思い出をたどる、お地蔵さん
ビクトリオトシさんの投稿です
私は板橋を離れ長くなりますがこの年になっても1月23日、8月23日になると今日はお地蔵さんの日だなあと思い出す事があります、何故かといえば私が子供の頃のお地蔵さん大祭、その賑やかさに圧倒された思い出が脳裏に残っているからだと思います、とはいえ板橋を離れて以来お地蔵さん参詣に行ったことがなかったのでその失礼を謝る意味とお地蔵さんの思い出をたどり懐かしむ為に今回お参りに行って来ました。
お地蔵さん境内
お地蔵さんの正式名称は『金龍山宗福院』、建立は慶長3年(1598)です、建立後は写真の垂れ幕の紋が示すように北条氏が中興開基(衰えた物を再び盛んに起こす)した光林寺の庇護のもと418年続き現在に至っています。
現在は見ることが出来ませんが私が子供の頃の境内には沢山の蓆(むしろ)架けの小屋が軒を並べ、至る所から呼び込み口上が聞こえとても賑やかな境内でした、特に私はろくろ首の見世物小屋が好きで『親の果報が子に報い何の因果か解らねど生まれたこの子が……』の口上が始まると怖いもの見たさに架けてある蓆と蓆の隙間からそっと小屋の中を覗いた記憶があります、でも今はまったく様変わりして静かな境内になっています。
沿道の出店の賑わい
今も沿道には屋台が多数軒を並べています、昔のように綿菓子屋さんがあったりして懐かしさを感じましたしかし見ることが出来なかった残念な屋台もありました、その一つが汚いから買うなと母親からよく言われた飴細工屋さんです、飴屋さんは飴を火であぶり柔らかい内に鶴や兎の形を作り鋏を使い詳細な形を描き出す、その技のすごさに子供ながら目を見張りました、これは食べる物ではなく飾って置く物だと思ったりした事を覚えています。
地元の人達の出店
子供の頃の板橋は寄木を張り付けて作る箱根細工屋、木茶碗やお盆を作る木地屋、仕上げの色塗りをする塗師屋(ぬしや)、木工製品を全国に卸す問屋さんなどがおりました、お地蔵さんの日になるとこれらの人達が自分の家の前で参拝者に木工製品を販売しているのをよく見ました、今回のお地蔵さんでも一軒ですが写真のように木工製品の出店販売をしているお店がありました、寂しいかぎりでしたが昔のにぎやかさを思い出させる一つの出来事ではありました、今後とも伝統を守って木工製品を売り続けてほしいという気持ちでいっぱいです。
旧道に沿った家々
子供の頃よく眺めた沿道(旧道)沿いの古く赴きあった家々は代替わりと共に建て替えられて今では昔の面影はまったくと言ってありません、しかしやっと見つけました、板橋上地区のお醤油屋さん、今でも子供の頃見たその姿で立っていました、この家だけを見るとあたかも六十数年前にタイムスリップしたような錯覚にとらわれます、昔江戸と京都の間を行き来する旅人を東海道五十三次の一部として旅人を先導し安全の確保に貢献した家々の名残かも分かりません、この家もいずれは取り壊され自分自身で旧道の歴史を消していくのかも分かりません,そう思うと少しさみしい気がします。
お地蔵さんの名称 金龍山 宗福院
所在地 小田原市板橋566番地
お地蔵さん大祭 1月23日
8月23日
フォトアルバム『思い出をたどる、お地蔵さん』がマイクロソフトワンドライブに保存してあります、ご覧になりたい方は下記URLをクリックし現れたアイコンをクリックして進み御覧下さい
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