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株のデイトレードと食事

太陽にほえろ抜粋2

2012-05-03 19:40:40 | 小説
黎明期(1972年(昭和47年)〜1974年(昭和49年)) [編集]七曲署捜査一係に早見淳(マカロニ)が着任するところからこのドラマは始まった。第1話に新任刑事が配属されるというパターンは、後発の作品では珍しくなくなっているが、当時は斬新なものであった。一係は藤堂係長(ボス)以下、山村(山さん)・石塚(ゴリさん)・島(殿下)・野崎(長さん)らのメンバーで、第38話より少年課から内田(シンコ)も加入する。第1話の犯人役には、当時若手実力派俳優として頭角を現してきた水谷豊(後に萩原とは『傷だらけの天使』で共演)が出演。山東昭子も新聞記者役としてセミレギュラーだった。その後も浜美枝、沖雅也(久保刑事役)、藤竜也、近藤正臣、宍戸錠などゲストが多数出演。特に沢田研二がゲスト出演した第20話「そして愛は終った」は、萩原と沢田のGSスターの共演で話題となり、当時のスタッフの証言によれば撮影所にファンが殺到したと伝えられる。番組開始当初は裏番組の『天下御免』『赤ひげ』(NHK総合)に押され、視聴率にかなりムラがあったものの、徐々に安定した人気を獲得するようになっていく。マカロニが退場するまでの一年間、平均視聴率は第一クール17.6%、第二クール16.0%、第三クール18.1%、第四クール18.7%であった(ビデオリサーチ関東地区調べ)。

後述のように、当初は実験的・反体制的なストーリーも多かったが、萩原が「リアルな犯罪を描くというのなら、性犯罪を取り上げないのはおかしい」と番組の方向性に疑問を投げかけたのに対して、制作サイドは金曜8時という放送時間や、それでなくても過激すぎるという声が多かったことから、萩原の提案を拒否。結局、萩原はその他の諸事情もあり降板を申し出ることとなった(萩原が構想していた、よりリアルな犯罪ドラマは、後日『傷だらけの天使』にて表現された[22])。萩原の降板の申し出から岡田チーフプロデューサーは、文学座研究生・松田優作に目をつけてテスト出演させ、松田を次期新人刑事に採用した。マカロニの犬死という衝撃的な展開が話題をまいた後、柴田純(ジーパン)が着任しドラマは新たなスタートを切った。松田の野性的な風貌と長身をフルに生かしたアクションで、第61話「別れは白いハンカチで」から常時20%以上をキープする人気番組に成長。ジーパンだけでなく個性的なベテラン刑事達の活躍も話題を集め、第87話「島刑事、その恋人の死」で28.4%を記録。第94話「裏切り」ではついに30%を突破した。

絶頂期(1974年(昭和49年)〜1979年(昭和54年)) [編集]柴田の死後、三代目新人として三上順(テキサス)が配属。番組の人気が上がったので、児童層への影響を考えて従来の破天荒で型破りな刑事ではなく、短髪で生真面目なスポーツマン刑事として設定された。結果、テキサス刑事の人気は急騰し、当初は従来どおり1年目での殉職が予定されていたがあまりの人気のため延期され、交代劇がままならないまま田口良(ボン)が欠員補充という形で配属された。この時代は高視聴率が安定し、新人刑事の成長物語から刑事らの群像劇へと番組の姿勢がシフトしていったほか、ストーリーもそれまでの若者の葛藤や青春を描いた話だけではなく、家族問題やコメディものまで娯楽性が強まった。

これによって一係の扱う事件も本来の殺人・放火事件などの強行犯専従から知能犯、暴力犯や防犯課(当時)案件の銃器や薬物なども扱う総合的なものにシフトした。

三上の殉職後、滝隆一(スコッチ)が配属。滝は先輩刑事を目の前で殺害された経緯から、姑息な手段を使う犯人には独断発砲も辞さない非情な刑事になった設定で、チームワークを身上とする藤堂班に波紋を起こすキャラクターとして投入された。田口も性格の異なる滝との対比で存在感を増すことにもなった。

滝は半年後に転属し、短期の「ボン単独編」となった。この時期は麻薬Gメン房江の最終ゲスト編や、誤って容疑者を死亡させて辞表を出すなど田口の成長に重点が置かれる。その後、岩城創(ロッキー)が欠員補充として配属し、以降は「ボン・ロッキー時代」としてタイトルバックも二年間不動のロングラン・シリーズとなった。宮内淳の人気急上昇で田口の殉職劇が延期を重ねた結果、次期新人候補の山下真司は半年以上浪人させられ、北海道ロケにカメオ出演した。その間新たに準レギュラーとして登場した交通課の早瀬令子編、島と三好恵子とのロマンス編、歴代の殉職刑事の追想とスコッチ、柴田たきの再登場で構成された300回記念編、初の海外ロケとなったオーストラリア編など数々のイベントが用意された。

激動期(1979年(昭和54年)〜1982年(昭和57年)) [編集]田口が殉職し、待機していた山下が五代潤(スニーカー)として登場。同時にオープニングテーマもアレンジを大きく変更した新バージョンに改められ、ドラマの方向性も転換を計った。また、一係室も床や机、椅子等がリニューアルされた。これまでの新人刑事中心から群像劇へとシフトさせ、アクション中心からドラマ性に重きを置いたものまで幅広い作劇が模索された。しかしこの結果、主役的存在である五代の人気がのびず、作劇上も地味な印象を持たれることになった。また、1979年10月からスタートしたTBS『3年B組金八先生』の大ヒットで、当番組の視聴率は急激に低下していった。様々なテコ入れ策が検討され、その1つとして1980年3月、400回記念として山田署に転勤していた滝(スコッチ)を七曲署に復帰させたが、その復帰回である1980年3月28日放送分『スコッチ・イン・沖縄』の視聴率(18.5%)は『金八先生』の最終回(39.9%)の半分以下という結果に終わる。

初期から出演していた島刑事役の小野寺昭が降板を表明。島の後任として西條昭(ドック)が登場する。西條役の神田正輝自らの提案で、カジュアルな要素を注入した。神田のシリアスからコミカルまで幅広く演じるイメージとも相まって、作品のバリエーションはさらに拡大。娯楽性も増したことが時代とマッチングし人気を取り戻すことに成功した。しかし、10月に『金八先生』の第2シリーズがスタートし再び視聴率が低迷する。

さらに1981年に入り、滝役の沖が交通事故で入院し一時欠場、さらに藤堂役の石原が病気のため長期離脱する。またテレビ朝日の『ワールドプロレスリング』の視聴率が初代タイガーマスクの登場以降上昇し始める。9月に五代は辞職して故郷に帰るという形で降板(藤堂不在時の殉職を避ける形をとり、藤堂復帰の際に山下はゲスト出演)。後任として竹本淳二(ラガー)が登場する。演じる渡辺徹は当年20歳になる史上最年少の新米刑事であり、たのきんトリオに象徴される当時のアイドルブームと相まって女性人気の回復に貢献した。その直後に沖が健康不調から再び番組を欠場。藤堂は全快してクリスマスに復帰するが、滝は古傷が悪化した設定で病死という形で降板する。

第二の絶頂期(1982年(昭和57年)〜1984年(昭和59年)) [編集]原昌之(ジプシー)が登場する。原役の三田村は当時「必殺仕事人III」と掛け持ちだったため出番があまり多くなかったが、神田・渡辺を含めた3人はアイドル刑事チーム「ミワカントリオ」と呼ばれて番組の人気向上に貢献した。10周年記念のカナダロケで岩城は殉職し、野崎は警察学校への異動で番組を去った。さらに石塚も殉職で降板が決定していた。制作サイドは急激なメンバーチェンジによるファン離れを恐れ、テーマ曲を元の音源に戻して[23]「原点回帰」を図る。またこの時期「10周年記念ファンの集い」というイベントが行われ、マカロニ、ジーパン、シンコを除く歴代のレギュラー刑事が総出演した。そして新たに春日部一(ボギー)が登場。春日部は初代・早見淳を意識したキャラクターで、登場編も1話のリメイク的な作りとなった。世良の加入から「カワセミ時代」と呼ばれる黄金期を迎え、テレビ情報誌・芸能誌のグラビアを飾った。これ以降若手メンバーを軸に置いた路線へとシフトする。

石塚が番組初のスペシャル版(90分)を最後に殉職した後、井川利三(トシさん)が着任し、その後は中堅としてチームを支えた。三田村はNHK大阪制作の水曜時代劇「壬生の恋歌」への主演と「必殺仕事人IV」(ABC)への続投が決定したため、太陽を降板せざるを得なくなる(当初は「新・必殺仕事人」最終回をもって必殺シリーズを卒業し、太陽には長期出演となる予定だった)。その翌週は、原の後任として配属された女性刑事がすぐに辞職してしまうというストーリーであったが、その話のラストで亡き岩城の妻である令子(マミー)が交通課婦警から一係に転属することになり、シンコ以来10年ぶりの女性レギュラー刑事となった。

春日部の殉職後の後任として新たな新人刑事役・又野誠治が用意されたが、人気のあった春日部の半年延命が決まり、庶務担当だった松原直子(ナーコ)と入れ代わる形で澤村誠(ブルース)が登場する。春日部がマカロニを意識したキャラクターであったのに対し、澤村はジーパンを彷彿とさせるアクション型の荒削りなキャラクターであった(春日部の殉職後はそのキャラクターの一部を受け継ぎ、コメディリリーフ的な役割も演じるようになる)。



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