前回
GWのときは、大変な混雑だったね 吉祥寺駅周辺
井の頭恩賜公園や動物園・ジブリ美術館など
いつもの散歩途中で、いせや本店
ついついこちらのコースを選ぶと 習慣で
カウンターや店内が、気になる
まだ昼前だからねぇ・・
でもここは、いつもこんな感じで・・
「毎度、、」なんて声かけられると
ついつい寄ってしまう
![]() 魚なら、こんなメニューも
![]() 肉ならこんなのも・・
![]() チョイト気が引けるので、奥へ
![]() 奧は、焼き鳥の煙と匂いと、お客さんで、混雑気味
![]() さてっと・・焼き鳥が焼けるまでは、、こんなんで、
チビチビやっていると
![]() 今日は、タレの気分、、
相席のお客さんと世間話などしながら
![]() 寄り道には、丁度いい頃合いで、
お安く・美味しく・・・・いただきました
![]() プラプラとハモニカ横丁へ
![]() 昼間でも、、引っかかりそうな通りがある
![]() 仲見世通り、中央通り、朝日通り、のれん小路、祥和会通り、
まぁ、、たまにはこんな通りの散歩も楽しい
![]() どうも此方側のコースを知らず知らずに選んでしまう
![]() そんな人間性の、あることが、、自覚できて・・
なんだか嬉しくなる時がありますね
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前回
東大の本郷キャンパス正門
入って左に行くと、工学部11号館の横にあります
(嘉永7年)に江戸の藩屋敷で生まれた。
諸芸学修行のため
文部省最初の留学生として欧米諸国へ派遣されることとなった。
理学部に入学、翌年には同校を卒業して理学士の学位を受領。
となり、内務技師として現場で勤務するかたわら、翌年には
教官の二足の草鞋をはいた。
近くには、こんな木が、植えられている ![](http://i.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/058.png)
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(東京大学工学部の前身)初代学長に就任。また、
前身となる)を設立し、東京仏学校の初代校長にも就任した。
土木行政の改善を図り、土木法規を制定するなど、技術上・
行政上に非凡の才能を振るい、近代土木界の最高権威 ![](http://i.yimg.jp/images/socialproducts/blog/img2/emoji/120.png)
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のみならず、日本近代土木行政の骨格を作るとともに、
工科大学長土木学会長・工学会の会長として、日本近代工学
ならびに土木工学の制度を作った。
彼の代表的な功績として、横浜港の建設がある。
1905年(明治38年)、横浜港に日本最初の大般の繋船壁が完成
したが、その設計を担当したのは古市だった。![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s182.gif)
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東京地下鉄道株式会社の初代社長にも迎えられている。
では1番最初に杭を打っている。
管理長 (明治34年) に就任、その後も含めて約30余年間に
わたって学院の発展に尽力した。![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s177.gif)
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古市は公平無私であり、よく学生を導いたといわれる。![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s14.gif)
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また、日本工学会の初代会長として、世界の中で、日本の工学
恩顧を受けた古市の名をとって命名したといわれている。
留学中、あまりの猛勉強ぶりに体を壊しはしないかと心配した
下宿先の女主人が休むように勧めると、古市は
「自分が一日休むと、日本が一日遅れます」と答えたという
古市の書き残した五年間の多数の講義ノートは、
克明を極め正確な上に緻密で、古市文庫として
東大工学部土木工学科に現存している・・・そうな
なかなか…面白いもんですね ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s351.gif)
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前回
なんじャ…この奇妙な組み合わせ ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s324.gif)
![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s325.gif)
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向こうに見える欄干には「俎橋」
俎橋(まないたばし、爼橋)とは、
難読として知られる橋銘は「爼」となっているが、
一般的には「俎」と表記されることが多い。
他に「俎板」や「魚板」などとも書かれた。
稀に「姐」と誤記される。
あったことによるとする説と、近くに存在した台所町との関連で
名付けられたとする説がある
東詰には俎橋交差点があり、その向こうに神保町が続く
観光名所に囲まれている。
江戸時代には東側には武家地が広がり、西側は飯田町と称した。
東側には現在のように橋を降りて直進する道路はなかったため、
橋は現在ほど往来が多くはなく、橋自体も小規模であった
堀留橋付近がその名の通り堀留で、俎橋が日本橋川の最も
上流に架かる橋であった。
存在し、物資の荷揚げが行われた
明治には武家地が廃されて東側にも神保町へ続く直進した
俎橋は交通の要衝となった。
鉄筋コンクリートのアーチ橋に架け替えられると、俎橋の交通
量は更に増加した
「寿人遊星」
山下恒雄 東京藝術大学教授寿人遊星とは、寿老人が宇宙を回遊して、
星と共にあまねく市民に長寿を授ける神のお姿である。
その寿老人は、七福神の第一におかれる長命の神で、古来中国では
南極老人星といって、福寿をつかさどる星とされたが、宋・元時代
(日本では室町時代)から人格化されて偶像となり、画像・彫像となって
庶民の信仰を深める対象となり普及した。
「形像は老人の姿で、
人間の寿命を記した巻物を先に結んだ杖をつき、
また長命の象徴の二千年を経たとされる黒鹿(玄鹿)を伴う」
と百科事典に記されていて 広辞苑にも同様の記事があるそうな。
ハレー彗星接近の年、モチーフとなったのは七福神の一つで、
星と関係の深い寿老人 ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s317.gif)
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そのモニュメントの中には七十六年後の未来の街の想像、
発展を念じたタイムカプセルがつまっている。![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s316.gif)
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(千代田区九段下俎橋児童公園)
*この彫刻は、絵本「神田彷徨」((株)久保工務店発行)の売り
上げ金の一部によって創られ、千代田区に寄贈されたものです。
この像は、俎板橋児童遊園 にあります ![](http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s325.gif)
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