雲仙・普賢岳の大火砕流で亡くなった方々の追悼式が、
30年経った6月3日に催され、遺族らは普賢岳を見上げ、
家族や友人に思いを寄せた・・と、とある新聞に掲載されていた。
もう30年経つのか早いものである。
そこで思い出したのは、東日本大震災追悼式等の際の新聞記事であった。
東日本大震災から早10年が経ったが、もう10年なのか?まだ10年なのか?
答は人それぞれで違っていると思うが。
新聞の記事の一部にこんな言葉が載っていたので、
【10年目は節目でも区切りでもなく、単なる通過点である】と。
また先日、とある新聞には、警察・消防等の方々が、行方不明者の捜索をしたと。
10年が過ぎても月命日に合わせて、懸命に捜索・・頭が下がる思いです。
でも一方では、被災地区の代表の方だと思うが、10年目の慰霊の際のインタビューで、
こんな記事が載っていた。
精神的につらかったのが、10年という時が解決してくれた(エ~~ッツ:オドロキ)
大きな被害を受けた海岸部の人でさえもこうだもの・・、
身内・知人を亡くされたり、住む家を流されたり、
自分が津波で流された経験をしていない人はこんなものなのかな。
新しい町を作る、と言っているが「政治家みたいに実体のない話」。
被災した地区の青写真でも出来ているのであろうか?見せて欲しいものである。
これからは、ほとんど東日本大震災の報道は少なくなるであろう。
そして、福島第一原子力発電所事故もそうなるであろう。
しかし、私は忘れません。中間貯蔵施設に運ばれた除染土が30年後には、
最終処分する場所や方法が決められ、処分されることを。
さらには、事故を起こした福島第一原発は、完全に解体処理され、
更地になっていることを。でも・でもそれまで私は生きてはいないでしょうけど!!
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