いろんなことがあり、この文章を投稿するのが遅くなりました。
2月9日(日)大阪ロイヤルホースでの歌FESにお越しくださった皆様、ありがとうございました。
また、企画・プロデュースしてくれた赤松くん、ありがとうございました。
「この場所でのロイヤルホースでお客様へと歌わせて頂くのはこれが最後か・・」と思うと、少し感傷的になって「泣かないぞ」と思いました。
歌手は、泣いたらあかん・走ったらあかん、のです。だって歌えなくなるから。それは昔、舞台の先輩から指導していただいたこと。だから、ただ一瞬一瞬を大切に、いつも通り歌おうと思いましたが、それはできていなかったでしょう。
10組もの歌手が集まる特別なイベントであり、私の出番が最後の大トリという責任、しかも私にとってはラストと思うと、ね。
出演者の中で私が一番、古くから出演させていただいているし、年功序列ですね。
このイベントの出演オファーをいただいた時、すぐに、40数年前初出演させていただいた時のメンバーでやりたいと頭に浮かびました。
ロイヤルホースが誇る、歴代ハウスピアニストの初代:近秀樹さん、私をロイヤルホースに紹介してくれたベースの中島教秀くん、そして今回2度目の共演:ドラムの中村雄二郎くん。
一番最初のドラマーは、父の友人だった宮川彪さんでした。私のキャリア最大の理解者の一人でしたが故人。本当に残念です。宮川さんの言葉がどれだけ私を励まし、支えてくれたことか。
このメンバーでやれたこと、本当に光栄だし嬉しかったです。長丁場、最後まで聞いてくださった皆様にも、感謝いたします。
私は自分をジャズシンガーと称したことは、まずありませんし、世間の多くの人は私をジャズシンガーだとは認めてくださってはいないでしょう。が、恐ろしいほどの世間知らずだった時代から、ジャズシンガーとしての私を鍛え育て辛抱し見守りチャンスをくださった先輩の皆さん、共演の仲間たち、お客様、スタッフの皆様、そしてなんといってもこのすごい場所を大学生の時に作ってくださった關さん、どんな時も私の歌を愛してくれた關さん、ありがとうございます。
これからも、関西のジャズ界・音楽界が発展し、新生ロイヤルホースも私を含め、多くのミュージシャンが目指すお店として反映・繁盛して参りますようにという深い祈りを込めて。
2月9日(日)大阪ロイヤルホースでの歌FESにお越しくださった皆様、ありがとうございました。
また、企画・プロデュースしてくれた赤松くん、ありがとうございました。
「この場所でのロイヤルホースでお客様へと歌わせて頂くのはこれが最後か・・」と思うと、少し感傷的になって「泣かないぞ」と思いました。
歌手は、泣いたらあかん・走ったらあかん、のです。だって歌えなくなるから。それは昔、舞台の先輩から指導していただいたこと。だから、ただ一瞬一瞬を大切に、いつも通り歌おうと思いましたが、それはできていなかったでしょう。
10組もの歌手が集まる特別なイベントであり、私の出番が最後の大トリという責任、しかも私にとってはラストと思うと、ね。
出演者の中で私が一番、古くから出演させていただいているし、年功序列ですね。
このイベントの出演オファーをいただいた時、すぐに、40数年前初出演させていただいた時のメンバーでやりたいと頭に浮かびました。
ロイヤルホースが誇る、歴代ハウスピアニストの初代:近秀樹さん、私をロイヤルホースに紹介してくれたベースの中島教秀くん、そして今回2度目の共演:ドラムの中村雄二郎くん。
一番最初のドラマーは、父の友人だった宮川彪さんでした。私のキャリア最大の理解者の一人でしたが故人。本当に残念です。宮川さんの言葉がどれだけ私を励まし、支えてくれたことか。
このメンバーでやれたこと、本当に光栄だし嬉しかったです。長丁場、最後まで聞いてくださった皆様にも、感謝いたします。
私は自分をジャズシンガーと称したことは、まずありませんし、世間の多くの人は私をジャズシンガーだとは認めてくださってはいないでしょう。が、恐ろしいほどの世間知らずだった時代から、ジャズシンガーとしての私を鍛え育て辛抱し見守りチャンスをくださった先輩の皆さん、共演の仲間たち、お客様、スタッフの皆様、そしてなんといってもこのすごい場所を大学生の時に作ってくださった關さん、どんな時も私の歌を愛してくれた關さん、ありがとうございます。
これからも、関西のジャズ界・音楽界が発展し、新生ロイヤルホースも私を含め、多くのミュージシャンが目指すお店として反映・繁盛して参りますようにという深い祈りを込めて。