こんばんは
のんびり秋田からvisionです。
うちの96歳で亡くなった祖母は晩年、何をしてもらうにも「ありがとう」と繰り返し言っていました。
ご飯を食べさせてもらうにも下の世話をしてもらうにも。
介護をしていた母はそのことがありがたかったと言います。
側から見ていた私は人生の終盤は仏様の命に近づくものなのかと思ったほどです。
人はそのように生きなさいと人生をかけて教えてくれたのかもしれません。
ありがとうの語源は有難しで仏教用語と言います。人として生まれることさえ難しいのにましてや仏法に巡り合うことの難しさを言ったものだそうです。
ありがとうの反対語は何か。
あたりまえです。
今生きていること。
健康なこと。
家族が元気なこと。
収入があること。
平凡なことさえ実は素晴らしいことなのです。時々忘れてしまいますけどね。
気づいたなら「ありがとう」を伝えておこうと思います。
いつだって、これが最後になるかもしれないのだから。
ほんとうにそうだと思います。
7月に旅立った祖母も、たくさんの教えを遺してくれました。
元気だった頃、仏壇の中にいる祖父やご先祖様へ読経を欠かさなかった祖母。
わたしはそれをどこかで当たり前の光景として見てきたけれど、
祖母が亡くなってから、その当たり前の光景は、本当は尊い光景であった事を知りました。
読経できる人、我が家にはもう、いないのです。
だから今度は、わたしが覚えようかと考えていたりします。
認知症を患っていたのに、最期の約二週間は、元気だった頃の祖母でした。
二回の面会を、「たった二回」ではなく「二回も会えた」
そう思わせてくれたのも祖母でした。
面会の終わりに、「おめんど気ぃつけて帰れなぁ〜」
と、人の心配ばかりするその優しさも、
当たり前ではない、ありがたい想いのかたまりでしたよ。
そんなやさしい祖母も、土曜日には四十九日、旅立ちです。
彼女がわたしに教えてくれた、当たり前という素敵な今を、
丁寧に生きたいと思います。
ごめんなさい、すごい長くなりました。
あまりにもタイムリーなお話だったから、つい。。。
visionさんのお祖母様も、とても素敵な方だったのですね。
このお話に触れることができて、とても嬉しく思いました。
ありがとうございます!
yu,
おばあさんて凄いと思います。
うちのおばあさんも仏壇の前で何時間もお題目唱えていました。
後からおばあさんの手帳が仏壇の引き出しから見つかり
「カゾクガミンナケンコウデアルヨウニ」とか
「〇〇チャンガゴウカクスルヨウニ」などご祈念がたくさん書いてありました。
家族の福運はおばあさんのお題目に支えられていたのだと思います。
今は私がそういうおばあさんに感謝の気持ちを込めてお題目を送っています。
yu. さんのおばあさんもきっと素敵な方だったのでしょうね。
悲しみが尽きることはないと思います。
のこされた家族が幸せでいること。
それが一番の恩返しではないでしょうか。