ばりん3g

マイクラ補足 兼 心理学のつぶやき

「AC6やりたい」ゲームプレイ時間は加齢とともに減少する傾向にある。

2023-09-21 | ゲーム

最近、あんまりゲームできないんですよ。

なんというんでしょう? こう、ゲームをしようにも疲れちゃって。ゲームする気になれないというか。

ゲーム以外にやることが多くて、ゲームプレイに集中できてない感じがするんです。

 

 

私も高校生の時は12時間ぶっ通しでマイクラやっていましたが、いま同じことをやれと言われても多分できません。

昔は当たり前にできたことが、もうできなくなっている。楽しめなくなっている。

正直に言うと、ちょっと悲しかったりします。

これが老いというやつですか…。

 

 

ちなみに、加齢するごとにゲームプレイ時間が短くなるのはある程度一般的にみられる傾向だそうです(Greenberg, B. S et al. 2010)。

ゲームプレイの主な離脱理由として環境の変化が挙がっているので(遠藤, 三上 2020)、おそらく進学や就職などの生活環境が一変するタイミングでゲームプレイから離脱、結果として加齢とともにゲームプレイ時間が短くなっているように見える、と思われます。

生活環境が変わってゲームプレイの習慣が途切れてしまい、そのまま習慣そのものがなくなってしまうような、そんなイメージです。

また、ここで言う環境の変化とは外因・内因問わない動機の変化も含みます。要するに、やるべきことややりたいことが変化した場合、ゲームプレイへの動機づけが削がれる可能性があるということです。

他にやることがたくさんあるとき、ゲームに費やす時間はおのずと減ってしまうような、そんなイメージです。

 

なお、先に引用した論文では日本で言う中学生あたりがゲームプレイ時間が一番長かったとのこと。

これに関しては「中学生はプレイ時間がたくさんあるから」というだけの問題ではないと思います。この年頃は思春期・青年期真っ只中。精神的支柱としてのゲームや逃避先、コミュニケーションツールやコミュニティ媒体としても盛んに用いられていると考えられます。

単純に、ゲーム文化が優勢になったという見方もできますが、この話はここまでにして。

 

 

ゲームに限った話ではありませんが、動機の強さはこれまでの経験や環境が強くかかわってきます。つまり、どうあがいてもその動機は揺らいでしまうわけです。少なくとも生きているうちに、何回かは。

そして、ゲームは動機づけの面から優れているところは多々ありますが、別にそれはゲームのみが保有できる特権というわけではありません。

動機が揺らぐのは必然です。

そんなこと言っても、没頭していたあの頃が恋しくなってしまうものです。

 

 

そういえば、環境の変化について、1つ心当たりがあります。

私、1か月前にゲーミングノートPCが壊れたんですよね。

おかげで発売日にプレイしようとしていたアーマード・コア6もプレイできずにいます。

もう萎え萎えです。マジ無理。ひまーーーーーーーーーー。

 

とりあえずマニュアルでも作ってよ。

 

 

参考文献

遠藤 雅伸, 三上 浩司, 継続したゲームプレイからの離脱理由に関する調査分析, デジタルゲーム学研究, 2020, 13 巻, 2 号, p. 13-22, 公開日 2021/07/01, Online ISSN 2434-4052, Print ISSN 1882-0913, https://doi.org/10.9762/digraj.13.2_13, https://www.jstage.jst.go.jp/article/digraj/13/2/13_13/_article/-char/ja,

Greenberg, B. S., Sherry, J., Lachlan, K., Lucas, K., & Holmstrom, A. (2010). Orientations to Video Games Among Gender and Age Groups. Simulation & Gaming, 41(2), 238–259. https://doi.org/10.1177/1046878108319930


「絶対に真似できない」たった2年で論文を速読できるようになる方法を伝授します。

2023-09-13 | 小ネタ・雑談

これから、たった2年で論文が速読できるようになる方法を紹介します!

これさえやればあなたも1本一時間で読めるようになります!

しかも20分で読んで40分で要約できちゃう!

やることはたったの2つだけ!

この技術を体得して、そんじょそこらのコンサルでは手に入らないような知識と哲学的志向を手に入れて、なんかもうウハウハしよう! 自慢しまくりだぜ!

 

 

まず、論文の抄録を500本読みます。

次に、論文の本文を500本読みます。

以上です。お疲れさまでした。

 

 

さすがにこれだと雑すぎるので、事細かに解説していきます。石は投げられたくない。

 

 

最初の段階は動機の獲得。論文を読む理由を言語化します。

動機は割と何でもいいです。知識自慢したいとか威張りたいとかでも構いません。勉強しなきゃいけないとか、知識が必要になったとかでもいいです。興味本位でとか、知的好奇心がうずいてどうしようもない、とかでも歓迎です。

そして、この動機は読んでいる最中にコロコロ変わりますが、特に問題はありません。最初は知的好奇心でやっていたけれど、いつからかやらないと自分じゃない気がするっていう強迫観念が襲うようになった、というのは起こりうることです。

ヤバいのは湧いてきた動機の否定です。知的好奇心じゃなくて強迫観念的にやってしまう自分はダメなんだ、なんて思っちゃうと、学習でもなんでも折れてしまいます。繰り返しますが、動機は変化するもので、それ自体は当然です。

なので、動機はあったほうが断然進めやすいですが、固執する必要はないです。

 

 

次に、論文の抄録を読み始めます

抄録とは論文のあらすじのような、要約のようなものです。論文の著者自身による要約なので、論文の内容を軽く押さえたいならこれ読むだけでも対応できます。めちゃ質と情報密度が高い文章なのです。

最初はこれを読んでいきましょう。1日1つで十分です、じゅうぶん偉いです。

初っ端から論文ぜんぶ読もうとしないでください。確実に折れます。論文とはある領域の探索に癖こじらせた変態が執筆した同人誌(諸説あり)です。拗らせまくった癖にいきなり触れても、なんもわかりません。なんもわからんくなって、やっぱ私には無理なのかなぁ…、って無力感を感じてしまいます。それは避けたい。

 

 

この後に、

「読んでる最中にわからない単語が出てきたらすぐに調べましょう」

って説明しようとしましたが、そもそも初心者のばあい単語を調べてもその説明にまた知らない単語が出てきます。統計とかはその最たる例です。だから安易に「調べてみましょう」とは言えないわけで。

それでも頑張って調べて理解しようとするあなたはとても偉いです。たくさん褒めておきます。

おすすめは大学に入り論文を読むための基礎知識を身に着けることです。というか大学ってそういうところでもあります。これについては放送大学の入学をお勧めしたいのですが、話がずれるのでここまで。

ちなみに私はわからないところはいったん読み飛ばして、後日おんなじ言葉が出たら照らし合わせて、文脈から意味を読み取るってことをしていました。おすすめしません。とても疲れます。

 

 

抄録読んでいるときも、単語を調べているときも、これから解説する本文を読むときも共通しますが、文のすべてを理解しようとしないでください

人間の頭は無制限に学習でき、無限に記憶できるとされていますが、記憶できるスピードや一回の学習で記憶できることはかなり限定されます。覚えられることも、理解できることにも、限りがあります。

ここで重要になるのが論文を読む動機です。ある程度言語化された目的は、論文のどこを読んで、どこを覚えて、どこを理解すればいいかの指標になります。目的に合わせて、限りある認知能力を使いましょう。単に知識を得たいのであれば結果の部分を、差異を見定めたいのであれば手続きの部分を、重点的に読むといった感じで。

 

 

もう1つ。これも共通事項ですが、続けることを最優先にしてください

もうお気づきかと思われますが、というか最初から言っていますが、論文を速読できるようになるには最低でも2年かかります。

この2年というのは理論値であり、実際に私が速読できるようになるまでに要した時間です。一日3時間の勉強を休みなくほぼ毎日繰り返した結果得られたものです。抄録500本・論文500本はその期間に読んだもののなかで現在記録に残っているものをカウントしたに過ぎません。なので、これも理論値として扱います。

どうあがいても時間がかかりますし、ものすごく疲れます。なので、自分が続けられる程度の負荷をかけ続けます。

そして、慣れてきたらどんどん負荷を上げていきます。負荷を上げるタイミングは個人差が大きいですが、「少し飽きてきたな」と思ったら潮時です。この飽きの感覚は、抄録の内容や読み方に対し慣れてきたサインであり、どこか同じようなことを繰り返しているように知覚されるはずです。

抄録毎日1本読んでるけど、ちょっと慣れてきたなぁ、って思ったら今度は一日2本読んでみるとか。抄録の内容を自分なりの言葉で残してみるとか。もっと進んできたら、複数の抄録が言っていることを組み合わせて、齟齬が生まれないように論理組み立ててみたり。

足りないなぁと思ったら、ちょっと負荷を増やします。数日試してみて、ちょっと負荷かけすぎたなと思ったら戻しましょう。

それでも物足りなくなってきたとき、いよいよ本文の読書に入ります。

 

 

論文にはいくつかのパターンがありますが、今回は実験心理学で一般にみられる論文を題材にお話しします。

構造は、まず問題提起があって(Introduction)、仮説を立ててそれを検証する方法を組んで(Method)、その通りに調査や実験を行って結果を得て(Results)、結果をもとに考察して(Discussion)、結論を出す(Conclusion)、といった感じ。この流れがわかるだけでも読みやすくなります。なかには論文の欠点や今後追及するべき課題が書かれていることもあります(limitation)。旨味が詰まっているのでぜひ摂取したいところ。

論文の本文は抄録の数十倍~百倍以上の分量があります。いままで抄録では削減されてきた情報がぜんぶ載っているわけです。続けることを最優先に、まずは数日かけて1本読み切るように心がけましょう。慣れてきたら、一日で読み切ったり、複数の論文の言っていることを照らし合わせたり、それをもとに自分なりの意見を書いてみると良いです。

本文の中には読み手である自分にとってはあまり重要ではない情報もあります。すでに読んでいて知っている情報の説明だったり、動機にそぐわない情報だったり。そういったものは読み飛ばしても大丈夫です。必要な情報を集めましょう。

知らない情報はどんどん調べましょう。本文を読み始めたあたりから、自分がいま探求している領域の用語についてはすっと理解できるようになってきます。ただし、調べて出てきた解説をそのまま鵜呑みにしないことだけは、気を付けてください。

 

 

以下は論文本文を読みなれた人向けへの示唆です。

私が実験心理学で一般にみられる論文を読む際は、MethodとResultsを中心に読むようにしています。いわばここに研究でやりたいことと求まったことが記述されているので、時間がないときは最悪ここだけ読むようにしています。

次点でDiscussionやlimitationを読みます。前者は筆者が結果をどう解釈しているかを知るために読んでいます。後者は今後論文を調べるときの留意事項や自分が探求するときに抑えておきたいポイント、新しい探求の示唆などが書かれているので、是非とも抑えたい。

Introductionはあまり読み込んでいません。この論文がどういった理論体系や疑問を基盤に展開しているかを知れたら、あとは読み飛ばしています。私が知りたいのはそこなのです。筆者が結果をどう解釈するかは、この基盤が重要になってきます。

 

 

抄録を読み、本文を読み、知識を得て、これを継続する。

その結果、論文を1本一時間で読み切れる速読技術を手に入れられるわけです。

 

 

速読とはいわばゴリ押しです。いままで獲得してきた圧倒的な知識量と哲学的思想を元手に、論文の癖や領域内傾向などの言語化しづらい要素を踏まえたうえで、こなせる行為なのです。

「そんじょそこらのコンサルでは手に入らないような知識と哲学的志向」は速読に必須な条件であり、速読の技術を得るに至った結果なのです。

ここに至るまでの道筋は、容易ではありません、というか再現性は全く担保されていません。論文500本読めば絶対に体得できるものでもありませんし、そもそもそれが続く保証はできません。人間は自分が思う以上に自発的行動や知的好奇心に従うことが難しいのです。

「絶対に真似できない」はクリック誘導のための煽り文句ではなく、客観的事実に基づいた推測なのです。

 

これらの記述を読み切り、なおも速読をしてみたいというのであれば、私はあなたを歓迎します。

どうかご自愛を。この道筋において過敏に厳しくある必要はありません。できる範囲で、続けられるように、積み重ねていってください。

 

 

 


「強制させたら、やる気は落ちるさ」ゲーミフィケーションの効力がいまひとつである理由を、簡単に解説。

2023-09-09 | ゲーミフィケーション

今日はゆううつな気分なので、シンプルな話をしたい。

 

 

内発的動機付けに関するお話の1つに、認知評価理論(CET)というものがある。

CETが言うには、人間は自分で自分の物事を決められる時や、自分のやったことがわかりやすく報われる時に、内発的動機付けが上がる。

で、自分のことを他人に決められたり、どれだけやってもなかなか報われない時は、内発的動機付けが下がるという。

 

 

ゲーミフィケーションやゲームベースラーニングという言葉を聞いたことはあるかな?

前者はゲームを楽しくプレイできる要因を特定して、それを別のところで活かそうっていう試みのこと。

後者は教育目的のゲームを作ったり、ゲームに教育的な意義を持たせて使ったりすること。

どっちも発端は「ゲームって人間のやる気めっちゃあげるやんけ、これ利用したいなぁ」って発想から来てるの。

ゲームベースラーニングはほかにも認知心理学的優位性から取り上げられているってのがあるけど、それはいったん置いておこう。

 

 

でさ、ゲームが人間のやる気をめっちゃあげる理由って、なんだと思う?

たくさんあると思うけど…私は自分の思い通りにプレイできたり、ゲームでの努力がスコアとか報酬とかですぐに報われるからだと思うの。

さっき言ったCETのお話に則ると、そういうことになる。

クエストこなしたら強化素材たくさん手に入って、強化先どれにしようか迷っちゃうなんて時間、至福じゃない?

 

 

ゲーミフィケーションとかゲームベースラーニングの研究って、さっき言った「ゲームが人間のやる気をめっちゃ上げる理由」について言及してないことがあるんだよね。

それはまぁまだいいとして。

プレイヤーがやるべきことをたくさん追加して、ゴリゴリに縛った状態でゲームさせてさ、「やる気向上しませんでした、なんでですかねぇ」って言ってる研究がたまにあるの。

そりゃ、そうでしょ。

 

 

強制させたら、やる気は落ちる。

何度も実証されてきたことだけど、たまに忘れてしまう…のだろう。

 

 

参考文献

Dichev, C., Dicheva, D. Gamifying education: what is known, what is believed and what remains uncertain: a critical review. Int J Educ Technol High Educ 14, 9 (2017). https://doi.org/10.1186/s41239-017-0042-5

Wouters, P., van Nimwegen, C., van Oostendorp, H., & van der Spek, E. D. (2013). A meta-analysis of the cognitive and motivational effects of serious games. Journal of Educational Psychology, 105(2), 249–265. https://doi.org/10.1037/a0031311

Mansureh Kebritchi, Atsusi Hirumi, Haiyan Bai. The effects of modern mathematics computer games on mathematics achievement and class motivation. Computers & Education, Volume 55, Issue 2, 2010, Pages 427-443, ISSN 0360-1315, https://doi.org/10.1016/j.compedu.2010.02.007.

Dennis Charsky, and William Ressler. “Games are made for fun”: Lessons on the effects of concept maps in the classroom use of computer games. Computers & Education Volume 56, Issue 3, April 2011, Pages 604-615


「直観的操作の極致」ティアキンがなぜ”歩いているだけでも楽しい”のかを心理学的に解説。

2023-09-06 | ゲーム

引用: https://www.nintendo.co.jp/corporate/release/2023/230517.html

「ゼルダの伝説 ティアーズ オブ ザ キングダム」(以下、ティアキン)という作品をご存じだろうか?

わかりやすく言うと3日で1000万本売り上げたゲームです。やばいです。

あとMetacriticのメタスコア96点ユーザースコア8.1点のゲームでもあります(執筆時点)。えぐいです。

私もこのゲームに140時間以上費やしてます。ストリー全然進んでません。まだカメラ機能解放できてません。たすけて。

 

でね、心理学にはプレイヤーの欲求充足尺度(PENS)ってものがありましてね。

言ってしまえば、ゲームが楽しい理由は心理学の言葉で説明できるっていうお話なんですよね。

言い方を変えれば、すべての"楽しい"には理屈があるんですよ。

で、いま規格外のゲームが目の前にあるんですよ。

楽しくて仕方ない理屈が気になってしょうがないよね、ってことでやります。

 

頑張って1つの記事にまとめようとすると大変なことになるので、記事毎にどこに着目するかを宣言して、そこを深堀りしていきます。

 

 

今回はティアキンの直観的操作について解説します。

初手が直観的と謳いながらその概念がめちゃめちゃ直観的じゃない題材だけど許してほしい。

 

引用: 中谷, 矢野. 1993

直観的操作とは、ゲームとプレイヤーの入出・出力のやり取りをスムーズに行うためのテクニックのことを指します。

一個のボタンで完結する操作や、何が起きているのかがぱっと見でわかるグラフィックとかがこれにあたります。

 

基本的に、ゲームのキャラとプレイヤーは認知・知覚的に分離した存在です。ゲームのキャラが見たまま感じたままの景色をプレイヤーは知覚できないし、プレイヤーがいつも体を動かす感覚でキャラが動くことはまずありません。

なので、プレイヤーはゲーム画面を見てキャラの状態を知り(入力)、キャラを操作するためにコントローラで入力する(出力)必要があります。この時の入力・出力はそれぞれ「プレイヤーに情報が入る」「プレイヤーが情報を発信する」意です。

 

この入力・出力のサイクルはまぁまぁ高負荷な作業です。感覚が分離したものを操るという、自分がいつも経験し稼働するサイクルとは別物ですから。

それに、圧倒的に情報不足というのもあります。ゲームの主な情報源はグラフィックとサウンド、つまり視覚と聴覚のみ。出力手段も神経系から直接というわけにはいかず、いくつかのボタンやスティックを介したものになります。

私たちは普段から五感を頼りに思案していますが、ゲームプレイではそうはいかない。認知・知覚の面からとらえたとき、ゲームプレイは結構な制約があります。

 

そこで直観的操作という概念が挙がるわけです。

一個のボタンで完結する操作や、何が起きているのかがぱっと見でわかるグラフィックなどを用いて、この問題を克服するわけです。

 

直観的操作の概念を反映させたテクニックは文字の表示1つ1つまで細かく組まれますが、そのすべてがプレイの快適さ、ひいては楽しさに直結します。

 

 

で、本題のティアキンの直観的操作についてですが。

もうなんかいろいろ極まってます。代表的なのをいくつか挙げますね。

 

 


画像: 白銀ライネルをボコボコにしているところ。慣れれば簡単。

直観的操作というのは、プレイヤーの「こうなってほしい」という出力時の意思と実際に反映されたものの差の少なさ、も範疇に入る。

たとえ癖の強い操作だとしてもプレイしていけば慣れていくが、この差が小さければ小さいほど慣れるのも早くなり、より楽しさを享受しやすくなる。

私が思うに、この"差"の改善は直観的操作における最小単位であり、有能間充足におけるフレームであり、ゲームの楽しさの根幹に位置ずる。

これはすごく言語化しづらい要素だが、ティアキンは確かにこの部分がよく調整されていると感じた。

 


要はこのゲーム「歩いているだけでも楽しい」のだ。

全体的な時間間隔が速すぎず遅すぎない。走りや崖のぼりやジャンプなどの値が極端すぎない。操作も癖なくすぐに馴染む。世界とオブジェクトと主人公の行動範囲との寸法に一貫性がある。認知する奥行きと実際の奥行きに齟齬が生じない。

ちょうどいいのだ。プレイヤーの知覚と実際にゲームで起こったことにずれや違和感を感じることはほぼない。

 

 

ティアキンはGUIがすんげぇ優れているのだけれど、その中でも特に武器選択のGUIがすごい。

このGUIで武器を即座に切り替えることができるんですが、これ1つで『新品か』『1回以上使用したか』『壊れかけか』『スクラビルド(武器となにかを合体して新しい武器を作る能力)したものか』『可燃性か』『導電性か』『攻撃力』『武器種』『武器効果』という武器に関するあらゆるステータスがわかるっていうね。

プレイヤーはこのわかりやすい表示を参考に「いま雷落ちてるから金属製の武器装備してるのはまずいな」とかすぐに判断下せるわけ。

めっちゃ詰め詰めな情報を見ただけでわかるようにしているの、すごいよね。

 

 

画像: 雷に打たれている主人公。よく見たら温度計真っ赤である、細かい。

音響と振動の要素も欠かせない。

一番体感できるのは雷雨の時だろう。そこかしこに落ちる雷だが、この雷が聴覚的な奥行きを伴うのはまだ理解できる。遠いところに落ちたときは音量が減衰するし構成される音も違ってくる。

この雷、Joy-Conの振動、つまり触覚的情報においても奥行きを持たせている。遠くに落ちればちょっと地面が揺れた程度の、近くに落ちたときは腹に届くような振動が発生する。

これに気づいたときはJoy-Con手放して感動して主人公に雷直撃した。わざとじゃないんよ。

 

 

引用: https://www.youtube.com/watch?v=NmkDyyeSYsI&list=LL&index=61

直観的操作において最もわかりやすい事項は入力遅延の類だろう。よく「ラグい」「重い」とか言われる現象のことだ。

プレイヤーの出力、つまりゲーム側にとっての入力信号の反映が遅くなる原因は、入力・出力のサイクルを直接的に崩す。楽しい楽しくない以前に満足に遊べるかというレベルのお話なので、今まで上げてきた要素以上に重要だったりする。

で、このティアキンはプレイ中に「ラグい」と感じることはほぼない。

モドレコ(対象オブジェクトの動きを逆再生させる能力)のために広範囲のオブジェクトの移動の軌跡を保存している、ゾナウギアというフライマシンから大量殺戮兵器まで作れるパーツ群が大量に存在できる、などいつラグくなってもおかしくない環境下だが、そう感じることはない。

ティアキンがどれだけラグくなりづらいかは、バグを使って200個以上のオブジェクトを設置してもなおゲームがエラー落ちしないという実証動画(笑顔の時間 2023/06/25)を参照してほしい。

モドレコに関してはもう謎技術である。どうやって実装したん?

 

 

すべての楽しいには理屈がある。

今回はその理屈の中でも特に言語化されない箇所をピックアップした。

直観的操作に関する事項はどれも地味で目立たず、そしておそらくその最適化に多大な労力がかかる領域である。

だが、直観的操作は有能感の充足を介しプレイの楽しさにダイレクトに影響する。

ティアキンの"歩いているだけでも楽しい"という感想は、まさしくそれを表している。

 

 

 

参考文献

中谷 智司 and 矢野 米雄. ロールプレイングゲームにおけるやる気の持続. 情報処理学会研究報告人文科学とコンピュータ(CH), 1993, 18(1992-CH-017), 33 - 38, http://id.nii.ac.jp/1001/00055493/

{105}Ryan, R.M., Rigby, C.S. & Przybylski, A. The Motivational Pull of Video Games: A Self-Determination Theory Approach. Motiv Emot 30, 344–360 (2006).


「それは学術的に真剣な話題である」ゲームの利点を認知・動機づけ・感情・社会的側面からざっくり解説。

2023-09-03 | ゲーム

ゲームの動機付け・認知的利点を特に調べている私でさえ、教育目的で利用することに多少の違和感というか、嘲笑いを知覚する。

どこか、たかが娯楽と思えてしまう。

あんなのただ視聴覚を過敏に刺激するだけのおもちゃであり、我々が常日頃から思案する五感にあふれた現実とは格が違う、と。

 

 

ゲームの利点を知覚するのであれば、まずはそこから払しょくするべきだろう。

つまり、遊びや娯楽がもたらす利益について理解する必要がある

古代ローマではパンとサーカスが求められ、1940~50年代には探索行動に関する解像度の低さから動因低減説が棄却されたように、それが人間の発達に欠かせないものである、と。

 

 

ゲームは特に問題解決・意思決定・実験的行為などの高次の認知能力を用いる代替的な空間として機能する(Annetta, L. A. 2008)。

現実には不可能なことを、現実ギリギリまで寄せた文脈での施行も可能である(Dondlinger, Mary. 2007)。倫理的な制限を無視するなら、殺人事件とその周辺の再現なんかもできちゃう。

また、どのようにすれば不快感なくゲームをプレイできるかといった、人間の認知能力の分析やデザイン構築などの認知的要因もそこに含まれる。

 

 

ゲームの楽しさは心理学の言葉で十分に解釈可能なものである(Immersyve Inc. 2007)。

特に、直観的操作や失敗時のコスト調整、難易度調整を組み込むことにより、教育界隈が切実に欲しがる動機づけの粘り強さを再現している。

この構造の分析と一般化は教育界隈等に利益をもたらすとされているが、ゲーミフィケーションやゲームベースラーニングの実証例のいくつかは、教育界隈の強制的文脈が根本に粘り強さを喪失させていることを暗に示している(例えば, Mansureh Kebritchi, et al. 2010 ; Dennis Charsky et al. 2011)。

 

 

動機づけ面での改善は感情的効果の改善に相関する

また、大半のプレイヤーは感情的快楽を得るためにプレイしており(Zsolt Demetrovics et al. 2011)、これもステレオタイプ的なイメージとはかけ離れている。

ゲームプレイにより喚起される攻撃性は欲求阻害によるフラストレーションがもとであり(Przybylski, A. K., et al. 2014)、暴力的描写を好むのはもともと攻撃性が高い人であり(Ferguson, C. J. et al. 2008)、現実逃避を理由にプレイする人は少数派であり(Zsolt Demetrovics et al. 2011)、IGDは二次障害的な表出である(Matthias Brand et al. 2016)。

 

 

ゲームは個々の活動で成り立つものではなく、ある種の文化的発展により支えられている。

友人との時間の共有が有意なプレイ動機であることは、驚くまでもない事実だ(Dave Westwood et al. 2010)。

ミクロな集団活動から、創作活動とそれを受け入れる人によるマクロ的文化圏まで、相互作用している。

 

 

神経科学(Daphne Bavelier et al. 2019)や臨床的分野(Sanne L. Nijhof et al. 2018)に限らず、ゲームという領域には多数のリサーチクエスチョンが残されている。間接的な主張も多く、いま述べたものは確定的ではないものも混じっている。

これはつまり、学術界隈においてもゲームという題材はまじめに扱われていることを意味している。

 

 

 

参考文献

Granic, I., Lobel, A., & Engels, R. C. M. E. (2014). The benefits of playing video games. American Psychologist, 69(1), 66–78. https://doi.org/10.1037/a0034857

Sanne L. Nijhof, Christiaan H. Vinkers, Stefan M. van Geelen, Sasja N. Duijff, E.J. Marijke Achterberg, Janjaap van der Net, Remco C. Veltkamp, Martha A. Grootenhuis, Elise M. van de Putte, Manon H.J. Hillegers, Anneke W. van der Brug, Corette J. Wierenga, Manon J.N.L. Benders, Rutger C.M.E. Engels, C. Kors van der Ent, Louk J.M.J. Vanderschuren, Heidi M.B. Lesscher. Healthy play, better coping: The importance of play for the development of children in health and disease. Neuroscience & Biobehavioral Reviews, Volume 95, 2018, Pages 421-429, ISSN 0149-7634, https://doi.org/10.1016/j.neubiorev.2018.09.024.

Annetta, L. A. (2008). Video Games in Education: Why They Should Be Used and How They Are Being Used. Theory Into Practice, 47(3), 229–239. http://www.jstor.org/stable/40071547

Daphne Bavelier, C. Shawn Green. Enhancing Attentional Control: Lessons from Action Video Games. Neuron, Volume 104, Issue 1,2019, Pages 147-163, ISSN 0896-6273, https://doi.org/10.1016/j.neuron.2019.09.031.

Dondlinger, Mary. (2007). Educational Video Game Design: A Review of the Literature. Journal of Applied Educational Technology. 4. 

Mansureh Kebritchi, Atsusi Hirumi, Haiyan Bai. The effects of modern mathematics computer games on mathematics achievement and class motivation. Computers & Education, Volume 55, Issue 2, 2010, Pages 427-443, ISSN 0360-1315, https://doi.org/10.1016/j.compedu.2010.02.007.

Immersyve Inc. (2007). PENS v1.6—Subscale Scoring.

Dennis Charsky, and William Ressler. “Games are made for fun”: Lessons on the effects of concept maps in the classroom use of computer games. Computers & Education Volume 56, Issue 3, April 2011, Pages 604-615

Dave Westwood and Mark D. Griffiths. The Role of Structural Characteristics in Video-Game Play Motivation: A Q-Methodology Study. Cyberpsychology, Behavior, and Social Networking.Oct 2010.581-585.

Przybylski, A. K., Deci, E. L., Rigby, C. S., & Ryan, R. M. (2014). Competence-impeding electronic games and players’ aggressive feelings, thoughts, and behaviors. Journal of Personality and Social Psychology, 106(3), 441–457. https://doi.org/10.1037/a0034820

Ferguson, C. J., Rueda, S. M., Cruz, A. M., Ferguson, D. E., Fritz, S., & Smith, S. M. (2008). Violent Video Games and Aggression: Causal Relationship or Byproduct of Family Violence and Intrinsic Violence Motivation? Criminal Justice and Behavior, 35(3), 311–332. https://doi.org/10.1177/0093854807311719

Zsolt Demetrovics, Róbert Urbán, Katalin Nagygyörgy, Judit Farkas, Dalma Zilahy, Barbara Mervó, Antónia Reindl, Csilla Ágoston, Andrea Kertész & Eszter Harmath. Why do you play? The development of the motives for online gaming questionnaire (MOGQ). Behavior Research Methods volume 43, pages814–825 (2011)

Matthias Brand, Kimberly S. Young, Christian Laier, Klaus Wölfling, and Marc N. Potenza. Integrating psychological and neurobiological considerations regarding the development and maintenance of specific Internet-use disorders: An Interaction of Person-Affect-Cognition-Execution (I-PACE) model. Neuroscience & Biobehavioral Reviews Volume 71, December 2016, Pages 252-266