ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

【社会的促進】なぜ私たちは、電車の中で踊りださないのだろう?

2022-04-30 | 旧記事群

心理学の用語の1つに、社会的促進というものがある。

これは、他者の存在が与える個人への影響を指す言葉だ。その効果を発揮させるために他者が特別なにかをする必要はなく、ただ居るだけで個人に影響を及ぼすのだという。

 

影響は、基本的に抑圧として現れる。

また、それと同じぐらい促進としても現れる。

表れの違いは、個人が抱える課題の難度によるという。いわく、他者の存在による影響は、個人が何らかの課題をこなすとき、課題が難しければ抑制として、課題が簡単であれば促進として現れるというのだ。

 

表れの違いの原因はいまも議論されているが、説の1つとして「他者からの評価を気にしているから」が挙げられている。

課題が難しいとき、つまり課題の達成が確証されず失敗の可能性があるとき、評価を下してくるであろう他者の存在が気がかりとなり、遂行が抑制される。

課題が簡単なとき、つまり課題の達成が確証され失敗の可能性がないとき、評価を下してくるであろう他者に(自分の優秀さを)アピールできると考え、遂行が促進される。

ここに、他者が真に評価を下すかどうかは関係なく、私たちの「自分をよく見せたい!」や「悪評価だけは避けたい」という欲求が他者の存在と遂行を結びつけるのだという。

 

「それなりの人が乗る電車で、踊れ」と言われても、大半の人は拒否するだろう。

電車に乗る赤の他人に、なんと思われるかがわからないからである。

「人が集まるステージの上で、歌え」と言われても、大半の人は戸惑うだろう。

壇上を見つめる集団に、万が一「歌が下手だ」と思われたくないからである。

しかし、ごく一部の人は、そうではないようだ。

 

 

参考文献

Bernard Guerin (1985) Mere presence effects in humans A review.

Blascovich, J., Mendes, W. B., Hunter, S. B., & Salomon, K. (1999). Social facilitation as challenge and threat. 

Bond, C. F., & Titus, L. J. (1983). Social facilitation A meta-analysis of 241 studies.

Natalie Sebanz,Günther Knoblich et al. (2003) Representing others' actions just like one's own.

Norman Triplett (1898) The Dynamogenic Factors in Pacemaking and Competition.


政治家も、印象で選ばれることがある。

2022-04-23 | 旧記事群

私たちは、顔や印象などのわかりやすいもので決断しがちである。

その特性は、政治においても発揮される。

いくつかの文献を参考にする限り、男らしい面立ちや身振り手振で激しく訴えるなどの要素を持つ政治家は比較的選ばれやすかったという。

また、自己中心的で「結果のためなら犠牲を厭わない」と公言できちゃうような、いわば過激な性格をもつ政治家も選ばれやすかったという。外交的な性格も同上である。

 

面立ちや身振り手振りは「自分は誰よりも優秀である」という印象を含み、過激な性格と外交的な姿勢はこれをためらわない要因になる。

また、そういった印象に触れた私たちは「この人なら何とかしてくれるだろう」といった漠然とした期待を抱くのだ。

 

ただし、そうして選ばれた政治家がいい人かどうかとは別問題である。

1920~40年代のヨーロッパが、その参考になる。

 

 

参考文献

AlessandroNai (2021) Populist voters like dark politicians.

Dominance-Popularity Status, Behavior, and the Emergence of Sexual Activity in Young Adolescents.

Edgar E.Kausel,SantiagoVentura et al. (2018) Does facial structure predict academic performance.

John Paul Wilson,Nicholas O. Rule (2015) Facial Trustworthiness Predicts Extreme Criminal-Sentencing Outcomes.

MarkusKoppensteiner,PiaStephan et al. (2014) From body motion to cheers Speakers’ body movements as predictors of applause.

MarkusKoppensteiner,PiaStephan et al. (2015) Moving speeches Dominance, trustworthiness and competence in body motion.

Michael R.Woloszyn(2019) The relative impact of looks, income, warmth, and intelligence on female online dating preferences.

Shawn N. Geniole,Thomas F. Denson et al. (2015) Evidence from Meta-Analyses of the Facial Width-to-Height Ratio as an Evolved Cue of Threat.


お金というものは、思う以上に幸福に結びつかない。

2022-04-22 | 旧記事群

お金というものは、思う以上に幸福に結びつかない

お金は価値の変動こそあれど基本的には定量的なものであり、定量的なものは経験などの定性的なものと比べて幸福に作用しないのだ。

主な理由としては、幸福そのものが定性的であること、飽きや慣れが発生することである

「ただ欲しいものは手に入れるまでが一番楽しい」という体験が、その裏付けとなる。

 

なので、稼げている/稼げていないを幸福の軸にするのはお勧めしない。

もし、幸福の軸を稼げている/稼げていないに合わせた場合、

「私の時給2000円なんだけど、今カフェでゆっくりしているこの時間があったら4500円は稼げてた。なんてもったいない」

せっかくの休日が台無しになってしまう。

一応、稼げている/稼げていないが頭の中にある生活はお金稼ぎに対するやる気を上げるが、やはり幸福につながるかどうかは不明瞭だ。

その人その場所その時などにより成す形がまるで違う幸福を、何円何ドル何ユーロと計るのはナンセンスである。

 

ただ、お金と幸福が無関係というわけではない。

「初任給で買ったバイクとともにツーリング」

「ご褒美で買ったゲームを寝食忘れるほどに没頭」

「友人と一緒にお気に入りのカフェでひと時」など、

幸福といえるであろう経験は、お金で買うことができる。

そしてその経験は、何円何ドル何ユーロあるかどうかよりもずっと、幸福をもたらすのだ。

 

 

参考文献

Ashley V. Whillans,Aaron C. Weidman et al. (2016) Valuing Time Over Money Is Associated With Greater Happiness.

Brian C. Cadena and Benjamin J. Keys (2014) Human Capital and the Lifetime Costs of Impatience.

Cassie Mogilner (2010) The Pursuit of Happiness Time, Money, and Social Connection.

Cassie Mogilner and Michael INorton. (2015) Time, money, and happiness.

Francesca Gino and Cassie Mogilner. (2013) Time, Money, and Morality.

Sanford E.DeVoe and Julian House. (2011) Time, money, and happiness How does putting a price on time affect our ability to smell the roses.


所得の再分配の是非から知る、私たちの我儘さ。

2022-04-16 | 旧記事群

「あんなに稼いでいるのに、なんで脱税なんてするんだろう?」

「そんなに稼いでいるのならば、ちょっとぐらい分けてくれてもいいじゃないか」

現在、そう考える人が多数派だろう。

だが、もし自分がそういわれる立場の人になったとき、つまり多大な資産を抱える富豪にでもなったとき、

私たちはそういった問いに、なんと返すのだろうか。

 

 

私たちは、私たちが思う以上に自分本位に考えている。

表れはあらゆる形で顕在するが、その1つに、税金や資産の再分配に対する考え方が挙げられる。

具体的に言うと、「自分は周りよりも稼いでいる」と考える人は再分配に否定的であり、「自分は周りよりも稼げていない」と考える人は再分配に肯定的なのだという。

 

再分配というのは、所得であれ資産であれ格差が発生した時に、その格差を縮めるために行われるもの。基本的には、"稼いでいる人"から稼ぎを徴収し"稼げていない人"に配るという行為だ。税金(累進課税)も、その類であると考えることができる。

その再分配に対し、自分本位という前提を代入した場合、"稼いでいる人"は自分の稼ぎを徴収されることを渋り、"稼げていない人"は自分が配られる対象だと思い喜ぶはずだ。

ゆえに、再分配の策において食い違いが発生する。

 

また、再分配をめぐって両者は真逆の主張をすることだろう。

この稼ぎは俺が努力した結果手に入れたものだ、だからこの稼ぎの権利はすべて俺にある。税金にも納得がいかない、これは俺が手に入れたものだというに」

その稼ぎは運がよかったから手に入っただけだ、この世はすべて運なんだ。運で手に入れたお前にそれを独占する道理はない、俺たちに手渡すべきだ」

主張の動機は同じ。だからこそ対立するのだ。

 

 

ちなみに、今回説明した"稼げている"とかどうとかというのはすべて主観的なものである。

つまり、比較対象や環境が変わるだけでも、再分配に対する考え方が変わる可能性があるのだ。

技術革新で明らかに住みやすくなっているはずなのに、所得格差を嘆く私たちがいるのは、SNSとこれらの特性が組み合わさったことも一因だろう。

 

 

参考文献

Alberto Alesina,George-Marios Angeletos (2005) Fairness and Redistribution.

Jazmin L. Brown-Iannuzzi,Kristjen B. Lundberg et al. (2014) Subjective Status Shapes Political Preferences.

Mounir Karadja, Johanna Mollerstrom et al. (2016) Richer (and Holier) Than Thou The Effect of Relative Income Improvements on Demand for Redistribution.

Oliver PHauser and Michael I Norton (2017) (Mis)perceptions of inequality.

Olof Johansson-Stenman and James Konow (2010) Fair Air:Distributive Justice and Environmental Economics.


「好きなことで、生きていく」のはやっぱり難しい。

2022-04-09 | 旧記事群

私たちは基本的に、熱意だけで物事を成すのは難しい。

「私はこれがやりたい」の一点張りは、やりたいことの中に潜むやりたくないことに直面した時にすぐに折れる可能性があるからだ。

また、環境の変化により選り好みが変わり、熱意の対象も変わってしまうことが考えられる。

「好きなことで、生きていく」と意気込み動画配信者を目指すのは結構だが、企画・撮影・編集などの裏作業にも熱意が働くかは不明瞭であり、その熱意がずっと続くかの保証はどこにもない。

一朝一夕で物事を成すのが難しい現代の場合、熱意だけで物事を始めるのは少々リスキーかもしれない。

 

 

仮に、熱意がきちんと続き事をある程度成せてきたか、あるいは熱意以外の拠り所ができたとしよう。

その場合、次に直面するのは競争である。

つまり、数字などの外的指標ではかられる、その指標で他人と競い合う現場に身を置くということになる。

動画投稿者で言えば、ファンの総数や動画の視聴回数、あるいは広告収益などか。

行動を続ける以上目に入る指標に、次第に私たちは駆り立てられていく。

 

あまりにも指標に傾倒した場合、健康被害などの実害を伴いかねない。

一日何本も動画を作るために睡眠も食事も削っていくような状況もありうる。

これは非常にまずい。続けるどころの話じゃない。

しかし彼らは、それを意図的にやっているようにも見えるのだ。

理由を聞けば、陥った彼らはこう弁解し始めるだろう。

「相手が頑張っている以上、俺は休むことはできない」

「しなければならない、やらなければならない。なにもしない俺は無価値なのだから」

「いやだ、休みたくない。もっと頑張らなくちゃ、もっと数字を取らなきゃ」

 

抱いていた熱意はどこへやら。

体が壊れでもしたら、弁解する熱意もなく燃え尽きてしまうだろう。

 

 

行動の軸を熱意や数字などの要素1つに傾倒するのは好ましくなく、要素を複数個採用するのが続けるうえで適当であると、筆者は考える。

「最近の動画あんま伸びないけど、あれは自己満動画だからなぁ」

「あんまやる気でないなぁ……。せや、通帳の数字でも眺めようかしら」

 

「熱意を軸に投稿を続ける。再生数や収益も糧にする。両方、見失っちゃいけないのが難しいところだ。覚悟はいいか、俺はできてる。」

 

 

参考文献

Evan J. Douglas,Robyn J. Morris (2006) Workaholic, or just hard worker?

Ilona van Beek,Qiao Hu et al. (2011) For Fun, Love, or Money What Drives Workaholic, Engaged, and Burned-Out Employees at Work.

Marisa Salanova,Mario Del Líbano et al. (2013) Engaged, Workaholic, Burned-Out or Just 9-to-5 Toward a Typology of Employee Well-being.

Matt R. Huml,Elizabeth A. Taylor et al. (2019) From engaged worker to workaholic :a mediated model of athletic department employees.]

Van Beek, I., Taris, T. W., & Schaufeli, W. B. (2011). Workaholic and work engaged employees Dead ringers or worlds apart.