ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

「あなたのためを思って」という言葉の有害さを教育心理学の観点から

2022-07-30 | 旧記事群

「あなたのためを思って言っている」

この言葉に心当たりはないだろうか。

私はいくつかある。言われたことも、誰かが言われた現場も。言ったことはまだなかったはずだ。

もしこの言葉を聞いたことがないなら、ぜひとも知ってもらいたい。

もしこの言葉を聞いたことがあるなら、このお話にある程度納得できるだろう。

もしこの言葉を言ったことがあるなら、繰り返さないように思い返してほしい。

この言葉は、思う以上に私たちを蝕むもので、人になにかを教える時の一例として使えるものだから。

 


まず、「あなたのためを思って言っている」という言葉が使われる現場を想像する。

 

基本的に、この言葉は対象になにかを学習させたい指導者によって発せられる。

ここで言う学習とは「行動の変容全般」を指す広域的な言葉であり、事の発端は指導者が「わたしの要求通りの行動をしてくれないかな」との欲求を抱くところからである。

なので、対象がすでに学習している、つまり対象者の要求通りに行動している場合、言葉を投げかける必要がない。対象が指導者の要求に沿う理由はいくつがあるが、たいていは指導者の要求にある程度納得していることが挙げられる。

 

また、「あなたのためを思って言っている」の内をきちんと説明したとしよう。指導者の要求を、対象にとってわかりやすく説明した場合、ほとんどの対象者は納得し学習し始めるだろう。

「あなたのためを思って言っている」の内を明かす場合、この言葉はほぼ使う必要がない。説明する過程で主語が『あなた』から『対称の一人称』になる、対象の状況を踏まえたものになるはずだからである。

 

説明する過程で『あなた』が『あなた』のままであったり、そもそも説明を省いた場合、初めて「あなたのためを思って言っている」という言葉が発せられる。

説明をしてもなお対象が納得しなかったり、反応が鈍かったりしても、この言葉が発せられることがある。

 

 

指導者が学習させたいという欲求を抱き、その訳を説明せず納得していない対象にぶつけられる言葉が「あなたのためを思って言っている」となる。

この言葉は専門的な言葉で説明すると外的規制と内的規制に当たり……、早い話、「いいからやれ」と同義である。

支配的で抑圧的で、答えなければ嫌な顔をされ、あるいはそれ以上のネガティブな結果が待っている。

しかもこの言葉には「あなたのためを思って言っている(から、この善意に応えてくれるよね?)」という一方的な善意も込められている。突っぱねた時に出てくるのは、嫌な顔と、罪悪感だ。

 

「あなたのためを思って言っている」という言葉は、対象に学習させたいときに使える、非常に効率のいい言葉だ。一方的な善意と圧が、対象をがんじがらめにし、要求通りの行動を即座に起こしてくれるだろう。

もっとも、この言葉がもたらすのは効率の良さだけだが。

 

長期的目線に立った場合、この言葉は悪影響をもたらす。

一番厄介なのは思慮深さの欠落だろう。指導者の無茶な要求に対応すべくリソースを割くため、自分で考えることが徐々に難しくなっていく。

指導者が「あなたのためを思って言っている」と言い続ける環境は、対象の思慮深さを無視する場所だ。前提として育ちづらいし、削がれていく。

後は満足感幸福感などの低下、ざっくり言えば「なぜ生きているのか」がわからなくなってくる。思慮深さの欠落に拍車をかけるし、それ以外にも、考えたくない悪いことを引き起こしかねない。

 

 

「あなたのためを思って言っている」という言葉は、対象をコントロールして望み通りの結果を得たいという強い欲求の表れ。一方的な善意こそあれ、対象に寄り添う思いはほぼない。欲求についての説明が省かれた時点で、それを察するべきだろう。

 

もしこの言葉を聞いたことがないなら、これからも聞かず言わずのほうがいい。

もしこの言葉を聞いたことがあるなら、これからは聞かず言わずが望ましい。

もしこの言葉を言ったことがあるなら、これからどうするかはそちらに委ねる。

もしこの言葉の説明を聞いたうえでなおも「あなたのためを思って言っている」を使うのであれば、それでもかまわない。私は「あなたのためを思って言っている」なんて、あなたに言うことはない。

 

なにが起こっても私は知らないからな。

 

 

参考文献

Edward L Deci, Richard M Ryan. (1985) Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior.

JOHNMARSHALL REEVE (2009) Why Teachers Adopt a Controlling Motivating Style Toward Students and How They Can Become More Autonomy Supportive.

Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1), 68–78.


現代の学力格差は、学習意欲と情報社会によってもたらされる。

2022-07-23 | 旧記事群

教育学、あるいは生涯教育を語る場において、「強い人」「弱い人」という概念が存在する。

「強い人」と「弱い人」は自律的な学習ができるか否かを軸とした分類であり、

・前者は自律的な学習が営める人で、周囲が何もしなくても基本的に学びまくる、学習意欲に富んだ人。

・後者は自律的な学習が困難な人で、何らかの理由でそれが不可能である、学習意欲以前の問題を抱えていることが多い人。

---を指している。

そして、「強い人」と「弱い人」の学力格差は大きい。自分からどんどん学ぶ人と、周りが支えても動かない可能性がある人。差は歴然であり、当然のように思える。

 

この格差がある状況で、あるものを導入してみる。

「誰でも無条件に扱える、知識が大量に詰まった場所」だ。

わかりやすいものはWikipediaだろうか。Wikipediaは誰もが無料で閲覧できるネットの百科事典であり、これまでにあらゆる分野の知識が蓄積されている。「八甲田山遭難事件」「不確定性原理」「ウガヤフキアエズ朝」についての詳細な記事が1つの事典に記載されているのは他に見ないだろう。

他にも図書館とか、各種オンライン事典とか、多様な媒体で投稿されている教養とかが挙げられる。広域でものを捉えれば、Googleなどの検索エンジンもそうといえるかもしれない。

より分かりやすい例は、今閲覧しているブログだろうか。閲覧者に料金などの制限を課すことなく、ある程度確からしい知識を投稿している。「誰でも無条件に扱える、知識が大量に詰まった場所」の定義は一応満たしていると言えよう。

 

誰でも無条件に扱える、知識が大量に詰まった場所とは、何人も拒むことなく、その場所に行けばいくらでも学べる、あるいは学ぶ目的が見つかるところだ。

「強い人」にも「弱い人」にも同様に知識をもたらしてくれるところだ。

さぁ、これを導入することで、学力格差はどう変動するのだろうか?

 

 

答えは、格差がより拡大する、だ。

「強い人」にとってより学びやすくなるだけである。

 

なぜそうなるのか。

その理由を、私は最初に説明した。

「強い人」と「弱い人」は自律的な学習ができるか否かを軸とした分類である。

触れられる知識の質量を軸とした分類とは言ってないのである。

 

彼らを決定づけているのは知識へのアクセス権ではなく、自分の意志で学習できるかどうかである。「強い人」はそれができるから強いと、「弱い人」はそれが困難だから弱いと表現される。

知識それ単体が、学習になにかをもたらすわけではない。それを扱う側の意志や目的があって初めて有用となる。知識が大量に詰まっていたとしても、扱う意志も目的もなければ、まさに猫に小判。

ゆえに、誰でも無条件に扱える、知識が大量に詰まった場所を追加しても格差は縮まらないどころか、逆に拡大することになるのだ。

 

これが、学習意欲と情報社会から生まれた新しい格差である。

 

 

では、どうすればこの格差は解消されるのだろうか。

どう対処すれば、「弱い人」が「強い人」になれるのだろうか。

 

まず、休息をとること。

学習意欲を主に取り扱う自己決定理論は、学習意欲を「健康な人が」自然に有するものとして解説している。

生きているだけで精一杯な人に、疲労困憊な人に、自律的な学習をするだけの余裕はない。寝て、食べて、めいっぱい羽を伸ばす。そこからである。

 

次に、休息を容認してくれる場所に身を移すこと。

疲労を理由に休息をとっても誰も咎めることなく、むしろそれを奨励したり、推奨したりする場が好ましい。

 

そして、学習を応援してくれる場所と対人関係を持つこと。

学習意欲は外的要因ですぐに壊れる。周囲から指摘されたり、否定されたり、強制されたり、嗤われたり、無関心が続いたりすると、意欲は失せてしまう。

対象の学習を見守ってくれる、認めてくれる、自律的な学習を促してくれる、真剣に受け止めてくれる、あるいは一緒に学習してくれるような場所と人を持つべきだろう。

 

これらの対処は人によっては達成が難しい、あるいは現実的ではないものだろう。

特に、児童生徒が学習を応援してくれる場所と対人関係を持つことは難しいだろう。

支配的な授業を展開する教員、宿題をしなさいと起こってくる母親、宿題を気にも留めない父親。それらの要素は、生まれた環境によって決定されるのだから。

 

だからこそ、新しい格差は格差足り得る。

取り上げる問題として、浮かび上がるのだ。

 

 

補足

このお話は、いわゆる『脱学校論』の批評としてそのまま丸々利用できる。

『脱学校論』というのは、簡単に言えば「誰でも無条件に扱える、知識が大量に詰まった場所を学校に変わる新しいシステムとして導入しよう」という「強い人」が主語にくる教育論であり、義務教育の対義語でもある。

『脱学校論』から得られる気づきは多いが、その扱いは一種の思考実験程度にとどめておくべきである。

 

 

参考文献

Edward L Deci, Richard M Ryan. (1985) Intrinsic Motivation and Self-Determination in Human Behavior.

Petar Jandrić. (2014) Deschooling Virtuality.

Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1), 68–78.


完璧なゲームなど存在しないように、完璧な教育もまた存在しない。

2022-07-16 | 旧記事群

いわゆるコンピューターゲーム(以下、ゲーム)は、登場以来、私たちを熱中させ続ける魅力的な娯楽だ。

熱中できる理由は心理学の言葉で説明することができ、端的に言えば「一貫性のある非現実的な場所が舞台で」「目標や勝利条件が明確であり」「達成までの道のりや勝利したことで得られたものがすぐにわかり」「選択の余地と自由度がある」からゲームに熱中できるのだ[参照]

また、これらは熱中しやすいゲームを作るための要素と言い換えることもでき、この要素を欠かせばたとえゲームであっても魅力を感じづらくなる。

 

教育心理学を学ぶ人たちは、これを学習に転用しようと企んだ。

ゲーム以外の文脈で、ゲームのように熱中させることができるかを思案した。

俗にいう、ゲーミフィケーション[参照2]である。

ゲーミフィケーションとは"ゲーム的に表せる"意欲発生要因をゲーム以外の事象に用いることで、経験値とか、レベルアップとか、実績といった要素を学習などに適応することを指す。

そしてゲーミフィケーションの利点は、これまで専門用語でしか語れなかった意欲発生要因を"ゲーム的に表せる"こと。「自律性とコンピテンスと関連性を重視した教育方法を!」と言われるよりも「ドラゴンクエストっぽい教育方法作ろうぜ! ドラゴン要素は省いてもいいから!」と言われたほうが享受する側もされる側もわかりやすいのだ。

また、ゲーミフィケーションは発展途上の分野であり定義や手法が定まっておらず、人によって言ってることがかなり違うのが現状だ。が、それでも一番最初に話したゲームに熱中できる理由からは、どれもそう大きく外れていない。

(補足として、ゲーミフィケーション以外にもゲームを学習に転用する方法が編み出されている。ゲームベースドラーニング(GBL)やシリアスゲーム(SG)などがあるが、今回は割愛させてもらう)

 

意欲がより湧きやすいゲームと、それに倣い組み立てられたゲーミフィケーション。

一見するとこれまでにない学習成果を挙げそうだが、実際はどうなのだろうか。

 

今回は、ゲーミフィケーションの実践と実態について解説していく。

 

 

結論から言えば、効果はある。が、万能ではないことも確からしい。

 

まず、ゲーミフィケーションは自由記述課題にて一定の成果を残している

批判的思考が問われるような課題においても、同様だという。

本質で覚えるか、そのまま覚えるかなどの学習の微妙な志向の違いに口を出さず、ある程度の指標のもと、自由に主張できる。

この傾向は、クエストなどの目標の提示と選択の余地が、課題形式とうまくかみ合った結果だと考えられる。

 

また、参加者の学習への意欲向上に一役買っている

ゲーミフィケーションの本懐である意欲向上は、少なくとも果たされているという。

自分のしたこと、やったこと、できることがわかりやすく表示され、自分が何をすべきかを自分の熟練度に合わせて提示してくれる。協同で取り組んでくれるメンバーも、競争相手もいる。

ゲーミフィケーションの設計思想通りに学習教材を受けて意欲が湧かないというのは、かなり少数派になるだろう。

ちなみに、ゲーミフィケーションにおいて効果を普遍的にもたらすのはクエストや実績といった要素、つまりゲーム的な目標の提示だという。

 

が、ゲーミフィケーションは基礎知識習得などの単調な記述課題においては「よくわからない」。研究ごとに成果のブレが激しいのだ。

ただ、どの研究も自由記述課題ほどの成果を出しているわけではないらしい。

これに関しては明確な因果関係が求めだされているわけではないが、恐らく単調な記述課題は「つべこべ言わずにやる」のが一番速いことを示唆しているのだろう。

 

それに、ゲーミフィケーションは享受する側の裁量によってその成果が大きく揺さぶられる

この場合、成果が大きく揺れる原因は、主にゲーミフィケーションの本懐の理解の是非、享受する側とされる側の目的のずれなどである。

また、ゲームで言うマルチプレイ要素はその扱いが難しく、場合によっては過度な競争をもたらし意欲減退にすら繋がってしまう。

ざっくり言えば「とりあえずゲーム的に表現すればいいっしょ!」という考えは破綻をもたらす、ということ。

 

そして、ゲーミフィケーションは万人に効果があるわけではない

これは、万人に通用するゲームがないのと同じ論理である。

確かに、ゲーミフィケーションはゲームに倣い、人々が熱中できるだろう要素を抽出し、これを実践した。そして、目論見通り熱中してくれる人もできた。

が、同時に「どう頑張っても」熱中しない人もできた。

これは、ゲームにおいて最初に発揮される自由度「そのゲームをプレイするか」が、ゲーミフィケーションにおいても発揮されたからである。

どれだけ熱中しやすく魅力的であっても、そもそもその学習分野に魅かれなければやらないし続かない。

あらゆる教育論が直面してきたこの問題に、ゲーミフィケーションもまた抗えなかったのだ。

 

 

ゲームは人々を熱中させ続ける魅力的な娯楽だ。

そうなる理由は心理学的に説明が可能である。

この事実をもとに、ゲームが人々を熱中させ続ける理由を、ゲーム以外に活用しようと試みた。

それが、ゲーミフィケーション。

ゲーミフィケーションは意欲に関する学術的見解を、ゲームっぽく表現することに長けていた。

ゲームが人々を熱中させる理由がわかっていれば、学術的見解をゲームっぽく実践できることにも長けていた。

ゲーミフィケーションは、学習の意欲向上に一役買うと思われた。
そして、それは履行された。

それでも、完璧とは程遠かった。

 

完璧なゲームなど存在しないように、完璧な教育もまた存在しない。

このことを念頭においておけば、ゲーミフィケーションによる学習成果は、望んだとおりのものになるだろう。

 

 

参考文献

Adrián Domínguez,Joseba Saenz-de-Navarrete et al. (2012) Gamifying learning experiences;Practical implications and outcomes.

Biyun Huang and Khe Foon Hew. (2018) Implementing a theory-driven gamification model in higher education flipped courses Effects on out-of-class activity completion and quality of artifacts.

Biyun Huang,Khe Foon Hew et al. (2019) Investigating the effects of gamification-enhanced flipped learning on undergraduate students’ behavioral and cognitive engagement.

Jan Hense PhD & Heinz Mandl PhD. (2014) Learning in or with games?

Jonna Koivisto,Juho Hamari. (2014) Demographic differences in perceived benefits from gamification.

JuhoHamari. (2013)  Transforming homo economicus into homo ludens:A field experiment on gamification in a utilitarian peer-to-peer trading service.

Katharina Jahn,Bastian Kordyaka et al. (2021) Individualized gamification elements:The impact of avatar and feedback design on reuse intention.

Luisde-Marcos,Adrián Domínguez et al. (2013) An empirical study comparing gamification and social networking on e-learning.

Michael Sailer & Lisa Homner. (2020) The Gamification of Learning:a Meta-analysis.

Michael Sailer,Jan Ulrich Hense et al. (2016) How gamification motivates An experimental study of the effects of specific game design elements on psychological need satisfaction.

Rosemary Garris,Robert Ahlers et al. (2002) Games, Motivation, and Learning:A Research and Practice Model.

Sujit Subhash,Elizabeth A.Cudney (2017) Gamified learning in higher education A systematic review of the literature.

Zamzami Zainuddin. (2018) Students' learning performance and perceived motivation in gamified flipped-class instruction.


「インク切れボールペン」を用いた、ゲームを活かした学習の一例。

2022-07-09 | 旧記事群

例えば、君がいまボールペンで勉強していたとしよう。

メモ帳か、あるいはルーズリーフか。容赦なく教材に書き込むか、大胆に壁に記入するか。書く場所は不問とする。

書く場所がどこであっても、書き写したい文面、メモしておきたい文言、勉強したことで気づいたことなどをボールペンで書いていれば、ボールペンのインクは等しく消費され、そして切れるはずだからだ。

長く勉強することで、あるいは濃く勉強することで、ボールペンのインクはより速く消費されていく

インクの残量は、差し引くことで分かるインクの消費量は、たいてい目に見える形で表される。残量がわからなければ、いつ替えのボールペンを買えばいいのかがわからなくなるからだ。

勉強を続けたい君にとっては、インクの残量は頭の片隅に置きたい情報のはず。

 

その頭の片隅に置きたい情報に、付加価値を与えてみる。

 

 

 

勉強するだけ、インクは明確に消費され、いづれば切れる。

これは、目標に近づくだけ、パーセンテージが満たされていき、やがては達成される『進捗』や『プログレスバー』と言い換えることもできるはずだ。

ほら、ゲームでよく見かけるアレだ。

 

インクの消費が、進捗やプログレスバーみたいな目標完遂のための明確な目印だと言い換えられるのは、

インクを消費することで、しきることで、ある程度の勉強をしてきた物的証拠にもなるからだ。

君がボールペンで勉強をしているのなら、インクは勉強をしなければ消費されないはず。

であれば、インク切れボールペンは、ある程度の勉強をしたことで得られる『クエスト報酬』のような意味合いを持つんじゃないだろうか?

勉強をすればするだけできていく、勉強をしてきた証。学習成果がわかりづらい勉強において、これ以上ないぐらいわかりやすい成果だ。

 

導入するまえに、1つ注意してほしい。

インク切れボールペンは、あくまでも勉強したことで得られるアイテムであり、入手自体を目的としては意味が薄れるということ。

インクはあくまでも勉強成果を明確にする進捗の意、ということを忘れないこと

もしインク切れボールペンの入手を目的にした場合、勉強なんかするよりも、メモ帳とかルーズリーフとか教材とか壁とかぜーんぶ黒く塗りつぶしたほうが都合がいいからだ。

壁一面を黒く染めたところで学べるものは少ないだろうし、教材を塗りつぶしたら学べるものが欠落してしまう。

勉強してできたインク切れボールペンが目的なのであり、塗りつぶしてできたインク切れボールペンは……少なくとも勉強の意は含まれないだろう。

 

インクの消費という、明確な進捗の追加。

インク切れボールペンという、明確な目標の追加。

ゲーミフィケーション[参照]導入の、一番わかりやすい例だ。

 

頭の片隅に置いた情報は、ふとした時にやる気をくれるだろう。

生み出されたやる気は小さいが、勉強する動機には充分だ。

 

なしてここにある ペンは全部インクないん? 誰か知らん? (僕知らん!)

参考文献

Biyun Huang and Khe Foon Hew. (2018) Implementing a theory-driven gamification model in higher education flipped courses Effects on out-of-class activity completion and quality of artifacts.

Richard M.Ryan and Edward L.Deci (2020) Intrinsic and extrinsic motivation from a self-determination theory perspective:Definitions, theory, practices, and future directions.


ゲーム要素を学習に転用する「ゲーミフィケーション」について解説

2022-07-09 | 旧記事群

いわゆるコンピューターゲーム(以下、ゲーム)は、登場以来、私たちを熱中させ続ける魅力的な娯楽だ。

熱中できる理由は心理学の言葉で説明することができ、端的に言えば「一貫性のある非現実的な場所が舞台で」「目標や勝利条件が明確であり」「達成までの道のりや勝利したことで得られたものがすぐにわかり」「選択の余地と自由度がある」からゲームに熱中できるのだ[参照]

また、これらは熱中しやすいゲームを作るための要素と言い換えることもでき、この要素を欠かせばたとえゲームであっても魅力を感じづらくなる。

 

ゲームに熱中できる理由は、特に教育心理学のうち意欲関心を中心に言及する自己決定理論の言葉で説明されることが多い。上記の説明も、自己決定理論による説明をかみ砕いたものだ。

ここで、教育心理学を学ぶ人たちは考える。

「ゲームに熱中できる理由が心理学の言葉で説明できるなら、その言葉を根拠に、どこか別のところで活用できないだろうか?」

「ゲームと熱中しやすいゲームを作るための要素が別々に分けられるなら、ゲームを別のものにすり替えても機能するのでは?」

彼らは、熱中しやすいゲームを作るための要素の、転用を練り始めたのだ。

 

今回は、ゲーム要素を学習に転用する"ゲーミフィケーション"について解説していく。

 

 

ゲーミフィケーションとは、熱中しやすいゲームを作るための要素、つまり"ゲーム的に表せる"意欲発生要因をゲーム以外の事象で利用することを指す。

簡単に言えば経験値・レベル・実績などを学習に取り入れたりすることで、これだけ勉強したから経験値これだけ手に入れて、レベルも上がって実績も取れてやったね! ……というイメージである。

 

ゲーミフィケーションにおいて重要なのは"ゲーム的に表せる"ということ。

ゲーミフィケーションのもととなる理論、例えば自己決定理論なんかはそれ単体でも利用できるのだが、内容を一般化したために説明が抽象的であり、それを利用するための手順も定まっていなかった

「これが意欲が湧く要因だぜ」と説明はできても「具体的にこうすれば湧くんだぜ」と具体案を提示できる文献は少ない。「自律性の支援が意欲をもたらす」ことを挙げたものはあっても「自律性の支援のいろはを分析する」ことを挙げたものはそうないのだ。

上記の簡単な説明も、自己決定理論の言葉を使った場合「コンピテンスを明確かつ利己的に表現しフィードバックを即時に返すことで動機の統合化を図り意欲向上を狙う」となる。簡単な説明じゃなくなる。

 

ゲーミフィケーションの利点は、自己決定理論などを"ゲーム的に表せる"ため説明と利用が楽になることだと筆者は考える。

ゲームの各要素は意欲を説明できるほどに的を射たものであり、非常に身近な例えとしても機能する。そして、それらの要素は独立しているため目的に合った取捨選択が可能となる。

「自律性とコンピテンスと関連性を重視した教育方法を!」と言われるよりも「ドラゴンクエストっぽい教育方法作ろうぜ! ドラゴン要素は省いてもいいから!」と言われたほうが享受する側もされる側もわかりやすい、ということだ。

 

 

ここからゲーミフィケーションの具体的な要素を解説していく前に、ここで1つ、ゲーミフィケーションのわかりづらいところを説明したい。

ゲーミフィケーションは発展途上の分野であり、"ゲーム的に表せる"の中身もまだ模索途中だ。

つまり、ゲーミフィケーションの説明と利用は文献ごとにかなり異なり、そのもととなる理論にもかなりばらつきがある。人によって言ってることもやってることも違うのだ。

挙句の果てにはゲーミフィケーションの定義もバラバラである、それぐらい議論が盛んなのだ。上記にあるゲーミフィケーションの説明は、いろんな文献をかいつまんで練った筆者独自のものだ。

もちろん、今世に出ているゲーミフィケーションの定義と詳細を全部記述するわけにはいかないので、今回はBiyun Huang et al.(2018)で語られるGAFCCを基に解説していく。 

 

GAFCCとは自己決定理論など5つの意欲関心に関する理論を裏付けとしたゲーミフィケーションの具体案であり、目標(Goal)・選択(Access)・フィードバック(Feedback)・競争(Challenge)・協調(Collaboration)の5つの要素からなる。

 

 

 

イメージ画像(参考:CRAFTOPIA)

目標(Goal)とはクエストやストーリーなどで表される短期的・長期的な学習目標である。

目標は現実的に達成可能かつ学習目標の文脈に沿ったものの場合、より効力を発揮する。また、報酬や期限を設けることで目標達成への行動を促したりもできる。

少なくとも「それの達成が学習者にとって利益となる」ことが示せればいい。

 

選択(Access)とはクエストに対する選択の余地などで表される学習行動の自由度である。

一部クエストの達成を推奨に留めたり、どのクエストを行うかを学習者に委ねることで、学習行動における意思決定を保証する。

学習者のレベルに応じた上位クエストの開放もこれに当たる。これは後述のフィードバックと連携した要素であり、上がったレベルの受け皿として機能するのが望ましい。

また、教材の扱いやすさもこれに当たる。「学習者の学習行動を阻まない、飽きさせない」ために必要だ。

 

 

 

イメージ画像(参考:DELTARUNE)

フィードバック(Feedback)は実績やステータス表などで表される学習行動の進捗を即座に知らせる仕組みである。

クエスト達成により報酬がもらえたりレベルアップしたり、ストーリーの進捗をプログレスバーなどで可視化したり、それらの範疇を超えたやりこみを評価する実績を設けたりなど、形態はさまざまである。

少なくとも「学習者のしたことが無駄じゃない」ことが証明できればいい。

 

イメージ画像(で参照したかったけど一身上の都合により掲載不可)

競争(Challenge)協調(Collaboration)はマルチプレイやランキングボードなどで表せる対人交流の確保である。

クエスト達成数やステータスで順位を決め、上位を目指すよう競争を促したり。あるいはマルチプレイ前提のクエストを設け、共同作業を促したり。チャットやグループなど、言葉を交わせる仕組みがあればなお良しである。

「あの人に勝ちたい」や「あの人がやってるから、私も」を促す構造であればよい。

 

実際にはこれら5つをすべて導入するわけではない。掲げられた学習目標を参考に内容を練り、取捨選択を行い適応させる。

学習者の傾向と分散、学習内容とその目的、教材と教員などを加味して組み上げるのだ。

特に競争と協調は社会心理学も混じった要素であり、扱いを間違えると当初掲げた学習目的を放棄されかねない。この要素の導入は学習者の傾向と分散をもとに決めたほうが好ましいだろう。

 

 

ゲーミフィケーションとは"ゲーム的に表せる"意欲発生要因をゲーム以外の事象で利用すること。

"ゲーム的に表せる"ため、意欲向上の説明や、そのための教育方法の構築に一役買っている。具体的な方法も"ゲーム的に表せる"ため、とっつきやすいというメリットもある。

このため、一部界隈では反転授業に並ぶ新しい教育方法だともてはやされているが……現実はそう単純な話ではないのだ。

 

 

参考文献

Biyun Huang and Khe Foon Hew. (2018) Implementing a theory-driven gamification model in higher education flipped courses Effects on out-of-class activity completion and quality of artifacts.

Biyun Huang,Khe Foon Hew et al. (2019) Investigating the effects of gamification-enhanced flipped learning on undergraduate students’ behavioral and cognitive engagement.

Jan Hense PhD & Heinz Mandl PhD. (2014) Learning in or with games? 

Michael Sailer,Jan Ulrich Hense et al. (2016) How gamification motivates An experimental study of the effects of specific game design elements on psychological need satisfaction.

Sujit Subhash,Elizabeth A.Cudney (2017) Gamified learning in higher education A systematic review of the literature.

Zamzami Zainuddin. (2018) Students' learning performance and perceived motivation in gamified flipped-class instruction.