メタボッチャーの風にのって

出会いそして再会
笑顔を求めて隼号に乗り
鳥撮りながら全国各地翔びまわります。
好奇心の塊です。
by 幸 喜心

芋を求めて九州へ No.047 ♠チェンソーアートの名人との出会い♠

2016年11月21日 17時55分55秒 | アート
2015年11月23日、出水にてツルをとった。
ツルをとるツールはレンズとカメラ。
被写体が大きいので428に×2のテレコンは使わなかった。
使ったらカメラの性能を含めると1280mmになる。
テレコン入れなくても640mmで撮れる。
短時間だったがナベヅル、マナヅルを堪能した。
出水を出たメタちゃんは次の目的地の八代に向かった。
鹿児島県の県境を越え、熊本県に入るとしばらくするとみなまたの道の駅があった。
そこで、イベントをやっていた。
好奇心から寄り道することにした。
イベントは「水俣版ハロウィン」、農産物や海産物の特産品がテントの下で山になってた。
奧の会場で長くて大きい大根2本を只でもらった。
その横のテントで、珍しい柑橘類を売ってるおじさんがいた。
ひとしきり話をして、道の駅の館に入った。
入口を入るとすぐ右手に、大きな木彫りの彫刻が陳列されていた。
その中の1体がすご~く気になった。
他の彫刻には値段が書いてある。
しかし、その1体は値札なし。
気になる。そして欲しい!
お店の人に聞いてみた。
聞いたら、この彫刻は道の駅のシンボルだという。
そして、製作者がこの会場にいるという。
ダメもとで良いから交渉しようと思い呼んできてもらった。
見たことのある男のひとがやってきた。
先ほど柑橘を売ってたおじさんだった。
そのおじさんは道の駅の元館長で、葦北水俣チェンソーアート協会の谷口和洋さんだった。
そのあとは、その谷口さんと長々と熱~い話をした結果、吾輩に譲ってくれることになった。
ただし、このままでは屋外では耐えられない。
手直しが必要だ。
完成したら連絡くれることになった。
この間、値段の話は全くしなかった。
値段は作家に任せようと思ったからだ。
交渉がおわってひとしきり会場をみてあるいていた。
そうしたら、似顔絵かいてた若き女性が腹痛起こして苦しんでいた。
しかし、まわりの人は知らんぷり。
見るに見かねたメタちゃんは老婆心から大声だした。
「誰か~!看護師さんかお医者さんいませんか~!」
しばらくすると看護師らしき女性がやってきて、世話をしてくれることになった。
そのあとは、そのことを見ていたのか見ていなかったわからぬが、前のテントで海産物を売ってたご婦人が吾輩に興味をもったのか、話しかけてきた。そして、そのあとは話に花がたくさん咲いた。
そのご婦人は「あいさん」と言いライン友達になった。
また、似顔絵かいてた女の子(morimiちゃん)もライン友達になった。
結局この寄り道で知り合いが3人増えた。

画像は現在我が家の玄関前に仮置きしてある谷口和洋作の彫像
ベランダの修繕が終わったら中庭に設置する。
PS. あいさん たくさんのお土産有難う!





ショコラアート

2016年11月06日 15時27分55秒 | アート
2016年8月22日
アメリカ アトランタで行われたショコラのコンクールで
吉祥寺「アテスウェイ」のオーナーシェフ川村英樹氏が「Calva」の田中二朗氏とペアを組んで見事、優勝しました。
2人一組7時間で競うこのコンクール、テーマは「ツールオブアート」
ミュージックをイメージしてすべてショコラで作りました。
昨日11月5日、優勝後初めて川村シェフと会いました。
川村シェフは言いました。
「形よりは味、まだまだ勉強!」
味をとことん追求する川村シェフ
そんな川村シェフが大好きです。
「アテスウェイ」のお店もパテシェ、パテシエールそしてスタッフも
さらに「アテスウェイのOB、OGも



御陣乗太鼓

2016年10月07日 19時21分54秒 | アート
2016年5月6日、舳倉島から帰還した吾輩は、すぐに帰らずに輪島市内で一泊した。
その夜、能登の伝統芸能の実演を見ることができた。
開催場所は輪島輪島キリコ会館
生の迫力に感動した。
芸術は爆発だ!
まさしくジャパニーズアート
ディスカバーJapan!
見たいと思ってた「御陣乗太鼓」が無料でみれた。
 








💛御陣乗太鼓の由来💛
天正4年(西暦1576年)越後の上杉謙信は、七尾城を攻略して「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と詠じ、その余勢をかって奥能登平定に駒を進めた。
現在の珠洲市三崎町に上陸した上杉勢は、各地を平定し天正5年、破竹の勢いで名舟村へ押し寄せてきた。武器らしいものがない村の人達は、鍬や鎌で打ち向かったがさんざんな負け戦であった。そのような時、村の古老の指図に従い、樹の皮をもって仮面を作り、海草を頭髪とし、太鼓を打ちならしつつ、上杉勢に逆襲し、戦いを勝利に導いたという。面をつけることによって、「御陣乗り」と称して今日まで伝えられている。
この戦勝は舳倉島の奥津姫神の御神威によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭(名舟大祭・7月31日夜から8月1日)に仮面を被り、太鼓を打ち鳴らしながら、御輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。
始めはゆっくり、次にやや早く、最後はもっと早く、即ち序・破・急の三段で打ち切り、各自が自由な形で見えを切り、面に応じ、個性を生かした芸を入れるのが御陣乗太鼓見どころであり、聞きどころである。
御陣乗太鼓保存会 パンフレットより

迪子さんを偲ぶ

2016年02月18日 04時09分42秒 | アート
昨年7月23日久しぶりで鈴木迪子さんとメール交信をした。
そして2月後・・・

3年半ほど前、病気知らずの迪子さんの体調がおかしい
吾輩は病院で看てもらうことをすすめた。
結果は即入院
入院当初はよく連絡をとりあった。
しかし、その後は音沙汰もなし。

スペースデザイナーの迪子さんは長久手に「Sプランニング」というお店をもち、お庭のデザイン、造園、メンテナンスを行ってきた。
吾輩は迪子さんに写真の無償提供、クレマチスのアドバイザーとして交友した。
とても男前の迪子さんだった。

7月の迪子さんは病気も治り、桂由美さんに気に入られ、ブーケを中心としたフラワーアレンジメントを展開していくと言ってとても張り切っていた。
とても、忙しそうだったので、その後の連絡は控えた。

そして、9月11日息子さんより訃報を知らされた。
迪子さんからの最後のメールのタイトルは「クレマチスガーデン造園中」だった。

画像は迪子さん作のブーケ
当然吾輩が撮った画像

謹んでお悔やみ申し上げます。

世界チャンピオンへのお祝い

2016年02月18日 01時29分05秒 | アート
4年前、当時吉祥寺・アテスウェイのスーシェフだった芋生玲子さん
オーナーシェフの川村英樹さんに続き、世界チャンピオンになった。
その時、芋生さんに贈ったのが、オニマンではなくてこれ!
スペースデザイナーだった鈴木迪子さんの作品
芋生玲子さんは現在地元宮崎に帰り「アンオー」と言うお店を開き活躍されている。
しかし、残念ながら迪子さんは昨年9月に亡くなった。
我が友が一人去った。