ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

「こいつは簡単に阻害できる」自発的な行動がいかに難しいかを心理学的に解説。

2023-08-28 | 動機付け理論

自発的な行動、特に目的的行動の文脈の内発的動機付けや知的好奇心など、自分自身で目標を立てそれに従い行動することはかなり難しいとされる。

「かなり難しいとされる」と曖昧な表現をしたのは、自発的な行動の成功率や維持率を直接計ることがほぼ不可能なため、直接的な証拠を提示できないことに由来する。

代わりに研究者らは「どうすれば自発的な行動を妨げられるのか」に焦点を当て研究を行った。そしてその研究成果から組み立てられた環境の現実における再現性の高さや普遍性から、「かなり難しいとされる」と表現するに至った。

 

…つまり、私たちの身の回りにおいてそれを阻害する要素が多いから、自発的な行動は起こしにくいし続けにくいかもね、ってことが言いたいのだ。

 

 

内発的動機付けについて掘り下げた認知評価理論というお話がある。これを引用する限り、内発的動機付けは身の回りの環境によって、身の回りの環境を本人がどう解釈したかによって変化するという。

①環境が統制的かどうか。周りがあれこれ指示したり、禁止や圧力をかけたりして、自分の思うように行動できないと内発的動機付けは低下する。

②環境が本人の意思を尊重したり、励ましたりするか。「なんでそれやってるの? 意味あるのそれ?」みたいな本人の意思全否定や、「90点取れるなら100点も行けたでしょ?」とかのまったく励まさない姿勢は、内発的以前に意欲をごっそり削っていく。

③環境が本人の能力を否定しているかどうか。先ほどの「90点取れるなら」に近い文脈。「無理無理絶対できるわけないよ」みたいな。こちらは本人が陥ったときに追い打ちをかけるようなイメージか。

 

 

また、認知評価理論では内発的動機付けを低下させる要因をいくつかピックアップしている。

 

一番有名なのは報酬関係か、アンダーマイニング効果とかなんとかいわれているやつ。

報酬が内発的動機付けを下げるのはあくまでも報酬の獲得を目的として認知している場合であり、報酬そのものは内発的動機付けを下げるわけではない。「私はお金を得るために頑張っている!」っていうような状態は内発的動機付けとは言えないな。

「私はお金を得るために頑張っている!」状態に移行させないようにすれば、例えばなんの予兆もなくご褒美をポンと渡すとかであれば問題なかったりする。

 

周囲による評価も内発的動機付けを下げることがある。

正確には、これも評価の獲得を目的として認知するような場合、それを下げてしまう。

最初はお絵描き楽しくて、それだけでいつまでも楽しくやっていたのに、気が付いたらいいねとかコメントとかを気にするようになって、自分の描きたいものを見失ってしまった…みたいなエピソードをたまに聞くと思うが、それはまさしくこれが原因。

また、評価の獲得を目的にしたとき、そもそも動機づけの維持が難しいというのもある。

学校の成績で例えれば、自分がいくら頭が良くても、周りがもっと頭が良ければ相対的に評価されなくなって、やる気をなくす…という現象が頻発するのだ。

第三者による監視も似たような理由で低下させる。私たちは過剰に人の目を気にするのだ。

 

時間制限もまた、内発的動機付けを下げる。

取り組む時間の制限、つまり期限は否応なしにその期間までの完成を目標に掲げられる。

目的的行動が手段的行動にすげかわるという意味で、内発的動機付けが低下するのだ。

 

競争に関する話題はちょっとややこしい。

少なくとも、勝敗という相対的評価への依存という観点からすれば、内発的動機付けは低下するものと考えられる。

勝ったら気分高揚するし、負けたら気分ダダ下がり。そして勝つか負けるかは自分の能力と相手の能力で決定される。

一般の動機付けとしても、安定するかは怪しい。一部の動機付け論者は競争を「百害あって一利なし」って切り捨ててる。

 

 

内発的動機付けは、行動そのものが目的だったり、探究活動であったり、目標をすべて自分で決めていたりと、行動に関するほぼすべての意思決定が自身で完結しているか自身の範疇にあるものだ。

そして、その動機付けの表出が自発的な行動である。

この自発的な行動は、周りの不理解や、評価の機会、報酬などの茶々入れで簡単に阻害される。行動の目的がほかにできたり、探究どころではなくなったり、目標が他人に決められたりして。

 

簡単に阻害でき、阻害できる方法が多く、日常にはびこっているため、私は自発的な行動を起こしたり維持したりするのがかなり難しいとした。

 

裏返せば、この阻害要因をしらみつぶしにすれば、自発的な行動は起こりやすく維持しやすくなる。

 

 

 

参考文献

岡田 涼, 内発的動機づけ研究の理論的統合と教師―生徒間の交互作用的視点, 名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要, 心理発達科学, 2434-1258, 名古屋大学大学院教育発達科学研究科, 2007-12-28, 54, 49-60, https://cir.nii.ac.jp/crid/1390009224509489024,10.18999/nupsych.54.49

鹿毛 雅治, 内発的動機づけ研究の展望, 教育心理学研究, 1994, 42 巻, 3 号, p. 345-359, 公開日 2013/02/19, Online ISSN 2186-3075, Print ISSN 0021-5015, https://doi.org/10.5926/jjep1953.42.3_345, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/42/3/42_345/_article/-char/ja,

新動機づけ研究の最前線. 上淵寿, 大芦治編著.  京都 : 北大路書房. 2019.8. ISBN 9784762830723 ; (BB28720481) ; https://ci.nii.ac.jp/ncid/BB28720481


「ないない絶対ない、ありえない」結局、ゲームが原因で人間は攻撃的になれるのか?

2023-08-26 | ゲーム

画像引用: https://w.atwiki.jp/gcmatome/pages/5331.html

ゲームの暴力的描写・ゴア表現が人間を攻撃的にするという主張は、初期のアーケードゲームが出始めたころから存在した。

アメリカのExidy社が発売した「Death Race」をめぐっての論争は当時の全国紙に載るほどの大騒ぎになった。一部のデモ参加者は筐体を壊すなどして訴えたそう、君らが暴力的になってどうするんだ。

FPSや格闘ゲームが流行した1990年代においても同様の論争が活発化した。ストリートファイターとかWolfensteinとかそのあたり。

現在この論争がどのように展開されているかはわからないが、「ゲーム 暴力的になる」とgoogle検索した結果、1ページ目に表示された記事のほとんどはこの主張を否定する内容の記事だった。主張自体は下火なのかな?

 

 

ググって出てきた記事のほとんどがそういうように、ゲームの暴力的描写・ゴア表現が人間を攻撃的にするという主張は間違いと言い切っていい。あったとしてもごく短期的なもの、長期的な影響は皆無だ。今までたくさんの人が研究してきたけど、これっぽっちも、影響は見られなかった。

また、ゲームの暴力的描写がプレイの楽しさに結びつくことはない。過激なゲームが楽しい理由は、過激な表現を使っているからではなく、ゲームの出来が非常にいいから。過激な表現が没入感を高めるという効果も存在するが、そうした没入感はまずゲームの出来が良くないと発生しない。Battlefieldシリーズがいい例だ。

続けて、ゲームによって起こされた攻撃性はプレイ時のフラストレーションが由来のものだ。誰だってうまくいかなかったら苛立ちを覚えるものでしょう? それ自体は普遍的な事象だ。近い主張としては競争に対する執念や闘争心が攻撃的な行動として表出することがあるという。

そして、もともと攻撃的な人が暴力的な描写を好む傾向にあるその人が持っている攻撃性などが暴力行為に直接関係するが、暴力的描写がそこにかかわることはなく、媒介効果もないとのことだ。攻撃的な人が暴力的なゲームを好むのであって、暴力的なゲームをしている人全員が攻撃的な人というわけではない、必要十分条件を見誤らないでほしい。

 

 

そもそも、なんでゲームの暴力的描写が人間を攻撃的にする、なんていう主張が出回るようになったのだろう?

うまくいかなかったときの苛立ち、例えばアーケード台を殴りつけるさまとか奇声を上げるさまとかを見て、「うわっあの人、ゲームに対して怒っている…」という怪訝な感情がどんどん発展していった結果なのだろうか?

 

あと、ひねくれた主張として「ゲームが人間を攻撃的にする、という主張を掲げる人が非常に攻撃的なためこの主張はある程度の整合性がある」というものがある。

一見するとゲームを理由に攻撃的になっているため肯定できそうだが、そういう人はもとから異常なため棄却される。嫌味としてはハイクオリティだがな。

 

 

参考文献

Ferguson, C. J., Rueda, S. M., Cruz, A. M., Ferguson, D. E., Fritz, S., & Smith, S. M. (2008). Violent Video Games and Aggression: Causal Relationship or Byproduct of Family Violence and Intrinsic Violence Motivation? Criminal Justice and Behavior, 35(3), 311–332. https://doi.org/10.1177/0093854807311719

Przybylski, A. K., Deci, E. L., Rigby, C. S., & Ryan, R. M. (2014). Competence-impeding electronic games and players’ aggressive feelings, thoughts, and behaviors. Journal of Personality and Social Psychology, 106(3), 441–457. https://doi.org/10.1037/a0034820


「まだよくわからない」ゲームによっては男女比が極端になる理由を、心理学の観点から考察。

2023-08-25 | ゲーム

男の子ってこういうのが好きなんでしょ?」というネットスラングがある。

これは男性が好きそうなものを紹介するときに添えられる一種のステレオタイプな文章である。ガンダムやアーマードコアに代表される人型ロボットがその代表例である。詳しいことはニコニコ大百科参照。

私は一般的な男性だが、特に銃火器に対しては強いこだわりがある。推しはゲパードGM6 lynxです、ガスガン出してくれ。

 

 

このスラングは、心理学的に見たときに結構興味深い題材になる。

ステレオタイプ的な価値基準への長期的な暴露による選好の変化とその循環を一言で表しているのだ。

 

「男の子はこういうのが好き」という思い込みが十分に広がっている集団に、新しく男女1組が入るとする。

男性がそれに触れたとき「やっぱり男の子は」というリアクションをもって受け入れられ、女性がそれに触れたとき「えぇちょっと意外」と多少なりとも特異に扱われる。

この時、思い込みに整合性は必要なく、十分に広がっていることのみが条件にある。また、男性に対する肯定と女性に対する驚きはなんの含みもなく発されることが多いが、「女のくせにそれやってるのかよ」とまれに思い込みに反していることを極端に扱う人もいる。

この暴露は長期的に行われ、次第に思い込みの通りに移動する。つまり、男性はそれに惹かれやすくなるし、女性は惹かれづらくなる。

正確に言えば、男性はそれに魅入られたことを拒否されづらく、女性はそれに魅入られたことを拒否されやすい、と判断するようになる

次第に、新しく入った男女1組はこの思い込みを内在化し、集団側に属するようになる。

そしてまた、新しい人が入ってくる…の無限ループ。

この思い込みは環境の変化などこれまた長期的な経過により改変または棄却されることが多い。

 

 

上記の無限ループは、趣味嗜好などの選好における性差を社会心理的アプローチから分析したときの主張の1つだ。

 

そしてこれは、そのままゲームによっては男女比が極端になる理由としても用いられることがある。

「やっぱり男の子はロボゲーが好きなのね」と、「女性がロボゲーやるなんて以外」と。

繰り返すが、基本的に悪意はなく、住みわけののように自然に機能する。

 

 

注意してほしいのは、この主張が選好の性差を決定づける要因ではなく、極端になる理由に関してはいまだ開拓中の分野であるということ。

男女比が極端になる理由を説明するためにこのアプローチから攻めた研究を読んだが、この要素が占める分散の割合は1~2割程度と決して優位とは言えない。

また、性差については認知心理学/神経科学的アプローチからも攻められている。ゲームプレイの際に用いる認知機能の優劣と性別にある程度関連があるとしているが、これも知見の蓄積がない。

この問題をもっとややこしくしようか。いま話しているのは特にゲームジャンル選好の性差だが、ゲームをプレイしてて楽しいと感じる条件や仕組みには性差がない。「男の子が好き」とされるようなゲームであっても、ゲームとしての出来が良ければ女性も食いついてプレイするのだ。

いま言ったのはゲームの継続・離脱理由というマクロな視点からの分析だったが、プレイの目的(動機)になると性差が表れてくる。ミクロな分析を通しで見ると、そもそも女性はゲームプレイに対しあまり頓着しない傾向が浮き彫りになる。

じゃぁその原因はなんでだ、って感じで今も論争が続いてる。

 

 

Q:なんでゲームによっては男女比が極端になるんですか?

A:まだよくわからない。

 

 

参考文献

Lucas, K., & Sherry, J. L. (2004). Sex Differences in Video Game Play:: A Communication-Based Explanation. Communication Research, 31(5), 499–523. https://doi.org/10.1177/0093650204267930

Greenberg, B. S., Sherry, J., Lachlan, K., Lucas, K., & Holmstrom, A. (2010). Orientations to Video Games Among Gender and Age Groups. Simulation & Gaming, 41(2), 238–259. https://doi.org/10.1177/1046878108319930

遠藤 雅伸, 三上 浩司, 継続したゲームプレイからの離脱理由に関する調査分析, デジタルゲーム学研究, 2020, 13 巻, 2 号, p. 13-22, 公開日 2021/07/01, Online ISSN 2434-4052, Print ISSN 1882-0913, https://doi.org/10.9762/digraj.13.2_13, https://www.jstage.jst.go.jp/article/digraj/13/2/13_13/_article/-char/ja,

Jansz, J., Avis, C., & Vosmeer, M. (2010). Playing The Sims2: an exploration of gender differences in players’ motivations and patterns of play. New Media & Society, 12(2), 235–251. https://doi.org/10.1177/1461444809342267

Hoffman, B., Nadelson, L. Motivational engagement and video gaming: a mixed methods study. Education Tech Research Dev 58, 245–270 (2010). https://doi.org/10.1007/s11423-009-9134-9

遠藤 雅伸, 三上 浩司, 継続したゲームプレイからの離脱理由に関する調査分析, デジタルゲーム学研究, 2020, 13 巻, 2 号, p. 13-22, 公開日 2021/07/01, Online ISSN 2434-4052, Print ISSN 1882-0913, https://doi.org/10.9762/digraj.13.2_13, https://www.jstage.jst.go.jp/article/digraj/13/2/13_13/_article/-char/ja,

Daphne Bavelier, C. Shawn Green. Enhancing Attentional Control: Lessons from Action Video Games. Neuron, Volume 104, Issue 1,2019, Pages 147-163, ISSN 0896-6273, https://doi.org/10.1016/j.neuron.2019.09.031.


「文脈によっては意味が異なることがある」内発的動機付けをもっと知りたい人に向けた小話。

2023-08-22 | 動機付け理論

ひとえに内発的動機付けといっても、参考文献や文脈によりその意味が異なることがある

代表的なものをいくつが挙げる。

 

 

まず認知的な情報プロセスに焦点をあてたもの。好奇心や探求心といったような"古い動機付け理論"では説明できない活動を説明するための概念としての内発的動機付けがある。

この概念では、新規的で、複雑で、驚きと、曖昧さを持つものを理解したいという欲求が内発的動機付けの根源とされた。

今はこういったものは知的好奇心といったほうが伝わるかもしれない。いま世間で広がっている内発的動機付けとはかなり雰囲気が違うけど、もともと「内発的動機付け」はこういった概念を指すものだったんだ。

この概念は動因低減説に対する痛烈な批判という形でどんどん派生していって…という話は長くなるので割愛。

 

 

次に目的的行動と手段的行動で区別したもの。行動そのものを目的とする内発的動機付けと、ある目的を達成するための分離した行動である外発的動機付け、というわかりやすい二項対立で説明するやつ。

「外発的動機付けと比較している」文脈の内発的動機付けは大体これであることが多い。

それでだいたい、内発的動機付けは長期的にはメリットがたくさんあるけど、これを作るのはとても大変で、短期的には外発的動機付けのほうがいい、みたいな扱い方をされる。まぁ間違いではないけど。

すごい余談だけど、職場において意図的に内発的動機付けを起こすのはほぼ不可能だと思ってもらっていいよ。理由は屁理屈めいたもので、給与という目的がある以上、その行動は絶対に内発的動機付けにはならないんだよね。

 

 

3つ目は因果律の所在を軸としたもの。その行為が自分に帰属しているか、ほかのものに帰属しているかで区別している。

2つ目の考え方と結構近い、というかよく混ぜられて使われてる。厳密にいうなら2つ目はCET寄りで、3つ目はOIT寄りのものだけどね。

自習のような目的も評価もぜんぶ自分で決められるものをやるときは完全に因果が内側にあって、テストのような目的も評価もぜんぶ他人が決めているものをやるときは因果が外側にある、みたいなイメージ。

ここで扱われている内発的動機付けと外発的動機付けは完全な二項対立じゃなくて、いくつかの段階に分けられている。よく使われるたとえが「宿題をイヤイヤやる子もいれば、素直に実直にやる子もいる」というもの。宿題という外に因果があるものに対し、前者は受け入れられずやる気をなくし、後者は価値や目的を見出して因果を自分側に寄せている、という違いがある。

また余談。職場においての内発的動機付けの件だけど、こっちの概念を採用すれば内発的動機づけとまではいかずとも『統合的調整』というところまで追い上げることができる。これは外に因果があるものを完全に自分のものにしている状態で、一見最強に見える動機づけだ。

 

 

4つ目は主観的感覚や知覚に主眼をおいたもの。フロー状態とかがこれにあたる。

研究もかなりミクロな視点に立っているため万人に当てはまるかと言われればわからない。が、この視点のものは内発的動機付けというものをよりリアルに描きだそうとしている。

だから、内発的動機付けに従っているときはこんな感覚だよー、みたいな説明の時に使えるのかもしれない。

 

 

以上、内発的動機付けをもっと知りたい人に向けた小話でした。

 

 

補足情報として、内発的動機付けとググったときに出てくる記事は、少なくとも上位4件ぐらいはちゃんとしたこと書いてます

この記事書くときに気になって実際にググったんだけど、思ったよりちゃんとしたこと書いてあってびっくりした。

そしてDeci氏が社会心理学者であることをそこではじめて知ったというね。あなた教育心理学者じゃなかったんだ。

 

 

参考文献

鹿毛 雅治, 内発的動機づけ研究の展望, 教育心理学研究, 1994, 42 巻, 3 号, p. 345-359, 公開日 2013/02/19, Online ISSN 2186-3075, Print ISSN 0021-5015, https://doi.org/10.5926/jjep1953.42.3_345, https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjep1953/42/3/42_345/_article/-char/ja,


「片方は教育にも使うし、片方は教育で使うもの」ゲーミフィケーションとゲームベースラーニングの微妙な違い。

2023-08-16 | ゲーミフィケーション

記録に残る限り、私は2020年10月11日から論文とふれあっている。

約三年間休みなしで、論文とふれあっている。

つい最近はセチリジン塩酸塩20㎎接種した状態で一日中論文読むとかいう奇行をしていた。ばかですね。

結果、7本読んで要約できた。なにしてるんだろう。

 

で、これだけ読んでいると、自分の読み込んでいる分野の研究のクセみたいなのが分かってくる。

自己申告制の質問票を用いたため自分を善く見せようとするバイアスに結果が左右されている可能性がある」という言葉が頻出、というのもその1つ。

今回紹介するのもそんなネタの1つ。

私が知る限り、ゲーミフィケーション(Deterding et al. 2011)は主に意欲向上の効果が認められ、ゲームベースラーニング(Prensky 2003)は主に成績向上が認められ、という傾向がある。

 

 

ゲーミフィケーションはゲームが楽しくなっちゃう要因を抽出してゲーム以外の場所で使おうとする試みのこと

よくゲームで見るような要素をしっかりとした目的のもと転用すること、だと思ってもらえればいい。

わかりやすいのは実績要素、画像はMisskey.ioのもの。アプリのチュートリアルみたいなので設けられてたり、長期間の利用でもらえたり、隠し実績があったり。いつのまにか達成してて嬉しかったり、人によってはこれを目標にアプリ利用したり。

 

 

引用: https://education.minecraft.net/ja-jp

ゲームベースラーニングは教育目的で作られた、或いは教育的意義が高いゲームを授業で用いること

よくあるのは歴史を題材としたシミュレーションゲームの社会科授業への転用だろう。私が前読んだ論文はCivilizationⅢを使ってたな。

もっと想像しやすいのはMinecraft Education Editionとかだろうか。そういった教育で使われることを前提としたゲームやそれを用いた教育のことを指す。

ちなみに、桃太郎電鉄の教育版なんてのも存在しているらしい。

 

 

この2つをそれぞれ題材とした研究はたくさんある。

研究が積み重なってくると、研究の全体の傾向を探る研究であるメタアナリシスというものが行われるようになる。その分野が今どれぐらい進歩しているのか、どういった結果が普遍的に見られるのかが明瞭になるため、このメタアナリシスというのは重宝される。

で、それぞれのメタアナリシスの結果が最初に言った通りのもの。ゲーミフィケーションは主に意欲向上の効果が認められ(Sujit Subhash et al. 2018)、ゲームベースラーニングは主に成績向上が認められている(Wouters, P., et al, 2013)。

どちらもゲームを題材としたものなのに効果が違うのは、ちょっと不思議に感じる。

 

これの原因だが、2つの分野の間にある微妙な違いによるものじゃないかと考えている。

 

ゲーミフィケージョンは「なぜゲームは意欲を掻き立てるのか」というところに主眼を置いていることが多い

ゆえに、研究手続きは抽出したゲーム要素が本当にやる気を引き出しているのかを確かめるもののことが多く(例えば、Nannan Xi, et al. 2019)、成績向上まで含めた研究はあんまりない。

それに、研究のために開発されたアプリはゲーム要素を抽出したものの寄せ集めなことがあって、ゲームとしては粗雑なつくりであることもある(Michael Sailer et al. 2017)。

 

ゲームベースラーニングはゲームという教材を用いて成績向上を狙う文脈が多い

ゆえに、ゲームを用いていること以外は従来の教室とほとんど変わらない手続きであることが多い(例えば、Mansureh Kebritchi et al. 2010)。成績などの外的評価や時間制限、プレイ方法の制限など縛りが多く、これは有機体統合理論(Deci and Ryan 2000)的にはあまりやる気が湧かない環境だったりする。

また、ゲーム教材による学習はマルチメディア理論(Mayer 2003)に則れば効率のいい学習手段であることが予測される。文字だらけの教科書より音とエフェクトいっぱいのゲームのほうが色々覚えやすいのだ。

 

一番の違いは、ゲーミフィケーションは教育にも使われている技術で、ゲームベースラーニングは教育題材とした技術だということ

ほんの少しニュアンスが違うだけで、得られるものがかなり違ってくる。研究の醍醐味である。

 

 

参考文献

Marc Prensky. 2003. Digital game-based learning. Comput. Entertain. 1, 1 (October 2003), 21. https://doi.org/10.1145/950566.950596

Sebastian Deterding, Dan Dixon, Rilla Khaled, and Lennart Nacke. 2011. From game design elements to gamefulness: defining "gamification". In Proceedings of the 15th International Academic MindTrek Conference: Envisioning Future Media Environments (MindTrek '11). Association for Computing Machinery, New York, NY, USA, 9–15. https://doi.org/10.1145/2181037.2181040

Sujit Subhash, Elizabeth A. Cudney, Gamified learning in higher education: A systematic review of the literature, Computers in Human Behavior, Volume 87, 2018, Pages 192-206,

Wouters, P., van Nimwegen, C., van Oostendorp, H., & van der Spek, E. D. (2013). A meta-analysis of the cognitive and motivational effects of serious games. Journal of Educational Psychology, 105(2), 249–265. https://doi.org/10.1037/a0031311

Nannan Xi, Juho Hamari. Does gamification satisfy needs? A study on the relationship between gamification features and intrinsic need satisfaction. International Journal of Information Management, Volume 46, 2019, Pages 210-221, ISSN 0268-4012,

Michael Sailer,Jan Ulrich Hense,Sarah Katharina Mayr and Heinz Mandl. How gamification motivates: An experimental study of the effects of specific game design elements on psychological need satisfaction. Computers in Human Behavior Volume 69, April 2017, Pages 371-380

Mansureh Kebritchi, Atsusi Hirumi, Haiyan Bai. The effects of modern mathematics computer games on mathematics achievement and class motivation. Computers & Education, Volume 55, Issue 2, 2010, Pages 427-443, ISSN 0360-1315, https://doi.org/10.1016/j.compedu.2010.02.007.

Richard M. Ryan, Edward L. Deci. Intrinsic and Extrinsic Motivations: Classic Definitions and New Directions. Contemporary Educational Psychology. Volume 25. Issue 1. 2000. Pages 54-67. ISSN 0361-476X. https://doi.org/10.1006/ceps.1999.1020.

Mayer, R. E., & Moreno, R. (2003). Nine ways to reduce cognitive load in multimedia learning. Educational Psychologist, 38(1), 43–52. https://doi.org/10.1207/S15326985EP3801_6