のんびり秋田からこんにちは

のんびり秋田から日々のこと

長の一念

2020-09-30 17:45:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

よく組織は長の一念で決まるといいます。

最近、社内で様々な問題が続出しました。
誰のせいでもなく私の一念の弱さだと反省しました。

大悪起れば大善来る。
気持ちを切り替えて頑張ります。

急に寒くなってきました。
どなた様もご自愛ください。

葬儀について

2020-09-18 18:14:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

コロナ禍にあって葬儀も随分と変わりました。会食はしませんし、参列者の数も減っています。

多くは「葬儀は近親者のみで終了しました」です。

Go toキャンペーンで東京の行き来もできるようになりましたが、葬儀については県外からの参列は自粛をお願いしているご家族が多いです。

葬儀は誰のためかといえば故人であり遺族のためであることは間違いありませんが、友人や知人にとってもかけがいのないものです。

何も知らないうちに葬儀が終わってしまったと聞いたときのショックは計り知れませんでした。

せめて最後のお別れがしたかったです。胸にぽっかりと穴があいているような気がします。

こうした状況下やむを得ないのですが、以前のような葬儀ができるようになってほしいと思います。

葬儀を行う目的は故人が亡くなったことを知らせることと生前お世話になったことのお礼、これからのお付き合いをお願いするためでしょう。

さらには故人の魂の昇華。意味はわからなくても厳かなお経の中で成仏を願う気持ちが少しずつ家族の心の整理になるのだと思います。

葬儀を体験された方に伺うと時間が薬になるかというとそうでもないらしいのです。ずっと悲しみは続いていると言われます。


身近な人の葬儀は自分の死を考えるきっかけになります。

友人の分までしっかり生きていこうと決意することが友人の追善回向になるような気がします。





急逝したAさんへ

2020-09-17 21:19:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

昨日、友人から「Aさんが死んだ」というメッセージが届きました。
祭壇の中央にはAさんの写真が。

冗談にしてはキツイなと最初思いました。
いつもふざけあっていましたので合成写真だと思ったのです。


しかし本当でした。

葬儀は近親者で行い終了したといいます。


Aさんとの出会いはSNSでした。
やりとりを確認すると2014年5月からの友達となっています。

何度かコメントでのやりとりがあって、今度飲み会があるけど来ないかと誘われました。
「行きます」とは言ったもののその頃Aさんは顔出しもしていません。
どんな仲間が集まるのかもわからずちょっと不安でした。

でもAさんは私のことを「まっさん」と親しげに呼んでくれました。
10歳以上も年上の先輩です。
その仲間というのがJazzファン同士のKさん。年は私と同い年ですがAさんと長い付き合いのS君。
この飲み会は毎月定期的に行われるようになりました。

それまで出会うことがなかった者同士が
SNSをきっかけとして関係が広がっていくことに楽しさを感じました。
50代から出来る新しい友達もなかなかいいものです。

以来、新しいメンバーが入ったり出ていったりしましたが続いていました。

しかしこのコロナ禍でしばらく飲み会は中止しました。その間にAさんは腰痛で入院しましたが、退院したようでした。
もう少し落ち着いたら飲み会を再開しようとしていた矢先、訃報を知らされるとは思いもよりませんでした。

だってこの間までSNSでやりとりしていたのです。

写真にある絵手紙は私がAさんに送ったものです。というか誰に送ったかも忘れていましたが、Aさんが思い出をシェアしてくれました。

その後もブドウ狩りの写真にいいねをつけてくれていました。

それから何日も経っていないじゃないですか。

そういえば顔出ししていなかったAさんがプロフィール写真に使うようになった写真も初めて出会った飲み会で私が撮った写真なんだもん。

なんだよ涙が止まらない‥‥。

最期、他社に葬儀を頼んだのはAさんの優しさだったのかな?

でも会いたかったよ。


ナナカマドが色づく頃、Aさんを思います。
忘れない。





終活セミナー開催

2020-09-16 23:40:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

今日はJA女性部からの要請で終活セミナー開催しました。

私終活カウンセラーをしています。

最初にエンディングノートの書き方講座を行いました。

エンディングノートって知ってはいても書いている人はほんの数%だといいます。

何故かというとまだ早いと思っているから。

人間の死亡率は100%だとわかっていても何故か自分はその中には含まれないと思っている人が多いのです。
自分の命だけは永遠に続くと思っているのです。

ゴールを見据えることでわかることもあります。

一度死を意識してみる。

やり残したことはないか。

今ならまだ間に合うことはないか。

これまでの人生を振り返ってみてありがとうのエピソードを思い起こしてみる。

お世話になった人はいないか。

家族にメッセージを書いてみる。

エンディングノートは書くことが目的ではなく行動することが大事。

そんなお話をさせていただきました。


第2部はプロマイド撮影。

いざというときなかなかいい写真が見つからず苦労することがあります。
ですから、ちょっとした機会に撮影会を開催し無料で差し上げています。


今年の写真は喜んでいただけるかな。




孫とおばあさん

2020-09-12 18:51:00 | 日記
こんばんは
のんびり秋田からvisionです。

うちの娘たちが子供の頃、保育園はなかったものですから、子守役はもっぱら祖母でした。

子供たちからすると曽祖母。

昔話などよく本を読んで聞かせてくれました。

近所のおばあさんもよく遊びに来ていて民謡に合わせて子供たちが踊っているようなこともよくありました。

娘たちはおばあさん子で育ったせいかお年寄りに対して気遣いの出来る子に育ったと思います。

最近は産休が終われば0歳児から保育園ですものね。うちの初孫ちゃんもそうです。
昔に比べて大丈夫かなと心配しましたが、ちゃんと育つものですね。

「保育園行きたくない」とかの感情が芽生える前から、赤ちゃん同士でコミュニケーション取れるのですから凄いことです。

私たちの子育て時代は育児書など読みながらああでもないこうでもないと。特に妻は大変だったと思います。育児と仕事に嫁姑の問題も重なり苦労かけました。自分といえば妻に任せっきりの本当にダメなパパでした。仕事が終わってから地域の活動などがあって出歩くことが多かったからです。本当に申し訳なかったと思います。

ふたりの娘が嫁ぎ、現在、両親と4人暮らしで孫ちゃんと会うのも時々ですが、うちの孫ちゃんは妻のことはアンパンマンと同じくらい大好きなようです。

いつの時代にあってもおばあちゃんて好かれる存在なんだなと思います。

現代のように核家族化が進んでおじいさんおばあさんと交わることが少ないのはもったいないことです。

お年寄りと過ごした経験から学ぶことも多いのではないでしょうか。

今度、縁側で日向ぼっこでもしながら、孫と一緒に過ごしませんか。



で終わるつもりでしたが‥‥

おじいさんが16歳の孫娘を刺して殺害したってニュース。なんなんだ❗️