本殿周囲に施された彫刻は、渕名の名工・弥勒寺音次郎・音八父子の作といわれる。
向拝の八方にらみの龍や脇障子西側羽目板の赤壁高士舟遊、
東側の虎渓三笑をはじめ、腰組の碁打ち像、弾琴像や唐児彫りなど、
見事な彫刻が
随所に見受けられる。
弥勒寺父子は冠稲荷の聖天宮(太田市重文)や茨城県・笠間稲荷の本殿
(国重文)などを手がけたことでも知られている。
つづく
本殿周囲に施された彫刻は、渕名の名工・弥勒寺音次郎・音八父子の作といわれる。
向拝の八方にらみの龍や脇障子西側羽目板の赤壁高士舟遊、
東側の虎渓三笑をはじめ、腰組の碁打ち像、弾琴像や唐児彫りなど、
見事な彫刻が
随所に見受けられる。
弥勒寺父子は冠稲荷の聖天宮(太田市重文)や茨城県・笠間稲荷の本殿
(国重文)などを手がけたことでも知られている。
つづく
実に見事な堀師の作の数々で有るが、
今回、残念な事に地元の「郷土研究及び郷土史家」と称する方が
素手で作品を手に取り観ているのには言葉が出なかった。
又、地元では、趣味で多く写真展ほ開催している方が
貴重な文化財を、ストロボ使用して撮影いる姿に疑問を感じたのは
私だけだろうか?
本殿正面の画像ですが、上、下段彫刻の匠の技に驚かされる。
下の画像の獏も厳しい環境で育った欅が使われているが、恐らく15年以上
乾燥させた赤欅と思われるが、硬い欅を彫師が見事に彫っている。
下の画像も同様である。
本殿周囲に施された彫刻は、渕名の名工・弥勒寺音次郎と
音八父子の作と言われる。
向拝の八方にらみの龍や脇障子西側羽目板の赤壁高士舟遊、
東側の虎渓三笑をはじめ、腰組の碁打ち像、弾琴像や唐児彫りなど、
見事な彫刻が
随所に見受けられる。
弥勒寺父子は冠稲荷の聖天宮(太田市重文)や
茨城県・笠間稲荷の本殿
(国重文)などを手がけたことでも知られている。
続く
平塚赤城神社は永禄12年(1569年)渋沢氏が赤城山の大洞赤城神社より分霊をした。
渋沢氏は新田氏の家臣で、明治時代の実業家・渋沢栄一が出ている。
鳥居は弘化3年(1846年)の建立。
永禄12年(1569年)の社殿造営後、寛文4年(1664年)、嘉永6年
(1853年)に改築・造営されている。
現在の本殿は嘉永6年(1853年)の造営と伝えられている。
周囲は田園が広がり南は坂東太郎「利根川」が流れており、
自然に恵まれ地元の郷土に対する思いと、教養は高い土地柄である。
続く