「人と同じは嫌だ」「個性を大切にしたい」みたいな気持ちは、ものすごく大勢の人が強く思っていることだろう。どんな控えめな性格の人でも、とにかく何でも、他人と一まとめにされることを好む人というのは、少ないと思う。
私は「個性的」という言葉には、これが正解!ってのはないと思っていて、多くの人が、個性的であることを奇抜なことと勘違いしているのではないかな?と思っている。
個性というのは、その人がその人として、活かされていることだと思うので、たとえば:
・白いプレーンなブラウスに、紺の膝丈のスカート
・自分の肌とほぼ同じ色のストッキングに
・何も飾りのない低いヒールの黒のパンプスかフェラガモの定番のローヒール
・薄化粧
・セミロングの髪を低めに一つに結んで、紺の地味なシュシュ
・多くの女性に人気のブランドのハンドバッグ
というような、私が考えうる、典型的?なオフィスワーカーの、28歳の女性でも、その人がそのいでたちに納得していたり、楽しんでいたり、満足していれば、それはその人の個性だ。
世の中にはいろんな人がいる、と言っても誰も反対しないだろう。
そこで、下手な絵を描いてみたが、これは、肉体的な特徴を表した物ではなく、その人の個性というものを表したつもり。
一番左の人は割とバランスの良い感じ(のつもり)。
丸い感じの人もいれば、イガイガした感じを持つ人もいるし、バランス悪い人、凸凹な人、素直な感じの人、ちょっといびつな癖のある人、いろいろいる。
なのに、たとえば「俺はジャズが好きだから」とか「俺はロックな生き方をするんだ」「俺はパンクだから」と言って、その枠?の中に入ろうとする人がとても多い。
ロックだから、髪は長いかモヒカン/ 金具がたくさんついた皮ジャン/ ダメージ加工のジーンズ/ ブーツか厚底のやつ/ 体にもいっぱいピアス/ 聴く音楽もロックと認められてるカテゴリーのものだけ(実はみな、そうじゃないと思うが、他のジャンルのもの・たとえばポップスやフォークを聞いていると軟弱と誰かに言われるから内緒にしてると思う)
というようなパターンに、みなが一斉に入って行く。
結局、それぞれの個性を制限・矯正して、一つの同じものの中に入れて、せっかくの自然な自分の形(個性)を、他の人たちと同じにしていることになっている。
それは、ロックな生き方とは、なにか軸が違うことのように思う。もちろん、自由だから、そういうファッションが好きで、やりたければ、それがその人の個性だから、いい。
でも「人と同じは嫌だ」と思っていても、また似たようなファッションや発想や行動の人たちのグループが出来てしまっているだけだ。
最初には5つの、違う形の個性があったのに「ロックとはこうだ」という枠に入ったならば、1つの、みな同じ形になってしまうではないか?
ロックな生き方、には、制服もないしサンプルもないはず、と思う。
私が上に書いたような、典型的な?オフィスワーカーの28歳の女性と、話をしてみたら、めちゃ自由で、めちゃロックな生き方だった、ということだってあっていいわけだし。そういう女性が、そういう自分の好きなファッションのままロックを歌って、めちゃ上手かったなら、それもいい。
ロックってのは、反体制で生まれた音楽だと誰かが私に教えた。もしそれが正しいなら(正しいかどうか私にはわからない)、このオフィスワーカーの女性がめちゃ歌がうまくて、その音楽がロックしてたら、それだって、十分な反体制だと思う。だって「ロックミュージシャンはこうあるべき」という形を押し付ける動きがロック界にあるとするならば、それに反することだって、十分ロックだろうから。
一時期、みな、安室奈美恵さんの真似をして、似合う似合わないに関係なく、そのファッションをすることで、自分を守っていた女性がたくさんいた。ロックミュージシャンも、そうなってませんか?と思うことが、あるのです。
もちろん、ロックミュージシャンだけでなく、ジャズミュージシャンだって、ソウルミュージシャンだって、そういう風になってるとしたら、何かが大きく、違ってませんか?とか、思う。
私は「個性的」という言葉には、これが正解!ってのはないと思っていて、多くの人が、個性的であることを奇抜なことと勘違いしているのではないかな?と思っている。
個性というのは、その人がその人として、活かされていることだと思うので、たとえば:
・白いプレーンなブラウスに、紺の膝丈のスカート
・自分の肌とほぼ同じ色のストッキングに
・何も飾りのない低いヒールの黒のパンプスかフェラガモの定番のローヒール
・薄化粧
・セミロングの髪を低めに一つに結んで、紺の地味なシュシュ
・多くの女性に人気のブランドのハンドバッグ
というような、私が考えうる、典型的?なオフィスワーカーの、28歳の女性でも、その人がそのいでたちに納得していたり、楽しんでいたり、満足していれば、それはその人の個性だ。
世の中にはいろんな人がいる、と言っても誰も反対しないだろう。
そこで、下手な絵を描いてみたが、これは、肉体的な特徴を表した物ではなく、その人の個性というものを表したつもり。
一番左の人は割とバランスの良い感じ(のつもり)。
丸い感じの人もいれば、イガイガした感じを持つ人もいるし、バランス悪い人、凸凹な人、素直な感じの人、ちょっといびつな癖のある人、いろいろいる。
なのに、たとえば「俺はジャズが好きだから」とか「俺はロックな生き方をするんだ」「俺はパンクだから」と言って、その枠?の中に入ろうとする人がとても多い。
ロックだから、髪は長いかモヒカン/ 金具がたくさんついた皮ジャン/ ダメージ加工のジーンズ/ ブーツか厚底のやつ/ 体にもいっぱいピアス/ 聴く音楽もロックと認められてるカテゴリーのものだけ(実はみな、そうじゃないと思うが、他のジャンルのもの・たとえばポップスやフォークを聞いていると軟弱と誰かに言われるから内緒にしてると思う)
というようなパターンに、みなが一斉に入って行く。
結局、それぞれの個性を制限・矯正して、一つの同じものの中に入れて、せっかくの自然な自分の形(個性)を、他の人たちと同じにしていることになっている。
それは、ロックな生き方とは、なにか軸が違うことのように思う。もちろん、自由だから、そういうファッションが好きで、やりたければ、それがその人の個性だから、いい。
でも「人と同じは嫌だ」と思っていても、また似たようなファッションや発想や行動の人たちのグループが出来てしまっているだけだ。
最初には5つの、違う形の個性があったのに「ロックとはこうだ」という枠に入ったならば、1つの、みな同じ形になってしまうではないか?
ロックな生き方、には、制服もないしサンプルもないはず、と思う。
私が上に書いたような、典型的な?オフィスワーカーの28歳の女性と、話をしてみたら、めちゃ自由で、めちゃロックな生き方だった、ということだってあっていいわけだし。そういう女性が、そういう自分の好きなファッションのままロックを歌って、めちゃ上手かったなら、それもいい。
ロックってのは、反体制で生まれた音楽だと誰かが私に教えた。もしそれが正しいなら(正しいかどうか私にはわからない)、このオフィスワーカーの女性がめちゃ歌がうまくて、その音楽がロックしてたら、それだって、十分な反体制だと思う。だって「ロックミュージシャンはこうあるべき」という形を押し付ける動きがロック界にあるとするならば、それに反することだって、十分ロックだろうから。
一時期、みな、安室奈美恵さんの真似をして、似合う似合わないに関係なく、そのファッションをすることで、自分を守っていた女性がたくさんいた。ロックミュージシャンも、そうなってませんか?と思うことが、あるのです。
もちろん、ロックミュージシャンだけでなく、ジャズミュージシャンだって、ソウルミュージシャンだって、そういう風になってるとしたら、何かが大きく、違ってませんか?とか、思う。