ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

ただ歩くだけでは上がらない。創造力を高めるための1つのポイント。

2022-01-31 | 旧記事群

2022年に発表された論文によると、創造性は外的要因により縛られることがない状態に身を置くことで高まるという。

具体的には、「制限なく歩き回る」「歩行範囲に制限をかけて歩く」「制限なく座る」「一点をじっと見続けながら座る」という4つの環境に分けた場合、制限がない状態は発散的思考(新しいアイデアを思いつくために割り当てられる創造性)のスコア上昇と相関があったという。また発散的思考が強化されたときとそうでないときの瞬きの回数も計られたが、これといった相関は発見されなかったそうだ。

要するに、仕事で新しいアイデアを求められたときは、人目のつかない場所に移動して歩いたり座ったり涅槃したりパラパラを踊ったりすればいいということである。多分何しててもOKだと思われる。なぜなら重要なのは行動そのものではなく、周りの目などの「行動を制限してしまうような要素がないか」というところだからだ。

この現象が起こる原因として、論文内では「制限なく注意を向けられること」を挙げられている。創造性が高い人はそうでない人に比べ広い範囲に注意を向ける傾向にあり、また注意の幅を操作することで創造性のスコアに影響することが過去の研究で判明している。行動を制限する要素がないということは注意の幅をデメリットなく広げられることと同義となり、結果的に創造力の向上につながるのだそう。

 

ーーー余談だけど、

暇さえあれば部屋の中でぐるぐる歩き回りながら独り言垂れ流しつつ

空想に浸る人いません?

その人は恐らく上位10%に入る創造性の持ち主である可能性が高い(n=1)ので、

冷ややかな目線で見守ってあげましょう。

 

 

参考文献

Supriya Murali & Barbara Händel (2022) Motor restrictions impair divergent thinking during walking and during sitting.


創造性を高めてアイデアをいっぱい出したいのなら、〇〇をすればいい。

2022-01-30 | 旧記事群

2014年に発表された論文によると、歩行は創造性を高め、またその効果は歩行後もしばらくは残るという。

具体的には、創造性は突発的にアイデアを生み出す能力である発散的思考とアイデアをくっつけてより洗練されたものを生み出す能力である収束的思考の2つに分けられるのだが、歩行は発散的思考のスコア上昇と大きく相関し、収束的思考のスコア上昇と弱く負の相関を示したという。また歩行環境はたとえ『真っ白な部屋』と『野原』という対照的な空間で施行したものを比較してもあまり差はなく、また歩行によるスコア上昇の相関は歩行後もしばらくは残ったという。

要するに、仕事についている時に新しいアイデアを求められてに困っている時はその場をぐるぐる歩き回っていればいい……というわけだが。

研究では発散的思考と歩行の相関を求めることはできたのだが、そのメカニズムや因果関係を求めることができなかったという。つまり、『なぜ』歩行で創造性が上がっているのかがわからないという。

論文では「歩行という物理的動作が認知プロセスに影響を及ぼすまでの過程がわかれば推測できるかも」「歩行によって湧きあがったポジティブな気分が関与しているかも」「歩行と思考のマルチタスクの副次的効果が(rya」と原因についていろいろ論じられているが、決定打となる証拠がつかめなかったという。

 

ーーーそれでも、歩行と創造性に相関があったことが求めだせただけでも十分な成果である。

→「歩行云々じゃなくて、『行動に制限がない』ことが

創造性を上げてるんじゃね?(Supriya Murali 2022)」

 

 

参考文献

By Oppezzo, Marily,Schwartz et al. (2014) Give your ideas some legs: The positive effect of walking on creative thinking.


いじめっ子気質の子がモテやすい理由を、進化心理学の観点から解説。

2022-01-29 | 旧記事群

2012年に発表された論文によると、いじめっ子気質の思春期の子は男女ともに性的成熟が早い傾向にあったという。

具体的には、流行への乗っかりや他人への攻撃をわざとあらわにして人目を引こう(=合意的人気を得よう)としている思春期の子は性的成熟が早く、内向的で被害者意識の強い思春期の子は性的経験とは最も遠い位置関係にあったという。また他者への攻撃手段には性差があり、男性は直接的な、女性は間接的な攻撃を好んで利用するという。

性的接触の絶対数は地位や人気の高さによって上昇するという知見と今回の結果を組み合わせるに限り、性的成熟の始まりでもある思春期の子たちの一部は、攻撃性をあからさまに表現することで性的競争で優位になろうとしているのではと予測された。進化心理学的な視点では「先生に反逆的になっている俺様カッコいい!」というような言動は人気の獲得と性的アピールを兼ねているものと推測されているのだ。アピールの成果は、上記の通り。

「いじめで人気が得られるのかよ」という問いに関しては、人気とは単に周囲からの注目の的になることを指しており、また人気を得ている人に周囲は漠然とした好評価を与える(Eddy H 2005)という主張で返させてもらう。

 

これらを要約すると「挑発的でブランド物に目がない『チャラ男』と俗称されるような人がモテるのは、『チャラ男』が挑発やブランド物といった人の目を引き付けるような要素を多数保持しているからである」となる。

ヤったもん勝ちというのは、そういう意味でもあるのだろうか?

 

 

参考文献

Eddy H. de Bruyn, Antonius H. N. Cillessen et al. (2012) Dominance-Popularity Status, Behavior, and the Emergence of Sexual Activity in Young Adolescents

Eddy H. De Bruyn,Dymphna C. Van Den Boom (2005) Interpersonal Behavior, Peer Popularity, and Self-esteem in Early Adolescence.


「私ももう年だから」なんて言えなくなる、学習意欲に関する科学的知見。

2022-01-28 | 旧記事群

2011年に発表された論文によると、認識論的概念(学習に関する考え方や思い込み)は年齢が高くなればなるほど、またよりよい教育を受けるほど洗練されたものになるという。

具体的には、加齢は「学習能力は生まれつきのものではなく、努力によって改善できる」という信念の保持と正の相関を持ち、また受けた教育の質・量の高さは「知識は複雑怪奇で常に変化し続けている」という信念の保持と正の相関を持っているという。

また、理科の実験のような予算の都合上頻繁にやらないような質の高い授業を実施することで、年齢や性別関係なく享受側の認識論的信念が洗練されたものになるという知見(AnneMarie M Conley 2004)もあり、このことから認識論的信念は資源と時間がある限りいくらでも研磨可能であるということが推測できる。

認識論的信念の洗練は学習における粘り強さと強く関連している。例えば「知識は単純で不変のものである」という信念を持っている人は一度見通した教材はもう開かなくてもいいと本気で思っており、そのため復習や誤認識の修正に強く抵抗する傾向にある。だが「知識は複雑怪奇で常に変化している」という洗練された信念を持つ人は誤認識を抱えていたという事実に鉢合わせてもあまり驚かず、すぐにメモ帳とペンを構えるのだ。

いくつかの文献を参考にする限り、学習における粘り強さは経験と勉強を積み重ねるだけ洗練されたものとなる。加齢に伴う能力の変化で確かに学べない分野も出てくるだろうが、あらゆる学びにおいて必須な粘り強さは、いくつになっても補えるのだ。

 

ーーーなんですか、この成長をとどまることを知らない本棚は。

「すごいだろ。ここに置いてある本全部俺が読んだ本なんだぜ」

英文の学術書がメートル単位で並べられているのはなかなか見ないなぁ。

「還暦越えの奴でも2.3年でこれだけいけるんだ。お前も頑張れよ!」

 

 

参考文献

P.S この文献は学習意欲が枯れちゃった人たちに無理やり押し付けるものではありません。文献の濫用はお控えください。

Marlene Schommer (2011) The influence of age and education on epistemological beliefs.

AnneMarie M Conley,Paul R Pintrich et al. (2004) Changes in epistemological beliefs in elementary science students.


同調圧力に関する5つの知見。

2022-01-27 | 旧記事群

1955年に発表された論文は、たとえ人工的に作られた些細なものであっても、集団からの同調圧力による個人の判断の歪み様は大きいものであるとし、その主張を理由とともに5つに分けた。

まず、Asch(1955)でも示された通りの状況に置かれた場合、個人の判断は集団の行動によって歪められる。たとえ集団の選択が間違っていようと、個人は「集団から逸脱している」ことを理由に判断を修正するのだ。

次に、同調圧力が匿名制によってガードされている場合、個人はその判断を変えることはない。たとえ集団からの物理的な視線があったとしても、決断の匿名性が保たれている場合はある程度圧力を無視できる。

また、「自分の判断に身をゆだねる」と言葉にできるような固い意志は、同調圧力をある程度防いでくれる。が、周囲が個人の意見を直接見ることができ、容易に批評できる環境であれば簡単に折れてしまう。これは固い意志という自身に対する一人分の圧力と、周囲からの何人分の圧力を比べた時、どっちが強いかという単純なお話で説明ができる。

最後に、判断するべき事象の情報量が少ない場合、個人は同調圧力に屈しやすくなる。これはBaron(1996)の「人間は判断の確証のなさからくる不安を抱いた時、まず周囲に頼る」という主張と一致している。

以上、5つの主張である。

 

実験ではこれらの現象を確認するために、集団に間違った答えを指すよう指示したり、わざと提示する情報量を減らしたりしている。またこのような操作は実験と称されず、かなり身近に、それなりの頻度で、報酬が渡されずとも発生している。「みんなはこっちを選んだよ?」と優しく問いかけられたことは、数えたらきりがないだろう。

だが、同調圧力を用いて「自身の判断に身をゆだねる」よう促すことも理論上可能であり、そのような圧力の場合は集団に属す個人がそれを実行できるだけの能力を保持している場合、意味が歪曲することなく持続できるのかもしれない。

同調圧力の善悪はさておき、自身の判断が同調圧力によって不当に歪められるのを防ぐためには、「自分で考える」といえるようなプロセスの獲得が必要となる。

 

ーーー「我々は同調圧力によって虐げられている!」

って、同調圧力を絶対悪として掲げているひとほど

著名な人の引用が多いのは、なんでだろうね?

 

参考文献

Deutsch, M., & Gerard, H. B. (1955). A study of normative and informational social influences upon individual judgment.

Solomon E. Asch (1955) Opinions and Social Pressure.

Baron, R. S., Vandello, J. A., & Brunsman, B. (1996). The forgotten variable in conformity research: Impact of task importance on social influence.