のんびり秋田からこんにちは

のんびり秋田から日々のこと

正月は家族揃って写真を

2020-11-29 12:22:00 | 日記
こんにちは
のんびり秋田からvisionです。

私の参加しているオンラインサロンで終活のお話をさせていただいたところ、視聴者さんからためになったとコメントいただきました。

コロナ禍で実家に帰ることが叶わない方も多いとは思いますが、もし帰ることができたらご両親と一緒に終活についてお話ししてみてはいかがでしょうか?
言い出しにくかったら古いアルバム開いて子供の頃を聞いてみましょう。
そしてお互いのこれからのことを。

そして家族揃って写真を撮りましょう♪

初ウェビナー

2020-11-27 23:35:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

私の参加しているオンラインサロンで初のウェビナー出演させていただきました。

最年長者なので大人しくしていようと思っていたのですが、終活カウンセラーの私と仏壇関係者の方とのコラボで「お別れ」をテーマにディレクションしていただきました。

私の話ベタは傍に置いといても参加していただいた方々に興味を持っていただけたことはよかったと思います。

私にとっては死はタブーではありませんが、多くの方にとってはタブーなんだなと思いました。

でも死があるからこそ生が輝くものだと思います。

かのスティーブ・ジョブズは「今日が人生最期の日だとしたら、この判断は正しいか」と自分に問うたといいます。

みなさんからいろいろな意見を聞けてよかった。このサロンのメンバーで本当によかったと思います。


若者のチカラ

2020-11-19 21:48:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

まちづくりに必要なのは「若者」「馬鹿者」「よそ者」と言われます。
私たち町づくり協議会では今年、地元中学生とのコラボを考えました。
毎年総合学習の時間は地元企業に職場体験をしていたのですが、今年はコロナのため中止になり
渡に船とばかりに賛同していただけました。

地元の良さは長く住んでいると見過ごしてしまいがちです。
中学生にテーマを決めてもらい一緒になってフィールドワークを行いました。

中学生たちが真剣になって町づくりに取り組んでいただけたことは当人にとっても
私たち大人にとっても貴重な体験になりました。

「継続して取り組んでいきたい」と生徒自身から聞けたことがとても嬉しかったです。

まだ動き出したばかりですがワクワクを楽しんでいきたいです。

誰だっけ?

2020-11-13 21:08:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

今日 とある研修会に参加したのですが、入り口で「〇〇さん」て私の名前を呼ぶ人がいて、とっさに「おお〜」とか返事したのですが「さて誰だったっけ⁇」顔は見覚えあるのですが思い出せない‼️

ソーシャルデスタンスで付かず離れずの席に座りましたが最後までわからずじまい。

「よっ」手を上げて別れましたが、今になって確認するんだったなと後悔しています。



映画「浅田家」

2020-10-29 07:20:00 | 日記
おはようございます。
のんびり秋田からvisionです。

映画「浅田家」の原案になった「アルバムのチカラ」を読みました。

その中で藤本智士さんが佐野史郎さんの佐野家の古いアルバムを見ながらお母さんの若い頃の写真を見ながら「かわいいな〜 かわいいな〜」と言ったそうです。
そのとき、その写真を撮ったお父さんの気持ちが重なって感動したといいます。

「写真にはそれを撮った人がいる」

とても当たり前のように聞こえますが私は共感しました。

映画「浅田家」で少女が津波の後で「私やお母さんの写真は見つかったのにお父さんの写真だけみつからない。探して欲しい」というシーンがあります。

ネタバレになりますが、
これ写真撮る人のあるある話なんですよね。お父さんはいつもみんなのことを撮っているので自身は写っていないんです。

映画の中で浅田政志さんは「お父さんの写真見つかったよ」と言って、以前撮った海岸で撮ったときと同じ格好をしてもらい写真を撮ります。
そのとき写真を撮る浅田さんの姿がお父さんの姿に重なります。

私はこのシーンで嗚咽してしまいました。
写真を撮る自分の姿にも重なって、その気持ちがよくわかるのです。
写真には写真を撮る人の気持ちが詰まっています。

写真には撮る人の個性が現れます。
同じ場所に立って同じようにカメラを構えて写真を撮っても微妙な違いがあります。
それは撮る人の視点や思いに違いがあるからだと思います。

先輩と滝の写真を撮りに行ったとき、三脚にカメラを据えて自分では最高と思ったアングルを見ていただきました。
そしたら「これもいいけれど、こう変えてみたらどうだろう」と少しだけアングルを変えたら格段に良くなったのを覚えています。

写真仲間で撮影したプリント写真を見比べていると誰が撮った写真かわかります。

写真を見るということは、撮影者の視点になりその気持ちを読むということなんだと思います。

だからお父さんの姿は写真に無くてもお父さんの撮った写真を見ることでお父さんの優しい眼差しや気持ちに触れることができるのです。