「学部大学長」というポストは何のことだかさっぱり解らないが、ホ・ドンヒョン氏が例によっての論説をしている。
この記事のタイトルが相手に失礼なのは承知しているが、失礼な相手には同様に対応するのもやむを得ないだろう。
永遠に癒やされない傷、庚戌国辱。従来一枚下だと見下げていた文化的劣等者に踏みにじられる痛恨の歴史
≪1910年8月29日。 徳川幕府末期にすでに芽生えていた征韓論が物語っているように、明治維新(1867年)以後に近代帝国主義国家に生まれ変わる前から、この地をのみ込もうした侵略者は宿願を果たした。≫
当時の世界情勢をあえて無視しているのはいつものパターンである。
≪半面、私たちは35年後の8月15日、光復(解放)のその日が来るまで、有史以来初めて国土と民族が、従来一枚下だと見下げていた文化的劣等者に踏みにじられる痛恨の歴史を刻んでしまった。 ≫
朝鮮人の文化の基準は「いかに中国に近づくか」という観点だから、その意味では朝鮮の方が日本より進んでいた。
朝鮮史の大半は植民地か属国だったのだが「有史以来初めて」と公然と言える神経がものすごい。
中国に占領されている時は「従来三枚上」の相手だから考慮しないのだろう。
では、満州族やもモンゴル族に支配されていた時の言い訳はどうするのだろうか?
満州族に関しては「同胞」として逃げるつもりのようだ。逆に満州族が建国した領土はちゃっかり朝鮮領と考えている。
モンゴル族に支配されていたときは、もう詭弁も弄せない。「ジンギスカンは朝鮮人だった」などと言う御仁もいるが(日本でも似たような説があるので恐縮だが…)。そこで、その事実には触れないようにするしかないのである。しかし、朝鮮人がモンゴル族について触れたがらない理由は簡単である。徹底的に弾圧されたからである。
朝鮮人の平均的思考は上位者には服従、下位者を蔑むという犬的レベルでしかないことが判る。
日本人は全般に犬の飼い方が下手くそで特に女性が犬を飼う場合を目を覆いたくなるような悲惨な状況が多い。
至る所犬の糞が散乱していることから判るようにマナーも最悪だが、しつけがまるでできていない。女性の場合、猫と同じ感覚で犬を飼うから悲劇が起こるのである。
犬の社会は上下関係しか存在しない。飼い主が上位者でなければ犬は命令に従わない。
甘やかしてばかりいると犬は「こいつは下位者」と判断するのである。下位者と思っている相手と散歩すると、自分の思っていない方向を歩こうとする相手に制裁の意味で噛みついたりするのである。
要するにモンゴルの場合は徹底的に弾圧したので朝鮮人は上位者と認めざるを得なかったのである。勿論現在のモンゴル人にはそう思っていないだろうが…。
ホ氏が日本をしきりに「一枚下」とか「文化的劣等者」と怒っている背景も以上の思考パターンによるものである。
要するに日本の朝鮮に対する植民地経営は下手だったのである。
バカウヨどもは恩着せがましく、「朝鮮にいろいろ施してやったのに」などと抜かしているが、根本的に間違っている。
≪合併後の日本の朝鮮統治政策を見ると、合併時の宣言に反して、吾族の幸福と利益を無視し、征服者が被征服者に 対する古代の非人道的政策を襲用し、吾族に参政権、集会結社の自由、言論・出版の自由などを許さなかった。≫
さもそれ以前の朝鮮が人道的で平等社会だったような言い方だが…。
近現代史のプロのくせに時代考証をしない御仁である。
≪さらに信教の自由、志業の自由までも少なからず拘束し、行政・司法・警察などの諸機関が朝鮮民族の私権までも侵害し、吾族には永遠に国家生活に必要な知能と経験を得る機会を与えず、吾人は決してこうした武断専制と不正・不公平な政治下で生存と発展を享有できない」。 ≫
過去の属国・植民地時代に比べればずいぶんマシになったと思うのだが…。封建制の場合、庶民は支配者に隷属する関係にあり、支配者が替わろうが基本的に変化はない。
≪1919年、自らを「2000万の民族の代表」とした東京留学生たちの「独立宣言書」は、日帝が私たちから何を奪っていったのかを一つひとつ語っている。≫
当時のことだから当然弾圧されているが、独立運動への知識が日本による教育の結果というのも皮肉なものだ。
三・一独立運動
ただ当時の情勢下でこれだけの独立運動が組織できたのはなかなか立派なものである。これで一気に独立できていたら、朝鮮ももっとまともな国になっていた可能性があるのだが…。
≪当時、植民地朝鮮の政治が近代的に発展したように宣伝したが、ある程度の基本人権と参政権を保障した明治憲法ではなく、総督の制令を適用し、言論・結社・集会・出版の自由を完全に踏みにじったのがこの地の実像だった。≫
当時は日本でも人権や思想の自由など大して保障されていなかった。 戦前の日本が民主主義の理念からはほど遠いろくでもない国であったことは否定しない。
≪3・1運動後、「文化政治」を掲げた日帝が一抹の基本権を許したが、出版や集会がある度に義務化された事前検閲と 警察臨検が示しているように、これは政治ショーにすぎなかった。
1925年に治安維持法が施行されると、この制限された自由までが蜃気楼になってしまう。 ≫
中途半端に甘やかすとつけあがって手に負えなくなる典型である。尤も、近代史における民主主義の世界的変遷を考慮して考えるべき問題ではあるが…。欧米への体面である。欧米の植民地政策よりも極端に前近代的すぎるとさすがに肩身が狭いのだ。
≪この地の人々が民族を単位とした国民国家の主人になることを熱望したその時、日帝は私たちの政治的権利と自由をはく奪し、自主的民主政治に必要な経験を積むことを防いだ。 ≫
当時はどこの植民地でも独立運動が起きており、宗主国は火消しに躍起になっていた。要するに「やっと他の植民地並みの環境になれた」ということだ。アジアで植民地化された国は当時封建制で、庶民に政治的権利も自由も元々存在しなかった。「私たち」というのはごく一部の支配者階級しか該当しない。
≪それだけでなく、今日の私たち市民社会の慢性病である亀裂の二分法も、指導者と民衆の間の相互不信と反目を助長した日帝分裂支配(divide and rule)政策の遺産であり、南北分断も、日帝が背負うべき侵略戦争の罪を私たちが代わりに抱えているのだ。
一度かすめて通り過ぎる痛みではなく、今でも私たちを苦しめている、癒やされない傷を残した強制併合100年を迎える今日。 ≫
慢性病は「今日の」ではないだろう。何でも他人のせいにしたがるのが慢性病の原因である。同じ朝鮮人同士なら相手も怒るから分裂もするだろう。癒すのはそれに気づくことである。
≪不幸な過去の歴史を越えて、韓日両国の人々が共存の道に進んでいくための最初の踏み石となる、日本人の心からの謝罪と省察を、私たちの市民社会は今も渇望している。≫
どうして日本程度の国の植民地にされてしまったのかを反省することが先だろう。自省し、客観的思考をまず身につけてください。
この問題に関しては、韓国の学者が「当時の朝鮮は平和国家で軍人の数が少なかったからだ」などと寝言のようなことを言っていたが、それが韓国での通説だろう。自国の文化水準や科学水準が脆弱だった事実を認めたがらないのである。防衛は中国任せ、文化水準も中国のまねでは話にもならない。今の日本にも当てはまる話だが…。
捏造からは謝罪も生まれない。
最新の画像もっと見る
最近の「極右閣下の独り言」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
2005年
人気記事