いときに一番理解してくれるものだと思うので。
無理しないで踏ん張ってくださいね。