こんばんは
のんびり秋田からvisionです。
昨日、友人から「Aさんが死んだ」というメッセージが届きました。
祭壇の中央にはAさんの写真が。
冗談にしてはキツイなと最初思いました。
いつもふざけあっていましたので合成写真だと思ったのです。
しかし本当でした。
葬儀は近親者で行い終了したといいます。
Aさんとの出会いはSNSでした。
やりとりを確認すると2014年5月からの友達となっています。
何度かコメントでのやりとりがあって、今度飲み会があるけど来ないかと誘われました。
「行きます」とは言ったもののその頃Aさんは顔出しもしていません。
どんな仲間が集まるのかもわからずちょっと不安でした。
でもAさんは私のことを「まっさん」と親しげに呼んでくれました。
10歳以上も年上の先輩です。
その仲間というのがJazzファン同士のKさん。年は私と同い年ですがAさんと長い付き合いのS君。
この飲み会は毎月定期的に行われるようになりました。
それまで出会うことがなかった者同士が
SNSをきっかけとして関係が広がっていくことに楽しさを感じました。
50代から出来る新しい友達もなかなかいいものです。
以来、新しいメンバーが入ったり出ていったりしましたが続いていました。
しかしこのコロナ禍でしばらく飲み会は中止しました。その間にAさんは腰痛で入院しましたが、退院したようでした。
もう少し落ち着いたら飲み会を再開しようとしていた矢先、訃報を知らされるとは思いもよりませんでした。
だってこの間までSNSでやりとりしていたのです。
写真にある絵手紙は私がAさんに送ったものです。というか誰に送ったかも忘れていましたが、Aさんが思い出をシェアしてくれました。
その後もブドウ狩りの写真にいいねをつけてくれていました。
それから何日も経っていないじゃないですか。
そういえば顔出ししていなかったAさんがプロフィール写真に使うようになった写真も初めて出会った飲み会で私が撮った写真なんだもん。
なんだよ涙が止まらない‥‥。
最期、他社に葬儀を頼んだのはAさんの優しさだったのかな?
でも会いたかったよ。
ナナカマドが色づく頃、Aさんを思います。
忘れない。
お悔やみ申し上げます…。
先の終活セミナーでもvisionさんが仰られていた、
写真をとる、残すという事の大切さ、
誰かの訃報を耳にする度に思いますし、
先日の祖母の葬儀の際にも感じた事でした。
ご友人がアイコンに使用している写真は、
visionさんの撮影だったんですね。思い出に投稿された絵ハガキたちも…。
こんな風に、離れていてもお互いに通じ合っているのが、
こちらにも伝わります。
コメントすべきではなかったかもしれないけれど、
visionさんのいろんなお気持ちは、きっと届いている事と思います。
今は雨が降っていますね。そちらは止んでいるかもしれないけれど、
この雨が、visionさんの胸の傷みを、
少しでも和らげてくれる事を祈っていますね。
それでは、おやすみなさい。
yu,
今一番の悲しみの中にいるのはオシドリ夫婦の奥様だろうと思います。かける言葉も見つかりません。
友人にとってお別れできない別れってつらいです。
現在、コロナ禍にあって近親者のみで執り行われる葬祭が増えています。
お別れしたいのにできない友人もたくさんいらっしゃることでしょう。
負に落ちないモヤモヤを感じていると思います。
vision