少子高齢化が一層進んだ近未来、75歳以上の人が安楽死を選択できるPLAN75という法案が可決された。
安楽死を選んだ人は国から十万円が支給され、住居の後始末や葬儀まで全て政府が行ってくれる。家族の同意も必要ない。
身寄りのない一人暮らしの主人公ミチ(78歳)は、高齢を理由に解雇され、アパートの立ち退きを迫られる。
追い詰められたミチはPLAN75を申請する。
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ずっと昔に観た映画『楢山節考』を思い出しながら観ていた。
亡くなった人が身につけていた服や所持品が山積みになったシーンはアウシュビッツを連想させられた。
楢山節考を観た時はとてもショックを受け、昔の人は大変だったなぁと思ったものだが
現代に『姥捨山』(うばすてやま)のお話が現実になるかも知れないと思うと空恐ろしいものがある。
しかし、山に捨てられるのとは違って、薬で眠るように苦しむことなく死ねるのは楽だ。
75歳以上でなくもこのように死にたい人は多くいるだろう。
しかし、高齢で認知症のため自分で判断できない人はどうなるのかな。
この映画の主人公のように、生活が自立できていて自分で意思決定できるような老人が死を選び、
認知症で判断能力がなく施設で寝たきりの老人達は生き残るのか?
この映画ではそこまでは描かれていないが、この映画のような社会であれば、意思決定できない寝たきり老人が胃瘻で生かされたり、点滴をされたりすることはないのかも知れない。
老人介護施設なんて、一部のお金持ちの老人しか入れないのかも知れない。
自分は要介護の寝たきりになる前に死にたいと思うが、その時期を自分で判断するのは困難極まる。
うかうかしているうちに認知症になって判断能力がなくなってしまいそうだ。
自分はどうやって死ぬのかな。
その前に、自分の親はどうやって死ぬのかな。
人はいつか必ず死ぬ。自分の死に際を自分で決められて、苦しむことなく死ねるなら、それは良いことのように聞こえるが
自分でその時期を決めなければならないのは苦悩するであろう。
いったい何がよいのかよく分からなくなってくる。
やはり天に任せるのが一番楽で、延命治療はやめて欲しいと一筆書いて、後は野となれ山となれ…となるのかな。
義母にニイト君のことは『今年も行ける大学がありません』とLINEしておいた。
この文面だとまた浪人と思うだろうけど
ニイト君が来週ひとりでおばあさん(義母)に会いに行くと言うので、
何と言うかは本人に任せることにした。
それが一番いいかな
後は野となれ山となれ…