阿久悠氏は戦後世代を代表するヒット曲メーカーだった。「生涯で5000曲以上を作詞した。
昭和34年に明治大学文学部日本文学専攻卒業後、広告代理店の宣弘社に入社。広告マンと放送作家の二足のワラジを履くが、40年にフリーとなり、作詞を中心に小説、エッセーなどの執筆活動に入る。同年、ザ・スパイダースのデビュー曲「フリフリ」のB面「モンキー・ダンス」で作詞家デビューした。
昭和40年代後半から50年代にかけて「また逢う日まで」「北の宿から」「勝手にしやがれ」「UFO」「雨の慕情」などのヒット曲を作詞した。
以上の作品でも分かるとおり、彼の作詞は実に多彩で、芸風の広いのが特徴だった。
ご冥福をお祈りします。
作詞家、作家の阿久悠さん死去=「UFO」、小説「瀬戸内少年野球団」
「また逢う日まで」「UFO」などのヒット曲を作詞し、小説「瀬戸内少年野球団」でも知られる阿久悠(あく・ゆう、本名深田公之=ふかだ・ひろゆき)さんが、1日午前5時29分、尿管がんのため死去した。70歳だった。葬儀は近親者のみで行い、後日「送る会」を行う。喪主は妻の雄子さん。
広告代理店勤務を経て作詞家となり、5000曲以上の作品を発表。代表曲に「勝手にしやがれ」「津軽海峡冬景色」「熱き心に」などがある。作詞活動のかたわら小説も執筆し、1984年に発表した「瀬戸内少年野球団」は直木賞候補になった。
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