アラ還のズボラ日記

鈍頭は、煙と同じで上に上がる。

墓碑を、考える石臼の墓

2017年10月16日 22時02分10秒 | 日記

石臼の墓は、伊勢崎市境伊与久高井墓地。十個の石臼ばかりを組み合わせて建てた墓塔で、

銘文の筆者は有名な画家、書家著名な松本宏洞(市内大正寺)である。

これは高井栄吉という人の墓で、もと村の水車小屋の主人である。

栄吉は享和三年(一八〇三)この伊与久村に生まれた。

十一歳のとき江戸に出て建具職を修業して郷に帰ったが、

当時は、精米を行うものがなく、村の人が非常に不便するのを観て、

精米業を思いたち、村内を流れる粕川に栄吉手作りの大きな水車を設けた。

水車小屋には十八の石臼と、十八本の杵が、並んだのである。


栄吉が水車小屋を設けるには村の、宮崎有成と五十人の世話人が、

多少の出資をした。

栄吉水車は村に大きな便利を与えたか、世話人の米や麦は全部無賃たったし、

粕川は一年に七度前後大水かあってりしたので、

預かった、米麦の避難か問に合わず水浸しになったりして、生活は困窮を極めたが、

明治十六年の臨終の際、もう一度水車が見たいと願ったので

家の人達が、戸板に乗せて行くと

水車の廻っているのを安心して他界したのである。

墓は全て石臼で作って有り

享年八十歳である。