アラ還のズボラ日記

鈍頭は、煙と同じで上に上がる。

伊勢崎市境平塚の平塚赤城神社について「5」

2018年01月31日 07時18分33秒 | 日記

本殿周囲に施された彫刻は、渕名の名工・弥勒寺音次郎・音八父子の作といわれる。


向拝の八方にらみの龍や脇障子西側羽目板の赤壁高士舟遊、

東側の虎渓三笑をはじめ、腰組の碁打ち像、弾琴像や唐児彫りなど、

見事な彫刻が


随所に見受けられる。



弥勒寺父子は冠稲荷の聖天宮(太田市重文)や茨城県・笠間稲荷の本殿
(国重文)などを手がけたことでも知られている。


                                     つづく


伊勢崎市境平塚の平塚赤城神社について「4」

2018年01月30日 06時45分13秒 | 近世歴史の裏側

実に見事な堀師の作の数々で有るが、

今回、残念な事に地元の「郷土研究及び郷土史家」と称する方が

素手で作品を手に取り観ているのには言葉が出なかった。

又、地元では、趣味で多く写真展ほ開催している方が

貴重な文化財を、ストロボ使用して撮影いる姿に疑問を感じたのは

私だけだろうか?


伊勢崎市境平塚の平塚赤城神社について「2」

2018年01月26日 06時04分34秒 | 日記

本殿周囲に施された彫刻は、渕名の名工・弥勒寺音次郎と

音八父子の作と言われる。


向拝の八方にらみの龍や脇障子西側羽目板の赤壁高士舟遊、

東側の虎渓三笑をはじめ、腰組の碁打ち像、弾琴像や唐児彫りなど、

見事な彫刻が


随所に見受けられる。



弥勒寺父子は冠稲荷の聖天宮(太田市重文)や

茨城県・笠間稲荷の本殿
(国重文)などを手がけたことでも知られている。

                                             続く


伊勢崎市境平塚の平塚赤城神社について「1」

2018年01月25日 11時59分10秒 | 日記

平塚赤城神社は永禄12年(1569年)渋沢氏が赤城山の大洞赤城神社より分霊をした。


渋沢氏は新田氏の家臣で、明治時代の実業家・渋沢栄一が出ている。

鳥居は弘化3年(1846年)の建立。

永禄12年(1569年)の社殿造営後、寛文4年(1664年)、嘉永6年
(1853年)に改築・造営されている。

現在の本殿は嘉永6年(1853年)の造営と伝えられている。

周囲は田園が広がり南は坂東太郎「利根川」が流れており、

自然に恵まれ地元の郷土に対する思いと、教養は高い土地柄である。

                           続く