ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

「AC6やりたい」ゲームプレイ時間は加齢とともに減少する傾向にある。

2023-09-21 | ゲーム

最近、あんまりゲームできないんですよ。

なんというんでしょう? こう、ゲームをしようにも疲れちゃって。ゲームする気になれないというか。

ゲーム以外にやることが多くて、ゲームプレイに集中できてない感じがするんです。

 

 

私も高校生の時は12時間ぶっ通しでマイクラやっていましたが、いま同じことをやれと言われても多分できません。

昔は当たり前にできたことが、もうできなくなっている。楽しめなくなっている。

正直に言うと、ちょっと悲しかったりします。

これが老いというやつですか…。

 

 

ちなみに、加齢するごとにゲームプレイ時間が短くなるのはある程度一般的にみられる傾向だそうです(Greenberg, B. S et al. 2010)。

ゲームプレイの主な離脱理由として環境の変化が挙がっているので(遠藤, 三上 2020)、おそらく進学や就職などの生活環境が一変するタイミングでゲームプレイから離脱、結果として加齢とともにゲームプレイ時間が短くなっているように見える、と思われます。

生活環境が変わってゲームプレイの習慣が途切れてしまい、そのまま習慣そのものがなくなってしまうような、そんなイメージです。

また、ここで言う環境の変化とは外因・内因問わない動機の変化も含みます。要するに、やるべきことややりたいことが変化した場合、ゲームプレイへの動機づけが削がれる可能性があるということです。

他にやることがたくさんあるとき、ゲームに費やす時間はおのずと減ってしまうような、そんなイメージです。

 

なお、先に引用した論文では日本で言う中学生あたりがゲームプレイ時間が一番長かったとのこと。

これに関しては「中学生はプレイ時間がたくさんあるから」というだけの問題ではないと思います。この年頃は思春期・青年期真っ只中。精神的支柱としてのゲームや逃避先、コミュニケーションツールやコミュニティ媒体としても盛んに用いられていると考えられます。

単純に、ゲーム文化が優勢になったという見方もできますが、この話はここまでにして。

 

 

ゲームに限った話ではありませんが、動機の強さはこれまでの経験や環境が強くかかわってきます。つまり、どうあがいてもその動機は揺らいでしまうわけです。少なくとも生きているうちに、何回かは。

そして、ゲームは動機づけの面から優れているところは多々ありますが、別にそれはゲームのみが保有できる特権というわけではありません。

動機が揺らぐのは必然です。

そんなこと言っても、没頭していたあの頃が恋しくなってしまうものです。

 

 

そういえば、環境の変化について、1つ心当たりがあります。

私、1か月前にゲーミングノートPCが壊れたんですよね。

おかげで発売日にプレイしようとしていたアーマード・コア6もプレイできずにいます。

もう萎え萎えです。マジ無理。ひまーーーーーーーーーー。

 

とりあえずマニュアルでも作ってよ。

 

 

参考文献

遠藤 雅伸, 三上 浩司, 継続したゲームプレイからの離脱理由に関する調査分析, デジタルゲーム学研究, 2020, 13 巻, 2 号, p. 13-22, 公開日 2021/07/01, Online ISSN 2434-4052, Print ISSN 1882-0913, https://doi.org/10.9762/digraj.13.2_13, https://www.jstage.jst.go.jp/article/digraj/13/2/13_13/_article/-char/ja,

Greenberg, B. S., Sherry, J., Lachlan, K., Lucas, K., & Holmstrom, A. (2010). Orientations to Video Games Among Gender and Age Groups. Simulation & Gaming, 41(2), 238–259. https://doi.org/10.1177/1046878108319930


「直観的操作の極致」ティアキンがなぜ”歩いているだけでも楽しい”のかを心理学的に解説。

2023-09-06 | ゲーム

引用: https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2023/230517.html

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」(以下、ティアキン)という作品をご存じだろうか?

わかりやすく言うと3日で1000万本売り上げたゲームです。やばいです。

あとMetacriticのメタスコア96点ユーザースコア8.1点のゲームでもあります(執筆時点)。えぐいです。

私もこのゲームに140時間以上費やしてます。ストリー全然進んでません。まだカメラ機能解放できてません。たすけて。

 

でね、心理学にはプレイヤーの欲求充足尺度(PENS)ってものがありましてね。

言ってしまえば、ゲームが楽しい理由は心理学の言葉で説明できるっていうお話なんですよね。

言い方を変えれば、すべての"楽しい"には理屈があるんですよ。

で、いま規格外のゲームが目の前にあるんですよ。

楽しくて仕方ない理屈が気になってしょうがないよね、ってことでやります。

 

頑張って1つの記事にまとめようとすると大変なことになるので、記事毎にどこに着目するかを宣言して、そこを深堀りしていきます。

 

 

今回はティアキンの直観的操作について解説します。

初手が直観的と謳いながらその概念がめちゃめちゃ直観的じゃない題材だけど許してほしい。

 

引用: 中谷, 矢野. 1993

直観的操作とは、ゲームとプレイヤーの入出・出力のやり取りをスムーズに行うためのテクニックのことを指します。

一個のボタンで完結する操作や、何が起きているのかがぱっと見でわかるグラフィックとかがこれにあたります。

 

基本的に、ゲームのキャラとプレイヤーは認知・知覚的に分離した存在です。ゲームのキャラが見たまま感じたままの景色をプレイヤーは知覚できないし、プレイヤーがいつも体を動かす感覚でキャラが動くことはまずありません。

なので、プレイヤーはゲーム画面を見てキャラの状態を知り(入力)、キャラを操作するためにコントローラで入力する(出力)必要があります。この時の入力・出力はそれぞれ「プレイヤーに情報が入る」「プレイヤーが情報を発信する」意です。

 

この入力・出力のサイクルはまぁまぁ高負荷な作業です。感覚が分離したものを操るという、自分がいつも経験し稼働するサイクルとは別物ですから。

それに、圧倒的に情報不足というのもあります。ゲームの主な情報源はグラフィックとサウンド、つまり視覚と聴覚のみ。出力手段も神経系から直接というわけにはいかず、いくつかのボタンやスティックを介したものになります。

私たちは普段から五感を頼りに思案していますが、ゲームプレイではそうはいかない。認知・知覚の面からとらえたとき、ゲームプレイは結構な制約があります。

 

そこで直観的操作という概念が挙がるわけです。

一個のボタンで完結する操作や、何が起きているのかがぱっと見でわかるグラフィックなどを用いて、この問題を克服するわけです。

 

直観的操作の概念を反映させたテクニックは文字の表示1つ1つまで細かく組まれますが、そのすべてがプレイの快適さ、ひいては楽しさに直結します。

 

 

で、本題のティアキンの直観的操作についてですが。

もうなんかいろいろ極まってます。代表的なのをいくつか挙げますね。

 

 


画像: 白銀ライネルをボコボコにしているところ。慣れれば簡単。

直観的操作というのは、プレイヤーの「こうなってほしい」という出力時の意思と実際に反映されたものの差の少なさ、も範疇に入る。

たとえ癖の強い操作だとしてもプレイしていけば慣れていくが、この差が小さければ小さいほど慣れるのも早くなり、より楽しさを享受しやすくなる。

私が思うに、この"差"の改善は直観的操作における最小単位であり、有能間充足におけるフレームであり、ゲームの楽しさの根幹に位置ずる。

これはすごく言語化しづらい要素だが、ティアキンは確かにこの部分がよく調整されていると感じた。

 


要はこのゲーム「歩いているだけでも楽しい」のだ。

全体的な時間間隔が速すぎず遅すぎない。走りや崖のぼりやジャンプなどの値が極端すぎない。操作も癖なくすぐに馴染む。世界とオブジェクトと主人公の行動範囲との寸法に一貫性がある。認知する奥行きと実際の奥行きに齟齬が生じない。

ちょうどいいのだ。プレイヤーの知覚と実際にゲームで起こったことにずれや違和感を感じることはほぼない。

 

 

ティアキンはGUIがすんげぇ優れているのだけれど、その中でも特に武器選択のGUIがすごい。

このGUIで武器を即座に切り替えることができるんですが、これ1つで『新品か』『1回以上使用したか』『壊れかけか』『スクラビルド(武器となにかを合体して新しい武器を作る能力)したものか』『可燃性か』『導電性か』『攻撃力』『武器種』『武器効果』という武器に関するあらゆるステータスがわかるっていうね。

プレイヤーはこのわかりやすい表示を参考に「いま雷落ちてるから金属製の武器装備してるのはまずいな」とかすぐに判断下せるわけ。

めっちゃ詰め詰めな情報を見ただけでわかるようにしているの、すごいよね。

 

 

画像: 雷に打たれている主人公。よく見たら温度計真っ赤である、細かい。

音響と振動の要素も欠かせない。

一番体感できるのは雷雨の時だろう。そこかしこに落ちる雷だが、この雷が聴覚的な奥行きを伴うのはまだ理解できる。遠いところに落ちたときは音量が減衰するし構成される音も違ってくる。

この雷、Joy-Conの振動、つまり触覚的情報においても奥行きを持たせている。遠くに落ちればちょっと地面が揺れた程度の、近くに落ちたときは腹に届くような振動が発生する。

これに気づいたときはJoy-Con手放して感動して主人公に雷直撃した。わざとじゃないんよ。

 

 

引用: https://www.youtube.com/watch?v=NmkDyyeSYsI&list=LL&index=61

直観的操作において最もわかりやすい事項は入力遅延の類だろう。よく「ラグい」「重い」とか言われる現象のことだ。

プレイヤーの出力、つまりゲーム側にとっての入力信号の反映が遅くなる原因は、入力・出力のサイクルを直接的に崩す。楽しい楽しくない以前に満足に遊べるかというレベルのお話なので、今まで上げてきた要素以上に重要だったりする。

で、このティアキンはプレイ中に「ラグい」と感じることはほぼない。

モドレコ(対象オブジェクトの動きを逆再生させる能力)のために広範囲のオブジェクトの移動の軌跡を保存している、ゾナウギアというフライマシンから大量殺戮兵器まで作れるパーツ群が大量に存在できる、などいつラグくなってもおかしくない環境下だが、そう感じることはない。

ティアキンがどれだけラグくなりづらいかは、バグを使って200個以上のオブジェクトを設置してもなおゲームがエラー落ちしないという実証動画(笑顔の時間 2023/06/25)を参照してほしい。

モドレコに関してはもう謎技術である。どうやって実装したん?

 

 

すべての楽しいには理屈がある。

今回はその理屈の中でも特に言語化されない箇所をピックアップした。

直観的操作に関する事項はどれも地味で目立たず、そしておそらくその最適化に多大な労力がかかる領域である。

だが、直観的操作は有能感の充足を介しプレイの楽しさにダイレクトに影響する。

ティアキンの"歩いているだけでも楽しい"という感想は、まさしくそれを表している。

 

 

 

参考文献

中谷 智司 and 矢野 米雄. ロールプレイングゲームにおけるやる気の持続. 情報処理学会研究報告人文科学とコンピュータ(CH), 1993, 18(1992-CH-017), 33 - 38, http://id.nii.ac.jp/1001/00055493/

{105}Ryan, R.M., Rigby, C.S. & Przybylski, A. The Motivational Pull of Video Games: A Self-Determination Theory Approach. Motiv Emot 30, 344–360 (2006).


「それは学術的に真剣な話題である」ゲームの利点を認知・動機づけ・感情・社会的側面からざっくり解説。

2023-09-03 | ゲーム

ゲームの動機付け・認知的利点を特に調べている私でさえ、教育目的で利用することに多少の違和感というか、嘲笑いを知覚する。

どこか、たかが娯楽と思えてしまう。

あんなのただ視聴覚を過敏に刺激するだけのおもちゃであり、我々が常日頃から思案する五感にあふれた現実とは格が違う、と。

 

 

ゲームの利点を知覚するのであれば、まずはそこから払しょくするべきだろう。

つまり、遊びや娯楽がもたらす利益について理解する必要がある

古代ローマではパンとサーカスが求められ、1940~50年代には探索行動に関する解像度の低さから動因低減説が棄却されたように、それが人間の発達に欠かせないものである、と。

 

 

ゲームは特に問題解決・意思決定・実験的行為などの高次の認知能力を用いる代替的な空間として機能する(Annetta, L. A. 2008)。

現実には不可能なことを、現実ギリギリまで寄せた文脈での施行も可能である(Dondlinger, Mary. 2007)。倫理的な制限を無視するなら、殺人事件とその周辺の再現なんかもできちゃう。

また、どのようにすれば不快感なくゲームをプレイできるかといった、人間の認知能力の分析やデザイン構築などの認知的要因もそこに含まれる。

 

 

ゲームの楽しさは心理学の言葉で十分に解釈可能なものである(Immersyve Inc. 2007)。

特に、直観的操作や失敗時のコスト調整、難易度調整を組み込むことにより、教育界隈が切実に欲しがる動機づけの粘り強さを再現している。

この構造の分析と一般化は教育界隈等に利益をもたらすとされているが、ゲーミフィケーションやゲームベースラーニングの実証例のいくつかは、教育界隈の強制的文脈が根本に粘り強さを喪失させていることを暗に示している(例えば, Mansureh Kebritchi, et al. 2010 ; Dennis Charsky et al. 2011)。

 

 

動機づけ面での改善は感情的効果の改善に相関する

また、大半のプレイヤーは感情的快楽を得るためにプレイしており(Zsolt Demetrovics et al. 2011)、これもステレオタイプ的なイメージとはかけ離れている。

ゲームプレイにより喚起される攻撃性は欲求阻害によるフラストレーションがもとであり(Przybylski, A. K., et al. 2014)、暴力的描写を好むのはもともと攻撃性が高い人であり(Ferguson, C. J. et al. 2008)、現実逃避を理由にプレイする人は少数派であり(Zsolt Demetrovics et al. 2011)、IGDは二次障害的な表出である(Matthias Brand et al. 2016)。

 

 

ゲームは個々の活動で成り立つものではなく、ある種の文化的発展により支えられている。

友人との時間の共有が有意なプレイ動機であることは、驚くまでもない事実だ(Dave Westwood et al. 2010)。

ミクロな集団活動から、創作活動とそれを受け入れる人によるマクロ的文化圏まで、相互作用している。

 

 

神経科学(Daphne Bavelier et al. 2019)や臨床的分野(Sanne L. Nijhof et al. 2018)に限らず、ゲームという領域には多数のリサーチクエスチョンが残されている。間接的な主張も多く、いま述べたものは確定的ではないものも混じっている。

これはつまり、学術界隈においてもゲームという題材はまじめに扱われていることを意味している。

 

 

 

参考文献

Granic, I., Lobel, A., & Engels, R. C. M. E. (2014). The benefits of playing video games. American Psychologist, 69(1), 66–78. https://doi.org/10.1037/a0034857

Sanne L. Nijhof, Christiaan H. Vinkers, Stefan M. van Geelen, Sasja N. Duijff, E.J. Marijke Achterberg, Janjaap van der Net, Remco C. Veltkamp, Martha A. Grootenhuis, Elise M. van de Putte, Manon H.J. Hillegers, Anneke W. van der Brug, Corette J. Wierenga, Manon J.N.L. Benders, Rutger C.M.E. Engels, C. Kors van der Ent, Louk J.M.J. Vanderschuren, Heidi M.B. Lesscher. Healthy play, better coping: The importance of play for the development of children in health and disease. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, Volume 95, 2018, Pages 421-429, ISSN 0149-7634, https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2018.09.024.

Annetta, L. A. (2008). Video Games in Education: Why They Should Be Used and How They Are Being Used. Theory Into Practice, 47(3), 229–239. http://www.jstor.org/stable/40071547

Daphne Bavelier, C. Shawn Green. Enhancing Attentional Control: Lessons from Action Video Games. Neuron, Volume 104, Issue 1,2019, Pages 147-163, ISSN 0896-6273, https://doi.org/10.1016/j.neuron.2019.09.031.

Dondlinger, Mary. (2007). Educational Video Game Design: A Review of the Literature. Journal of Applied Educational Technology. 4. 

Mansureh Kebritchi, Atsusi Hirumi, Haiyan Bai. The effects of modern mathematics computer games on mathematics achievement and class motivation. Computers & Education, Volume 55, Issue 2, 2010, Pages 427-443, ISSN 0360-1315, https://doi.org/10.1016/j.compedu.2010.02.007.

Immersyve Inc. (2007). PENS v1.6—Subscale Scoring.

Dennis Charsky, and William Ressler. “Games are made for fun”: Lessons on the effects of concept maps in the classroom use of computer games. Computers & Education Volume 56, Issue 3, April 2011, Pages 604-615

Dave Westwood and Mark D. Griffiths. The Role of Structural Characteristics in Video-Game Play Motivation: A Q-Methodology Study. Cyberpsychology, Behavior, and Social Networking.Oct 2010.581-585.

Przybylski, A. K., Deci, E. L., Rigby, C. S., & Ryan, R. M. (2014). Competence-impeding electronic games and players’ aggressive feelings, thoughts, and behaviors. Journal of Personality and Social Psychology, 106(3), 441–457. https://doi.org/10.1037/a0034820

Ferguson, C. J., Rueda, S. M., Cruz, A. M., Ferguson, D. E., Fritz, S., & Smith, S. M. (2008). Violent Video Games and Aggression: Causal Relationship or Byproduct of Family Violence and Intrinsic Violence Motivation? Criminal Justice and Behavior, 35(3), 311–332. https://doi.org/10.1177/0093854807311719

Zsolt Demetrovics, Róbert Urbán, Katalin Nagygyörgy, Judit Farkas, Dalma Zilahy, Barbara Mervó, Antónia Reindl, Csilla Ágoston, Andrea Kertész & Eszter Harmath. Why do you play? The development of the motives for online gaming questionnaire (MOGQ). Behavior Research Methods volume 43, pages814–825 (2011)

Matthias Brand, Kimberly S. Young, Christian Laier, Klaus Wölfling, and Marc N. Potenza. Integrating psychological and neurobiological considerations regarding the development and maintenance of specific Internet-use disorders: An Interaction of Person-Affect-Cognition-Execution (I-PACE) model. Neuroscience & Biobehavioral Reviews Volume 71, December 2016, Pages 252-266


「ないない絶対ない、ありえない」結局、ゲームが原因で人間は攻撃的になれるのか?

2023-08-26 | ゲーム

画像引用: https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/5331.html

ゲームの暴力的描写・ゴア表現が人間を攻撃的にするという主張は、初期のアーケードゲームが出始めたころから存在した。

アメリカのExidy社が発売した「Death Race」をめぐっての論争は当時の全国紙に載るほどの大騒ぎになった。一部のデモ参加者は筐体を壊すなどして訴えたそう、君らが暴力的になってどうするんだ。

FPSや格闘ゲームが流行した1990年代においても同様の論争が活発化した。ストリートファイターとかWolfensteinとかそのあたり。

現在この論争がどのように展開されているかはわからないが、「ゲーム 暴力的になる」とgoogle検索した結果、1ページ目に表示された記事のほとんどはこの主張を否定する内容の記事だった。主張自体は下火なのかな?

 

 

ググって出てきた記事のほとんどがそういうように、ゲームの暴力的描写・ゴア表現が人間を攻撃的にするという主張は間違いと言い切っていい。あったとしてもごく短期的なもの、長期的な影響は皆無だ。今までたくさんの人が研究してきたけど、これっぽっちも、影響は見られなかった。

また、ゲームの暴力的描写がプレイの楽しさに結びつくことはない。過激なゲームが楽しい理由は、過激な表現を使っているからではなく、ゲームの出来が非常にいいから。過激な表現が没入感を高めるという効果も存在するが、そうした没入感はまずゲームの出来が良くないと発生しない。Battlefieldシリーズがいい例だ。

続けて、ゲームによって起こされた攻撃性はプレイ時のフラストレーションが由来のものだ。誰だってうまくいかなかったら苛立ちを覚えるものでしょう? それ自体は普遍的な事象だ。近い主張としては競争に対する執念や闘争心が攻撃的な行動として表出することがあるという。

そして、もともと攻撃的な人が暴力的な描写を好む傾向にあるその人が持っている攻撃性などが暴力行為に直接関係するが、暴力的描写がそこにかかわることはなく、媒介効果もないとのことだ。攻撃的な人が暴力的なゲームを好むのであって、暴力的なゲームをしている人全員が攻撃的な人というわけではない、必要十分条件を見誤らないでほしい。

 

 

そもそも、なんでゲームの暴力的描写が人間を攻撃的にする、なんていう主張が出回るようになったのだろう?

うまくいかなかったときの苛立ち、例えばアーケード台を殴りつけるさまとか奇声を上げるさまとかを見て、「うわっあの人、ゲームに対して怒っている…」という怪訝な感情がどんどん発展していった結果なのだろうか?

 

あと、ひねくれた主張として「ゲームが人間を攻撃的にする、という主張を掲げる人が非常に攻撃的なためこの主張はある程度の整合性がある」というものがある。

一見するとゲームを理由に攻撃的になっているため肯定できそうだが、そういう人はもとから異常なため棄却される。嫌味としてはハイクオリティだがな。

 

 

参考文献

Ferguson, C. J., Rueda, S. M., Cruz, A. M., Ferguson, D. E., Fritz, S., & Smith, S. M. (2008). Violent Video Games and Aggression: Causal Relationship or Byproduct of Family Violence and Intrinsic Violence Motivation? Criminal Justice and Behavior, 35(3), 311–332. https://doi.org/10.1177/0093854807311719

Przybylski, A. K., Deci, E. L., Rigby, C. S., & Ryan, R. M. (2014). Competence-impeding electronic games and players’ aggressive feelings, thoughts, and behaviors. Journal of Personality and Social Psychology, 106(3), 441–457. https://doi.org/10.1037/a0034820


「まだよくわからない」ゲームによっては男女比が極端になる理由を、心理学の観点から考察。

2023-08-25 | ゲーム

男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」というネットスラングがある。

これは男性が好きそうなものを紹介するときに添えられる一種のステレオタイプな文章である。ガンダムやアーマードコアに代表される人型ロボットがその代表例である。詳しいことはニコニコ大百科参照。

私は一般的な男性だが、特に銃火器に対しては強いこだわりがある。推しはゲパードGM6 lynxです、ガスガン出してくれ。

 

 

このスラングは、心理学的に見たときに結構興味深い題材になる。

ステレオタイプ的な価値基準への長期的な暴露による選好の変化とその循環を一言で表しているのだ。

 

「男の子はこういうのが好き」という思い込みが十分に広がっている集団に、新しく男女1組が入るとする。

男性がそれに触れたとき「やっぱり男の子は」というリアクションをもって受け入れられ、女性がそれに触れたとき「えぇちょっと意外」と多少なりとも特異に扱われる。

この時、思い込みに整合性は必要なく、十分に広がっていることのみが条件にある。また、男性に対する肯定と女性に対する驚きはなんの含みもなく発されることが多いが、「女のくせにそれやってるのかよ」とまれに思い込みに反していることを極端に扱う人もいる。

この暴露は長期的に行われ、次第に思い込みの通りに移動する。つまり、男性はそれに惹かれやすくなるし、女性は惹かれづらくなる。

正確に言えば、男性はそれに魅入られたことを拒否されづらく、女性はそれに魅入られたことを拒否されやすい、と判断するようになる

次第に、新しく入った男女1組はこの思い込みを内在化し、集団側に属するようになる。

そしてまた、新しい人が入ってくる…の無限ループ。

この思い込みは環境の変化などこれまた長期的な経過により改変または棄却されることが多い。

 

 

上記の無限ループは、趣味嗜好などの選好における性差を社会心理的アプローチから分析したときの主張の1つだ。

 

そしてこれは、そのままゲームによっては男女比が極端になる理由としても用いられることがある。

「やっぱり男の子はロボゲーが好きなのね」と、「女性がロボゲーやるなんて以外」と。

繰り返すが、基本的に悪意はなく、住みわけののように自然に機能する。

 

 

注意してほしいのは、この主張が選好の性差を決定づける要因ではなく、極端になる理由に関してはいまだ開拓中の分野であるということ。

男女比が極端になる理由を説明するためにこのアプローチから攻めた研究を読んだが、この要素が占める分散の割合は1~2割程度と決して優位とは言えない。

また、性差については認知心理学/神経科学的アプローチからも攻められている。ゲームプレイの際に用いる認知機能の優劣と性別にある程度関連があるとしているが、これも知見の蓄積がない。

この問題をもっとややこしくしようか。いま話しているのは特にゲームジャンル選好の性差だが、ゲームをプレイしてて楽しいと感じる条件や仕組みには性差がない。「男の子が好き」とされるようなゲームであっても、ゲームとしての出来が良ければ女性も食いついてプレイするのだ。

いま言ったのはゲームの継続・離脱理由というマクロな視点からの分析だったが、プレイの目的(動機)になると性差が表れてくる。ミクロな分析を通しで見ると、そもそも女性はゲームプレイに対しあまり頓着しない傾向が浮き彫りになる。

じゃぁその原因はなんでだ、って感じで今も論争が続いてる。

 

 

Q:なんでゲームによっては男女比が極端になるんですか?

A:まだよくわからない。

 

 

参考文献

Lucas, K., & Sherry, J. L. (2004). Sex Differences in Video Game Play:: A Communication-Based Explanation. Communication Research, 31(5), 499–523. https://doi.org/10.1177/0093650204267930

Greenberg, B. S., Sherry, J., Lachlan, K., Lucas, K., & Holmstrom, A. (2010). Orientations to Video Games Among Gender and Age Groups. Simulation & Gaming, 41(2), 238–259. https://doi.org/10.1177/1046878108319930

遠藤 雅伸, 三上 浩司, 継続したゲームプレイからの離脱理由に関する調査分析, デジタルゲーム学研究, 2020, 13 巻, 2 号, p. 13-22, 公開日 2021/07/01, Online ISSN 2434-4052, Print ISSN 1882-0913, https://doi.org/10.9762/digraj.13.2_13, https://www.jstage.jst.go.jp/article/digraj/13/2/13_13/_article/-char/ja,

Jansz, J., Avis, C., & Vosmeer, M. (2010). Playing The Sims2: an exploration of gender differences in players’ motivations and patterns of play. New Media & Society, 12(2), 235–251. https://doi.org/10.1177/1461444809342267

Hoffman, B., Nadelson, L. Motivational engagement and video gaming: a mixed methods study. Education Tech Research Dev 58, 245–270 (2010). https://doi.org/10.1007/s11423-009-9134-9

遠藤 雅伸, 三上 浩司, 継続したゲームプレイからの離脱理由に関する調査分析, デジタルゲーム学研究, 2020, 13 巻, 2 号, p. 13-22, 公開日 2021/07/01, Online ISSN 2434-4052, Print ISSN 1882-0913, https://doi.org/10.9762/digraj.13.2_13, https://www.jstage.jst.go.jp/article/digraj/13/2/13_13/_article/-char/ja,

Daphne Bavelier, C. Shawn Green. Enhancing Attentional Control: Lessons from Action Video Games. Neuron, Volume 104, Issue 1,2019, Pages 147-163, ISSN 0896-6273, https://doi.org/10.1016/j.neuron.2019.09.031.