石臼の墓は、伊勢崎市境伊与久高井墓地。十個の石臼ばかりを組み合わせて建てた墓塔で、
銘文の筆者は有名な画家、書家著名な松本宏洞(市内大正寺)である。
これは高井栄吉という人の墓で、もと村の水車小屋の主人である。
栄吉は享和三年(一八〇三)この伊与久村に生まれた。
十一歳のとき江戸に出て建具職を修業して郷に帰ったが、
当時は、精米を行うものがなく、村の人が非常に不便するのを観て、
精米業を思いたち、村内を流れる粕川に栄吉手作りの大きな水車を設けた。
水車小屋には十八の石臼と、十八本の杵が、並んだのである。
栄吉が水車小屋を設けるには村の、宮崎有成と五十人の世話人が、
多少の出資をした。
栄吉水車は村に大きな便利を与えたか、世話人の米や麦は全部無賃たったし、
粕川は一年に七度前後大水かあってりしたので、
預かった、米麦の避難か問に合わず水浸しになったりして、生活は困窮を極めたが、
明治十六年の臨終の際、もう一度水車が見たいと願ったので
家の人達が、戸板に乗せて行くと
水車の廻っているのを安心して他界したのである。
墓は全て石臼で作って有り
享年八十歳である。